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世界で起こる悪魔の所業は何から何まで日本兵のせい!?

最近「従軍慰安婦」が捏造であると大バレして形勢が悪いためか、反日勢力は次の手を出してきてるようだ。
次の手とは 日本人は食人鬼! 宣伝のようです。
あちこちにその馬鹿げたプロパガンダ報道が出てきますが目についたのがこれ。

閲覧注意・この類がダメな私でも見られたので凝視さえしなければOKな感じ。モノクロ画像です)
米国人の目の中の日本軍 人肉も食べる (2011・8・8)

その目撃談やら証言やらがどんなものか不明だが↓こちらには詳細が載っている。
日本兵によるとしているカニバリズムの部分を抜粋。

(資料)

××部隊のC・ヒューゴ准尉は、以下の証言に間違いのないことを誓言いたします────

 ×月×日、午前九時、私はJ・グリフィン兵長ならびに故スウェル曹長とともに××における敵軍との交戦によって殺害された○○の身体を回収いたしました。われわれが発見した身体は以下のような状況にありました。───
 (一) 衣類は全部はがされていました。
 (二) 両腕が肩から削ぎ落とされていました。
 (三) 胃が切り取られており、心臓、肝臓、その他の内臓も抜き取られていました。
 (四) 肉の部分がすべて身体から切り落とされており、骨がむき出しになっていました。
 (五) 両腕、心臓、肝臓、その他の内臓を発見することはできませんでした。
 (六) 手が触れられていない身体の部分は頭部と(くるぶしから下の)足だけでした。
  二人の日本兵の死体の中間に横たわっていた○○の身体から四ないし五ヤード離れた場所に人肉と思われるものが入っている日本軍の飯盒が転がっていました。            
                                                C・ヒューゴ准尉署名



ニューギニアで「母はこの飯盒で茹でられて」

バラスさんが証言したのは、東部パプアニューギニアのセピック川流域のマラハオ村での集会だった。パプアの山間部の人たちは、半世紀前までカレンダーを気にしない暮らしをしていたため、正確な日付はわからないが、彼の母親が悲惨な死を遂げたのは、戦況などから1944年から45年にかけてだろう。
「家族が日本兵に切り殺されて飯ごうでゆでられ、あげくに食べられた」という証言は、バラスさんだけではなく複数の人から聞かされた。

戦争中20代後半だったマンピー・ワサさん(男性)は妹とともに、伏し目がちに、こう語った。
「その日の午後、長男は日本兵に命じられてサゴヤシを取りに行きました。翌朝になっても戻らないので、日本兵が兵舎にしていた教会に様子を見に行くと、日本兵はみんな寝ていました。台所ではナベが火に掛けてあったので、フタを開けてみると人肉で、兄が食べられたとすぐにわかりました。肉がこそぎ落とされた兄の骨を集めて持ち帰り、埋葬しました」



つい最近まで、パプアニューギニア人が、日本兵による人肉食の被害について公に語る機会はなかったと言っていい。悲惨な体験が語られるようになったのは、ラク氏らが94年、「日本軍による戦争被害に補償を求める会」を結成してからだ。

すでに被害登録は約6万5000人にのぼるという。ちなみに現在のパプアの人口は390万人。登録者は約60人に1人になる(登録者はニューギニア島東部だけではなくラバウルなど周辺の島々を合わせた数)。
最も多いのは「武器や食料の運搬に駆り出された」約2万6000人だが、人肉食犠牲者1817人、胸を切断され死亡した女性19人、性器を蛮刀でえぐられて殺された女性8人、強姦されて殺害された女性5164人など、とても信じられないような数字が並ぶ。



出鱈目もここまで来たら笑えるくらいだ。
ニューギニア人もいい加減にしろよ、とでも言いたくなる。

日本兵自身の記録として「死の島ニューギニア-極限のなかの人間」尾川正二

「やつら何をしていたんだろう。おかしい。蛇ならばくれるはずがない。良心にとがめるところがあって、おれたちも仲間に引き入れることによって、少しでも呵責からのがれようとしたのではないだろうか」などと憶測した。もちろん、何の根拠もないが、とっさに期せずして符合した感じは、何であったか。腿の肉を切り取られた死体の数は、一つや二つではなかったのだ。ついに全く光は消えた。ただ眩暈のうちに拠点を見失って、地底に転落していった。


