歴史記憶の迷路を辿る
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NYT南京記事へのベイツからの反論

 初め公開したこのエントリー内容に誤認がありましたので、訂正して再度公開といたします。

日本軍による南京攻略戦すぐ後の1938年1月初め、ニューヨークタイムズ紙に掲載された記事。
避難民の間に紛れ込み暴虐をはたらいたのは中国軍士官らである、との内容。

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記事原文画像(クリックで拡大)


  NYT January 4, 1938
  
  EX-CHINESE OFFICERS AMONG REFUGEES

SHANGHAI,Jan.3 - American professors remaining at Ginling Collage in Nanking as foreign members of the Refugee Welfare Committee were seriously embarrassed to discover that they had been harboring a deserted Chinese Army colonel and six of his subordinate officers. The professors had,in fact,made the colonel second in authority at the refugee camp.

The officers,who had doffed their uniforms during the Chinese retreat from Nanking,were discovered living in one of the college buildings. They confessed their identity after Japanese Army searchers found they had hidden six rifles,five revolveers,a dismounted machine gun and ammunition in the building.

The ex-Chinese officers in the presence of Americans and ohter foreighners confessed looting in Nanking and also that one night they dragged girls from the refugee camp into the darkness and the next day blamed Japanese soldiers for the attacks. The ex-officers were arrested and will be punished under martial law and probably executed.
     
 Copyright: 1938: By the New York Times



 上記記事和訳

上海、1月3日 --- 南京の金陵大学に難民福祉委員会メンバーとして残留のアメリカ人教授らは、便衣と成った中国軍大佐とその部隊所属兵6人を自分達が匿っていたのが見つかったことで非常に当惑している。実際、教授らは、その大佐を難民キャンプでの権威ある立場の二番目に据えていた。
中国軍の南京からの退却中に制服を脱いだ将校(士官)らは、大学の建物の一つに住んでいるところを発見された。 日本陸軍の捜索者が、6つのライフル、5つのリボルバー、取り外された機関銃と弾薬を建物に隠していることを発見した後、彼らは自分らの身元を白状した。
アメリカ人や他の外国人の前で、元中国人将校は南京での略奪行為、またある夜には少女たちを難民キャンプから暗闇に引きずり込んだことを告白したが、翌日にはその襲撃を日本兵の所為にした。 将校であった者達は逮捕、戒厳令下で処罰され、おそらく処刑されるであろう。




当時の実態を表している重要な記事であるが、執筆者は不明。上海特派員という可能性はある。
その記事に関して、投稿欄への投書という形で、Dr.Brown(アーサー・J・ブラウン博士)なる人物と、J.C.MaKim(マッキム牧師)というアメリカ人牧師が事実関係を巡って議論している。
一方のマッキム牧師が書いた投稿の一つ、同年1月16日付のものがこちら→ 翻訳文
(原文を〔REAL PHOTOS, FILMS TAKEN NANKING IN 1937-1938〕ブログ様より拝借 Another View of Japan
南京での暴虐が日本兵ではなく中国兵によって為されたとのwell-supported circumstantial reports(十分な裏付けのある詳細な報告書) が出て来た、との訴えだ。(ブラウン博士の投稿は記事への反論、中国軍に擁護的なものだったと思われる)


そしてそのマッキム牧師に対して出された、南京安全区国際委員会の一員でもあった金陵大学副学長マイナー・シール・ベイツ(Miner Searle Bates)による反論(弁明?)書簡が存在している。
当時の新聞報道に対して(間接的にではあるが)、後の『南京軍事法廷』で証人ともなった、論争の当事者とも言える南京安全区委員会メンバーの一人が反論手紙まで書いている事実はかなり重要でないかと思える。


読んでみると弁明というのか部分的に認めていることもどうにも言い訳がましい印象を受ける。あるいは相手方を黙らせようとしているのか・・
以下その手紙内容を。


ベイツからNYTのJ.C.McKim への手紙。1938年4月2日付。
”Letter from M.S. Bates to Rev. J.C. McKim, c/o Dr. John Wood, 281 Fourth Ave, New York City, regarding New York Times stories on Nanjing atrocities” 
April 2, 1938 Dear Mr. McKim