蛇の肉だと言って出された物を疑っているだけの場面を食人をやった証言としている。
日本兵の記録はこの類ばかりだ。



さて、
ニューギニア東部には クールー病 というプリオン由来の病気が近年まで多発していました。

クールー病とは

フォア族では、死者が出た場合、葬儀の参列者は死者の魂を慰(なぐさ)めるために死体の肉を切り刻み、それをバナナの葉に包んで焼いて食べるという風習がある。その際、女性と子供は脳と内蔵を食べることになっている。

教授の調査によれば、1957年以降クールー病で死亡した者2500人のうち、その80%は女性だった。そして18%は子供であり、成人男性は2%しかいなかった。

1950年代、この地を統治していたオーストラリアがフォア族に対し、人肉食をやめるように命じ、1960年以降、この人肉食の風習は消滅した。

そしてそれ以降、クールー病による死者はどんどん減っており、「人肉食とクールー病との因果関係は明らかだ。」と教授は語っている。



食人習慣由来のプリオン病(狂牛病)を描いた本の紹介エントリー↓
「食人の痕跡と殺人タンパクの謎」

上記クールー病多発の部族だけが食人習慣があった訳ではなく、東部ニューギニア~南太平洋のあちこちでそれがあったらしい。
つまり「日本兵が食人をやった」とされている地域とほぼ一致するという不思議。


最初に書いた東部パプアニューギニア高地の人達の日本兵がやった、と証言している内容はどう見ても異様だ。
当時でも宣教師らから食人は禁忌であると咎められていたようで、それでも止めなかっただろうことは戦後にも続いていた事実から分かる。
つまり自分らがやったことを日本兵がやったと大嘘を言ってるわけだ。

しかも被害申請が数千~数万単位で増えた。
嘘を言った上に賠償金までもらえるとなると申請しなきゃ損くらいなものだったろう。

終戦後すぐには日本兵は食人鬼だの言いまくって戦犯を増やそうとした報いと言いたいくらいな、こんな事件があった。
食われてしまった御曹司、としてよく知られていると思いますが。

ニューギニアで消息を絶った大富豪の御曹司

マイケルはダニ族ではなく、車輪や鉄器すら知らなかった狩猟採集民、アスマット族の呪具を収集しようとしていた。ただし、アスマット族はかなり好戦的で、当時はまだ食人の風習を保っていたのである。
そして、マイケルが姿を消したのは、そのアスマット族が暮らす地域だった…。




もうほんと、いい加減にしろよ!!

食人ではないが、最近中国でペストが発生したという。
新型インフルやSARS、次々に現代ではあり得ないような感染症が多発する。
そういうシナ大陸で、戦時中に731部隊が細菌をばら撒いた、コレラやペストの菌を撒いただの今でも言っている。

・戦時中日本軍が細菌兵器を撒いたと言われている地域に限って現在も感染症が多発
・戦時中日本軍が「慰安婦」として連行したとか奴隷扱いしたとか言われている国=韓国に限って現在も娼婦の輸出が膨大
・戦時中日本兵が食人をやったと言われている地域に限って近年まで食人習慣があった
・戦時中日本軍がシナ人に拷問や民間人虐殺をやったと言われている地域(中国!)に限って民主化運動家、ウィグル人やチベット人への拷問や殺戮が多発

はいはい、今でも世界中悪辣なことをしているのは日本軍ですよ、今でも日本兵がどこにでも潜んでるのでしょうね

ほんといい加減にしろよ~!!







どうぞよろしく

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気になる記述ー「陛下が一身を投げ出 す御覚悟でいらせられること」(1945・8・18当時)

69年目の終戦の日を前に、どうしても気になっている事があり再度取り上げます。

以前のエントリー記事。
特殊潜航艇が写っている古い写真 ←クリックどうぞ

五分間の決断 特殊潜航艇「蛟龍612号艇」横井順一の手記五分間の決断 特殊潜航艇「蛟龍612号艇」横井順一の手記
(2011/05/31)
横井 順一

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横井寛氏著「五 分間の決断」 より抜粋

8月18日正午頃、水上機が2機、突然内海湾に着水した。

呉鎮守府長官金沢中将は、陛下に拝謁仰せ付けられて、終戦の心意を拝受し部下の将兵に伝えるべく、呉への帰途小豆島上空で、千余名の隊員の心境を鎮めなければと、事態を懇々と説明して出発された。

続いて第十特攻戦隊司令官大和田少将も来島され

「終戦は全く陛下の御意志より出たものであること」
「陛下が一身を投げ出す御覚悟でいらせられること」

などを、涙ながらに諭すところがあったので隊員も次第に落ち着き、嵐部隊は無事に解体の方向にまとまったのである。



あと「蛟竜艇長第十七期会編 特攻艇長たち 次世代への遺言」というこれも自家出版本P93~P94に「佐野大和」氏の言葉として全く同様のことが書かれている。

昭和天皇による終戦の詔書放送から3日目の8月18日の時点で
「陛下が一身を投げ出す御覚悟でいらせられること」 との通達があったという。
隊員の落ち着かない気持ちや決起へ向かう危惧が収まったのは事実なので、結果としてそうなっているという事は何らか大きな通達があった事は間違いが無いと思う。

事実そのままだったとしたらかなり重要な出来事ではないでしょうか。
東条英機が自決の際に未遂となったことの意味、もし上記のような陛下の御心を耳にしたとしたらーー敗戦の責任を取るべき、いや自死すれば陛下に及んでしまう、との葛藤の結果と考えるのは穿ちすぎだろうか。

昭和天皇とマッカーサー元帥との会見で「一人で引き受ける」との発言があった無かったの論争や
木戸幸一日記の8月29日の項に

戦争責任者を連合国に引渡すは真に苦痛にして忍び難きところなるが、自分が一人引き受けて退位でもして納める訳には行かないだろうかとの思し召しあり。聖慮の宏大なる誠に難有極みなるも、……その結果民主的国家組織等の論を呼起すの虞れもあり、是は充分慎重に相手方の出方も見て御考究遊るゝ要あるべしと奉答す。


(「民主的国家組織」とは皇室廃止・共和制のこと)
木戸内大臣には拒否されている訳だが、現場将兵らへの通達でははっきりと「引き受ける」との明言があったのではないだろうか。
大和田少将が涙ながらに知らせたというのだから。

8月15日直後の混乱の只中でこういう出来事があったということを、マスコミは調査したり報道したりしない。
日本人なら誰もが知っておくべき事の1つと思います。

55_20131129212809206.jpg
「蛟竜」を背に特攻艇隊員の方達









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日本=ジェノサイド国家というプロパガンダの元は蒋介石ーーそれの担い手だった辻政信

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辻政信ほど、常人の理解を超えた人間も珍しい。一介の参謀にすぎない彼が、各所で上司を無視して無謀な作戦を主導し、敗戦に導いたばかりか、陰謀、虐殺、偽命令などの事件を次々と引き起こす。だが、なぜか責任を問われることなく、また次の作戦に姿を現わす。周囲からは蛇蝎のごとく嫌われながら、戦後は大ベストセラーを連発し、圧倒的人気をもとに国会議員にも当選。最期は議員の身分でラオスに潜入し、そのまま消息を絶った。その彼の、さらに知られざる一面が、二〇〇五年のCIA文書の公開で明らかになる。そこに記された蒋介石との関係は、まさに驚愕に値するものだった。



著者、渡辺氏は最近正論などに評論を上げている保守の人です。
これを読んでると辻政信という人の得体の掴めなさ、異様さの毒気に当てられて気分が悪くなってくるくらいだった。

いくつか文章を抜粋してみます。

蒋介石が戦争全体を通じて一番欲していたもの、それは中国の国内戦線各地において、自らが指揮する諜報機関の総力をもって虚構しようとし、「日本=ジェノサイド(大量虐殺)国家」であるという物語を全世界に信じ込ませることに他ならなかった。

今日、中国共産党が展開している日本=ジェノサイド国家という宣伝工作の大半は共産党のオリジナルではなく、国民党がかくて徹底して行った宣伝工作の受け売りに他ならない。



日本軍人にあるまじきジェノサイドの担い手というほかないが、辻のこうした姿は中国の低級なプロパガンダ映画あたりに登場する「虐殺の担い手」としての日本軍人のイメージに、まさにぴったりくる人間であろう。