手紙要約
・タイムズへの投稿で、暴虐は日本兵でなく中国兵がやったと書いたようだが違う、確かに中国兵も略奪放火をやったが防御のため
・張学良の部隊の所為?
・これを書くのは日本人友人に知って欲しいから

April 2, 1938 Letter from M.S. Bates to Rev. J.C. McKim
スクリーンショット (3815)

スクリーンショット (3816)

(手紙の重要部分、文字起こしと翻訳ーー括弧内翻訳者)

 ”Letter from M.S. Bates to Rev. J.C. McKim, c/o Dr. John Wood, 281 Fourth Ave, New York City, regarding New York Times stories on Nanjing atrocities”

  It has been brought to my attention that you have been writing letters to the Times saying that the stories of Japanese atrocities in Nanking were false. Perhaps by this time you will have learned that they were too true. If I had not seen with my own eyes the things that I have seen I could not have believed that such things could have happened in the modern world. It reminded one of an ancient Assyrian rape. We were not expecting such horrors and it was a terrible shock to us all when they began to happen.
 
 貴殿がタイムズ紙(ニューヨークタイムズ)に、南京における日本の残虐行為の話は虚偽であると投稿されたことに注目いたしました。おそらく今の時点までには、あなたは既にあれが(虚偽ではなく)本当であったと理解されていることでしょう。もし私が自分の目で見たのでなければ、あのようなことが現代世界で起こるなどとは信じられなかった。私は古代アッシリアの都市破壊を思い起こしました(聖書ナホム書にアッシリアの残忍暴虐さが記されている、その意味か)。我々はあのような恐ろしい事が起こるとは予想もしておらず、始まった時には我々はみな大変ショックを受けました。

    (中略ーーーここに日本軍による非道行為の数々が具体的に書かれてある)

I could go on for many pages telling you of such things as these but I think I have written enough to let you know that the stories of atrocities were not exaggerated. Things have greatly improved but murder and rape still continue, only on a smaller scale here in Nanking.

貴殿にお伝えするのに、このように例をあげて多く枚数重ねましたが、暴虐の話が誇張されたものでないことは充分お知らせしたつもりです。ここ南京の事態はかなり改善されましたが、単に規模が小さくなっただけで、殺人と強姦はまだ続いています。


 When you said, I understand you wrote to the Times, that these outrages were not perpetrated by Japanese but by Chinese soldiers, you were misinformed so far as Nanking was concerned. There was a small amount of looting of some shops by Chinese just before the Japanese entered. It is true that the homes of many people immediately outside the city walls were burnt down by the soldiers for defensive purposes, and this was certainly an outrage, but it was done with the mistaken idea that it would help in the defense of the city which did not prove the case. It is true that Chang Hsueh Liang’s troops which showed up so miserably in the fighting looted between here and Shanghai but they were executed by the hundreds. It is certainly unjust to have publicly accused the Chinese of such horrible things that happened here. I think I have written enough to let you know what horrors have happened. If you want to know further you could ask Dr.John W.Wood to let you see a copy of a kind of diary letter that I wrote to my wife.

これら非道行為は日本側が犯したのではなく中国兵がやったものだ、と貴殿はNYT紙に書かれたと理解していますが、南京に関してはあなたは間違ったことを教えられています。日本軍が入る前に中国人による商店数か所への小規模な略奪がありました。城壁に接している家々が中国兵によって防衛目的のために焼失したことは事実であり、それは確かに非道行為ではありますが、都市防衛のために役立つであろうとの間違った考えから為されたのです。戦闘の中で非常にみすぼらしい姿で現れた張学良の部隊が、ここ南京や上海で略奪したのは事実ですが、だが彼ら数百人もが処刑されました。ここで起こったこのような酷い事案で中国人を公に告発したというのは明らかに不公平です。さらに詳しくお知りになりたければ、私が妻に書いた日記の手紙のコピーを見せてくれるようジョン・W・ウッド博士にお願いして下さい。


 The only reason why I am writing this letter is that I believe that all friends of Japan should know the truth. It is the part of real friendship for the Japanese to let them know what is actually happening in China. I believe that a great many people in Japan would be horrified if they knew what was happening over wide areas of this land, just as we who have seen it have been, and their horror might be used to break the power of the military in Japan which has been the real cause of this conflict.