辻はいわゆる他国軍に対する「悪行」とは別に
・ノモンハン事件においてソ連軍の捕虜になったのち帰還した部下将兵らに自決を要求した。
(この頃「生きて虜囚の辱めを受けず」の戦陣訓は未だ出されていない)
・ノモンハン事件以降の関東軍とソ連軍との和平交渉をロシア人工作員利用により決裂させた
・ポートモレスビー、ガダルカナル島で無謀な作戦を強行し多大な犠牲を出す
盧溝橋事件は1937年7月7日のことだが、7月20日、辻はシナ駐屯軍司令部に現れ盧溝橋付近の中華民国軍を爆撃する、自らも戦闘機に乗ると言い出す。主任参謀の池田中佐らは不拡大方針で決まりかけているので、それはならぬと止めたが辻は中央部が鈍いから独断でやると言う。池田中佐が「どうしてもやるなら我らが友軍相撃ちで撃墜してやるぞ」とまで言ったので辻は断念したという。

これらを指揮した辻のことを著者は「部下へのテロリズム、リンチ」であると書く。

そして辻の独断によって為された「シンガポール華僑虐殺事件」、バターンの米軍投降兵に対するニセの射殺命令(これは幸い未遂に終わった)、そしてビルマにおける「英国軍捕虜人肉試食事件」というものまで、ごく近くに居た人らの証言により否定しようのない「悪行」がある。

ソ連や蒋介石軍との和平工作を決裂させたと思ったら、今度はまた和平工作を上官無視で独断でやろうとする、そして戦後は逃亡して蒋介石軍側に寝返り、後には中国共産党に近づこうとしたりーー
一貫性も見られずハチャメチャ、見ようによってはとにかく混乱状態の中へ中へ、あるいは自ら混乱を造り出す方向へとばかり動かしていたようにも思える。

唯一、一貫共通して見られるのは蒋介石を喜ばせるような事件であったこと。

これらの地での辻の犯した行為は、日本軍がジェノサイド的な軍隊であったというイメージ、すなわち蒋介石・国民党が日本という国にかぶせようとしたイメージにぴったり合致する。魔女(辻)による魔神(蒋介石)への「帰参の手土産」という訳である。



蒋介石はということ、軍の統制など一切取れておらず逃げ回るばかり、自国民の生命を軽視した黄河決壊事件、共産主義者弾圧・虐殺などなど辻にも増してハチャメチャな怪物だ。

二人の共通項は
・依存対象をくるくると変え、その対象を利用しつくして延命を図る
・対立する両側に巧みに依存しながら自分のポジションを強く確保し、生き残りを図る
であり、この似た者同士が日本ポツダム宣言受諾後、辻の逃走から出会うことになる。


この後から辻が行方不明になる直前までの行動はCIA秘密文書によって明らかになっている。
けれどその文書はあくまでも戦後の動向であって、戦時中の辻政信ー蒋介石の繋がりについては確定的な事は書かれていない。
私としてはそこが一番知りたいのに!というところですが、決定的資料が出ない限りは仕方ないか・・

それにしても不思議なのと同時に呆れるのが、ニセ命令出したり、独断謀略やったりで明らかな軍規違反であるのに、こういう人物を誰も止めなかった事だ。
何らかの才能があるとしても、参謀や前線に登用しないようには出来なかったものかと不可思議で仕方ない。
辻には一種独特の魅力があり、これに魅入られてしまう人は少なくなかったようだし、また他人の些細な個人的弱点を見抜いてそこをつついて抑え込み批判の口を閉ざさせる才能、そして弱った者に手を差し伸べ親切の限りを尽くし感動させ「信者」にさせてしまう才能、などもあったのだろう。

尾崎秀実に丸め込まれていた近衛文麿もそうだが、辻の動きを完全に止められなかった東条英機も、両者とも懐が大きいばかりにそれが仇となったように思えてならない。

著者はそういう日本人独特の弱点をこう書いている。

日本人ほど親切がもたらす様々な不幸に鈍感な面々はいない。
日本人は親切好きであるとともに、親切に弱い。親切を受けた瞬間、そのことへの美的感動から、何もかもが分からなくなってしまう。

蒋介石が許しがたいのはこの日本人の弱点を知り尽くしていた上で、「以徳報怨」の謀略を行ったということにある。
日本人は「赦す」という蒋介石の親切行為に感動した瞬間に「悪を犯した」という劣位におかれてしまったのだ。



この点で「親切の悪用」をやらなかった中国共産党は失敗した、と書いている。
が、私が思うにはここ最近まではある程度この作戦で成功していたのでないか。
周恩来も蒋介石と同じタイプで、もっとより長期展望の基に狡猾にやった。(参照・左欄の本『天皇の軍隊を改造せよ』)

「天皇の軍隊」を改造せよ: 毛沢東の隠された息子たち「天皇の軍隊」を改造せよ: 毛沢東の隠された息子たち
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辻政信、蒋介石、周恩来などこういう「怪物」タイプに対して、混乱しかもたらさない危険な怪物だと認識できず放置するか賞賛までしてしまうケースが過去には少なくなかった。
何でこんな奴らに好きにやられたんだ!
CIA文書が公開されたりもしている今、詳細に検証して大戦を総括(田原総一朗がいつも言う総括みたいだけど)してみる必要があると思う。





上記CIA文書とは↓この本の著者・有馬哲夫氏が2005年に解析したもの。
大本営参謀は戦後何と戦ったのか (新潮新書)大本営参謀は戦後何と戦ったのか (新潮新書)
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これも合わせて読むとより分かりやすくなると思います。




「大東亜戦争とスターリンの謀略」と「東条英機 歴史の証言」

大東亜戦争とスターリンの謀略―戦争と共産主義 (自由選書)大東亜戦争とスターリンの謀略―戦争と共産主義 (自由選書)
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これを読んでいますが、なにせ情報量・資料が膨大、元へ戻って確かめることしばしばでかなり苦労しております。

以前取り上げた記事↓
「大東亜戦争とスターリンの謀略 戦争と共産主義」


資料の中では「尾崎秀実手記抜粋 昭和17年2,3月」が興味深い。
検挙された尾崎の供述書。
コミンテルンの成り立ち、目的、ゾルゲやソ連との関わりなどなど詳細に説明している。

我々のグループの目的任務は私の理解する所では、広義にコミンテルンの目指す世界共産主義革命遂行の為、日本に於ける革命情勢の進展と、之に対する反革命の勢力関係の現実を正確に把握し得る種類の情報、並びに之に関する正確なる意見をモスコーに諜報する事にあり。
狭義には、世界共産主義革命遂行上、最も重要にして其の支柱たるソ連を日本帝国主義より防衛する為、日本の国内情勢殊に政治経済外交軍事等の諸情勢を正確且つ迅速に報道し、且つ意見を申し送って、ソ連防衛の資料たらしめるに在るのであります。



私は第二次世界戦争の過程を通じて世界共産主義革命が完全に成就しないまでも決定的な段階に達する事を確信するものであります。

戦争の結果は両者共倒れになるか、又は一方が他方を制圧するかであり、敗戦国家に於いてはプロレタリア革命に移行する可能性が最も多く、また一方が勝ち残った場合でも戦勝国は内部的な疲弊と敵対国の社会変革の影響とに依って社会革命勃発の可能性無しとしないのであります。



昭和17年(1942年)の時点でこの供述をしている訳だが、ここまで赤裸々に語らせておきながら、その後の情勢がまんま尾崎の予想通り進んでいったのはどういう訳だろう。
しかもソ連の工作まで言っているのに、日ソ中立条約などを宛てにしてソ連に和平斡旋させようとした東郷外相や木戸幸一らはいったいどういう了見だったんだ。

尾崎の供述内容を知らなかったとは思えないから、とんでもないお花畑かあるいはソ連側に丸め込まれたか工作に関わっていたのか・・・

(参考に・wikiより)

1945年5月、陸軍参謀総長の梅津美治郎が、ドイツの敗戦後、日本とは中立状態にあったソ連が極東に大兵力を移動しはじめていることを指摘し、ソ連の参戦を防止するための対ソ交渉の必要性が議題になった。そこで東郷は、ソ連を仲介して和平交渉を探るという方策を提案した。これに対し陸軍大臣の阿南惟幾は、日本は負けたわけではないので和平交渉よりもソ連の参戦防止を主目的とした対ソ交渉とすべきだとして東郷の見解に反対する。結局、米内光政海軍大臣が間に入り、まずソ連の参戦防止と好意的中立の獲得を第一目的とし、和平交渉はソ連の側の様子をみておこなうという方針が決定された。



尾崎秀実のこの発言

私は第二次世界戦争の過程を通じて世界共産主義革命が完全に成就しないまでも決定的な段階に達する事を確信するものであります。



ソ連以外の国々を戦わせ疲弊させ赤化革命へとの謀略ということで、まずは思い当たるのがシナ事変だ。

東條英機歴史の証言—東京裁判宣誓供述書を読みとく東條英機歴史の証言—東京裁判宣誓供述書を読みとく
(2006/07)
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「事変の早期終結を阻止したのは誰か」の項で近衛文麿側近の左翼人脈、頭脳集団を挙げ