この手紙を書いているただ一つの理由は、日本の友人たち皆が真相を知っているべきと考えるからです。中国で実際に何が起こっているのか知らせることが日本人への本物の友情の一部です。この国の広大な地域で何が起こっているかを知れば、非常に多くの日本人が恐れを為すことでしょう。目撃した我々がそうだったように。そして日本人が抱く恐怖は、今回の対立を招いた原因であった日本の軍事力を削ぐために使われるかもしれません。


I hope you will in the cause of justice and truth correct any misinformation you may unknowingly given to the papers. I would ask you also to be careful about using my name in any publicity. I do not fear the personal consequences but rather that I might be run out of the city or that the relief work that we foreigners here have been carrying on for the benefit of the people of the city might be further curtailed than it has been. If we had not been here and established the Safety Zone and all of us been busy trying to protect the people the tragedy would has been worse as every Chinese in the city knows.

貴殿が気がつかぬまま新聞社に提供したかも知れない誤報どれも、正義と真実の元に訂正なさることを願っております。また、公表に当たって私の名を使用する事についてはどうぞ注意なさるようお願いいたします。個人的な成り行きを恐れているのでなくむしろ、この都市から追い出されかねないこと、あるいは我々外国人がこの街の人々のために維持している救援活動が前よりさらに縮小されはしないかと恐れています。もし我々がここに居らず、安全地帯を設立して皆が民衆を守る努力をしなかったならば、悲劇はさらに悪いものになったでしょう。それは市内の中国人誰もが分かっていることです。



     Bates.jpg
     Miner Searle Bates
     https://web.library.yale.edu/divinity/nanking/bates

※余談だが、南京攻略戦の正にその時期に、ベイツ妻子は日本滞在していたという何とも奇妙な事実がある。
(1937.12.17大阪毎日新聞の記事「初めて知る夫の無事 ベーツ教授婦人が東京で大喜び」)



※NYT記事画像、ほかJ.C.MaKimに関する情報は〔REAL PHOTOS, FILMS TAKEN NANKING IN 1937-1938〕ブログ様より拝借いたしました。ご協力に感謝いたします。



「レイプオブ南京」と「レイプオブ・ベルギー」


南京攻略戦当時、南京安全区国際委員会委員にマイナー・シール・ベイツなる人物がいた。
金陵大学副学長、歴史学者、宣教師でもある。
そのベイツが書いた『ベイツ・レポート』は「南京大虐殺」神話が拡がった一番の元と言ってもいい。
 ベイツ・レポートについてZFさんブログより拝借→ 南京大虐殺・ベイツレポート

そのベイツから、1938年3月14日 AP特派員ティンパーリに向けた手紙がある。
(「戦争とは何か」執筆についての相談と思われる)

・ティンパーリとはーー豪州人、AP特派員、中国国民党国際宣伝処の顧問であったとも言われるが真偽不明

イエール大学・南京虐殺プロジェクト資料より ティンパーリへの手紙

その中に気になる記述がある。
   Dy5dvwFU0AAR16R.jpg  クリックで拡大

読みにくいので書き起こし。
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「Rape of Belgium」なる言葉が出てきている。
南京での日本軍による暴虐について「レイプオブ・ベルギーという用語と合わせて上手く通用する」と書かれている。しかも「反戦思想啓蒙のためのスケープゴートが必要」との意味の文も。



さて、その「レイプ・オブ・ベルギー Rape of Belgium」とはどんなものか。
wiki
(日本語版ウィキが無いので英語版で)

参考に:1914年に開始された第一次世界大戦
>”1914年8月4日、ドイツ軍はベルギーのリエージュへ進軍しベルギー軍の頑強な抵抗に会う。その結果ベルギーの村々でドイツ軍による虐殺がはじまった。”