 その頭脳集団の一番の中心が尾崎秀実です。
このような人がシナ事変の継続を求めるコミンテルンの指示によって動いていたことは明らかです。
コミンテルンの狙いは、日本と蒋介石を戦わせて消耗させ、ソ連と中国共産党を拡大化することにありました。 


このことは終戦後早い時点から言われていたと思うが、さすが渡部さん、具体的事例を挙げて解説してくれている。

2005年に出版され世界的な話題を呼んでいるユン・チアンとジョン・ハリディ共著『マオ』によれば、この攻撃(第二次上海事変)を仕掛けたのは、コミンテルンの手先であった張治中という将軍で、彼は蒋介石の許可無しに、かつその命令に反して日本軍を攻撃し始めたとされています。


(第二次上海事変)において、世界中の眼を引きつけるために蒋介石軍は爆撃を始めました。そして百貨店にまで爆弾を落としました。その渦中で、後に駐日アメリカ大使になったライシャワー氏の兄もイギリス系のホテルで爆死しています。
攻撃目標は日本租界でしたが、ホテルや民衆の娯楽施設への爆撃などもありました。



蒋介石軍(上記の通り、蒋介石の許可無しに軍が動いた)が自国民であるシナ人を狙って爆撃していたとの話は別の所で見聞きした事がある。
うちの地元の図書館にある郷土史の中の地元住民による従軍記でも、「こっちを外してわざわざ同胞であるはずのシナ人子供の群れを狙って爆撃していた、何と酷いことか」と書かれていた。

自身の命令でないとしても蒋介石も結果としては日本軍叩きができて納得していたんじゃないかと思う。
欧米にたいして「日本軍は民間人狙う悪魔集団」と情報工作もやっていたようだから、コミンテルン側に嵌められたというより納得づくで乗っかっていたと思える。




今現在、中国は「抗日戦争」だのとまるで「中国」という統一国家があったかのように言っている。
国共合作にしても内実はシナ同士での内ゲバも多数あったし、自国民を狙っての攻撃や虐殺も少なくなかった。
それに対してロクに反論もせず、現在も進行中の情報戦、大丈夫なのか日本は。






貴重書「大東亜戦争とスターリンの謀略」-戦争と共産主義ー

前にも少し取り上げた重要な本。
1950年に発行されたがGHQに拠って一旦発禁とされ、これは1987年の復刻版。
幻の書と言われたこともあるようです。

著者の三田村武夫氏は戦時中からあの尾崎秀実を間近に知っており戦前は内務省~拓務省~衆議院議員であり、戦後も議員を務めた人物。

大東亜戦争とスターリンの謀略―戦争と共産主義 (自由選書)大東亜戦争とスターリンの謀略―戦争と共産主義 (自由選書)
(1987/01)
三田村 武夫

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(amazon本書レビューを読むだけでも価値があります)

この本の内容は濃いというのを超えて貴重な証言集とでもいうのでしょうか。
実際本書の半分は「資料篇」として尾崎秀実の獄中手記、戦時中の重要人物らの論文、企画院事件の詳細となっている。

企画院事件 ←wikiより

本書の内容及び重要性については私が下手な説明をするより下の動画を見てもらう方が早いです。

「大東亜戦争とスターリンの謀略」三田村武夫 1/4



続きはこちらからどうぞ。

2/4

3/4

4/4


以前に書いた関連するエントリーはこちらを。

マルクス主義とスパイに毒されていた外務省

大戦に追いやったのは敗戦赤化革命のためだったのか

昭和16年、松岡はスターリンとの会見の際「日本人は道徳的には共産主義者であり、それを破壊したアングロサクソンの資本主義と闘っている。アングロサクソンこそ日独伊、それにソ連の共通の敵である。」と語った。


松岡洋右、白鳥敏夫、東郷茂徳ら外務官僚らもか。
スターリンに近い人物が多過ぎる。

それにしても近衛文麿についてはコミンテルン側だったという説の方がネット上では多勢を占めているようです。
本書では「近衛は操られていたロボット」としており、私もそれでしかないと思っていますが・・
どちらであれ、結果としては同じになっただろうから今となってはそこは最重要事項という訳ではない気がします。

この本はこれからも少しづつ取り上げていくつもりです。






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