とあるが、実はその「虐殺」は現在では誇張捏造されたプロパガンダであったと言われている。
その経緯について詳しいサイト→ Remember Belgium recruitment poster

プロパガンダ映画まで作られていた 


他にプロパガンダ画像の色々
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ネット上で検索しても多数
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特に目立つのが女性・子供(赤ん坊)への非道行為。
 「銃剣で刺された赤ん坊 Bayoneted Baby」は定番と言えるほど。

第一次世界大戦時のドイツ軍の蛮行、「ベルギー虐殺」の残忍な描写は広く知られていた。そして1930年代には一部では、誇張があるのではないか、プロパガンダであろうとの観方も広がっていたようだ。
反戦活動家は、そんなウソを使って敵愾心煽るなと批判していたほど。
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ベイツの手紙に戻るとーー
そういう「レイプ・オブ・ベルギー」という残忍描写の多い戦時プロパガンダを持ち出し、南京攻略戦時の日本軍の動向を非道な虐殺として「反戦活動のために」利用しようとの目論見があったのではないかと、ティンパーリへの手紙から読み取れる気がして仕方がない。

上に貼ったレイプオブ・ベルギー・プロパガンダの画や映画の描写は「レイプオブ南京」で語られるものとそっくりではないか。
ベイツやティンパーリの目論見は現在でも生きている。「銃剣で刺された赤ん坊」プロパガンダは今でもネット上で拡散していく一方だ。

(その画像についてはZFさんブログに詳しい→ プロパガンダ画像 )






テーマ : 歴史認識
ジャンル : 政治・経済

支那事変中の中国側プロパガンダについてー国民党中央宣伝部・国際宣伝処

支那事変中、中国国民党政府蒋介石側の「宣伝・プロパガンダ」活動について。
中国側は事変勃発間もない頃から抗日・反日宣伝において活発に動いていたようだ。1938年には既にアメリカ各地で抗日プロパガンダ映画が上映もされていた。

戦時中の重慶における官営撮影所の映画製作について
――『東亜之光』を中心に 
作者: 韓   燕 麗  

という論文がある。
 
以下、重要箇所抜粋引用

  国民党中央宣伝部・国際宣伝処

1937年11月に(略)国民党中央宣伝部に国際宣伝処が設立。翌年の年頭には蔣介石から「とくに対米宣伝活動を強化せねばならない」という指示が出ていた。その目的は「日本軍の暴行を暴露し、アメリカ輿論の同情を得、アメリカ政府のさらなる制裁手段を促進する」ことにあった


  中華全国電影界抗敵協会

1938 年1 月29 日、一致抗日というスローガンのもとで、「中華全国電影界抗敵協会」という映画組織が共産党や国民党そして党外人士を含む各勢力の映画人によって立ち上げられた


1938 年に、軍事委員会政治部の陳誠および中央宣伝部と外交部の要員の指令により、「日本侵略者の暴行」を写した写真および映画がアメリカの各地で展示・上映された。



その論文で具体例として挙げられている『東亜の光』だが、その映画については戦前日本の記録も残っており、捕虜となった日本兵が中国側プロパガンダ映画に出演させられていた事が分かる。
”抗日映画『東亜の光』に出演せる台湾人及び邦人俘虜に関する件”  1940年4月記録文書
アジア歴史資料センター・アーカイブス
     C7rNzaJV4AA1tMc.jpg クリックで拡大
 ”「東亜の光」に出演せる何非光及び敵の俘虜となりたる我士兵にして同映画に出演せしめつつありと云う山本薫、檀進、高橋信夫、中條嘉久一、中村某、谷口某等十名ーー” など読める。

こうなると「日本兵による残忍行為」=ヤラセ演技の写真、フィルム、映画などいくらでも撮れただろう。


関連で:
「国民党中央宣伝部」と言えば、つい最近、中国人民網のこんな報道があった。

人民網記事ーー南京大虐殺を描く堀田善衛の「時間」 中国版が刊行 

福田康夫元首相は6月に「中国侵略日本軍南京大虐殺遭難同胞紀念館」を見学した際、「時間」に言及し、「事実は事実だ。史実を尊重して、後世に広く知ってもらうのが私たちの責任。堀田氏も同じ思いを抱いてこの作品を完成させただろう」と語った

 

堀田善衛 ウィキ

堀田は大戦後上海で中国国民党中央宣伝部対日文化工作委員会に留用されていた。つまり中国側工作員として活動していたわけだ。
福田元首相が「南京虐殺記念館」で言及したのは、その堀田の作品・・・ 何と情けない元首相であることか。









731部隊ニセ写真・そのソース元


「731部隊による人体実験写真」とされているが、実際には1910-1911年満洲でのペスト流行時の検死写真である例。

明治四十三四年南滿州「ペスト」流行誌附録寫眞帖 1912年刊 
 
 p67、68、101など

ロシアにも同じ写真が存在している
  ロシア側写真資料


 (中途ですが後日続きを)





平穏な南京市内 



2017年9月 産経ニュースより 
 南京事件1カ月後の姿を写した写真

 写真を撮ったのは、満州電信電話の技術者だった杉山友勝さん(昭和62年、81歳で死去)。メモによれば、13年元旦から関東軍の指示で上海・南京地区の通信施設の防空設備視察のために同僚3人と出張。南京へは陥落(12年12月13日)から1カ月弱の13年1月7~10日に訪れている。
 写真は、中国・国民党軍が南京退却時に残していった放送スタジオ「中央党部内演奏所」や北極閣(気象天文台)の地下に置かれていた「軍通信司令部」など放送・通信施設を中心に撮影。また、欧米人が国際委員会を組織し南京市民が避難した安全区(難民区)内や同地区以外の城内、城外の街や市民の様子を写したものなど数十枚に及ぶ。



記事にある遠景写真の方、
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黄色〇で囲んだ部分が他の南京写真と一致。
↓アサヒグラフに掲載された、「北極閣」からの撮影(赤丸部分が上の写真と同じ)。
期日は1938年1月11日となっている。

     IMG_1911 - コピー - コピー
     (クリックで拡大して下さい)
こちらの写真は1938年アサヒグラフに掲載されたもの。
その解説部分→ IMG_1911 - コピー (2)

地図で見ると 6W_0xVXg - コピー (2) - コピー
「北極閣」は南京城壁内の北東辺りにある。

産経ニュースで報道された写真も、当時のアサヒグラフ報道写真も撮影はほぼ同じ場所、同じ時期と思われる。
産経の方は『満州電信電話の技術者だった杉山友勝さんはーー13年1月7~10日に訪れている』とある。

※いわゆる「南京虐殺」とされている事案は、中国側の主張では12月13日攻略以降、翌1938年2月中旬頃まで続いたとされている。
(東京裁判の検察側最終論告には、「6週間に南京市内とその周りで殺害された概数は26万ないし30万」と)
南京攻略にあたった中支那方面軍ー上海派遣軍・第10軍含むーが解体され、新たに中支派遣軍が編成されたのが1938年2月14日、その再編によって「非道行為は一応止んだ」としているためだ。
同時に中国人も欧米第三者国人の往来も可能になった。(英国とドイツの大使館職員は1月10日既に戻っている)

つまりこれら写真にある1月10日前後というのは「南京虐殺」最中とされている時期。



ところでこのドーム状のものは何かと言うと、南京城壁内・中央大学(現・東南大学)講堂のドーム屋根。
この地域を戦前、撮影した人がいる。
先日書いたエントリー  ヘッダ・モリソン写真
モリソン女史が1944年に撮影した中央大学遠景。 312100035154fa4084e5_2018062301353064b.jpg
 中央辺りに6角形か8角形くらいのドーム屋根が見えている。



こういう写真群が「南京事件・虐殺」の有無に関係するかは分からない。
中国側は南京城内でもあちこちで多数の「虐殺」があったと主張しているが、この種の写真どれを見ても街並みが崩壊しているようにも見えないし、(広大な地域ではあっても)死体累々という様子は感じ取れない。