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あまりにもおぞましい終戦直後、韓国での事件(そして日本へ密航・・)

(前半、戦後の朝鮮人同士の虐殺事件についてですが、後半は日本に大いにかかわって来るので、長文面倒な方はどうぞ読み飛ばしながら後半を見て下さい)

追記で:  「はなみずきさん」がコメント欄で重要情報を提供して下さっています、是非読んで下さい!   



   小鹿島

画像の神社、何か様子が変だと思いませんか。
真新しい感じはするけれど一種異様な雰囲気・・

韓国に現存する唯一の日本式神社、小鹿島更生園神社(全羅南道)です。

カイカイ反応通信 へのリンク

最近、日本の政治家らによる過去の歴史や慰安婦関連の妄言が相次いでいるが、全羅南道の小鹿島に国内で唯一の原型を維持した日本の神社(下写真)が登録文化財に指定され残っているという事実が発覚し、存続させるべきかどうかをめぐる議論が起きている。

神社は礼拝に使用される拜殿と身体が安置された本殿の2棟で構成されている。当時、朝鮮総督府によって全国各地から強制的に連行されたハンセン病患者への参拝を強要していた。文化財庁は「日帝の蛮行を記憶するためのもの」と言って社殿に加え、ハンセン病患者を監禁して管理した旧小鹿島更生園事務本館、講堂などを登録文化財に指定した。

しかし、最近になって日本の政治家の妄言が続き、神社の保存について否定的な気運が高まってきている。特に、2008年に5000万ウォンの予算をかけて神社の建物の改装工事が行われた事実が知られ、11日には某ポータルサイトにて、神社の撤去のための署名運動が起き、22日現在で約700人が参加している。ネット上では、悲劇の歴史も後世に教訓として残さなければならず保存しなければならないという主張や、神社は単純な施設ではなく、日本の精神的な意味が込められており、歴史の清算と一緒に撤去しなければならないという主張が対立している。



言うまでも無く「日帝の蛮行」が起こった事実などは一切ありません。

けれどここは聞くもおぞましい蛮行の数々が起こった場所には違いないのです。
朝鮮人同士の数々の惨殺事件・・


まずこれ
小鹿島更生園園長刺殺事件
日本人園長が犠牲になった併合時代1942年の事件ですが、これはまだ序の口と言っていいくらい。

問題はこちら。
終戦直後の1945年8月15日以降に起こったおぞまし過ぎる事件の数々・・
小鹿島虐殺事件

その詳細はこちら
小鹿島の半世紀 (韓国人視点からのレポートです、反日視点でさえこの状況)

一部抜粋しますが長いので面倒な方は読み飛ばして下さい。

おかしく感じて席を立たず座っていた患者たちに韓国人職員がぶつぶつ言いながら話し始めた。「お前たちに園長があわてて言っていたのは、静かにしていろということだ。お前たちはまだ知らないと思うが、韓国は解放されたというニュースがラジオで放送された。今、外の社会では人々は街頭に出てマンセー(万歳)と叫んで喜んでいるのに皆さんたちだけが何も知らずに夢の中にいるのだ。」

この話を聞いた患者たちはワアーと喚声をあげ、走り出て行った。またたく間に全病舎に知れ渡り、両親兄弟に会いに行かねばと荷物をまとめる者がいるやら、奴らの神詞堂を打ち壊し手に手に斧やハンマー、つるはし等を持って押しかける群集もあった。一方、歓喜に歌い踊るものもいた。また、部落の掲示板にはどこから知り得たのか、だれが書いたのか分からないが民族独立家の金九や李承晩など名前などが貼り出され黒山の人だかりになっていた。
 いつの間にか,荷物をまとめて出てくる患者は各部落ごとに漁船を取り出して群がり脱出をして行った
 刑務所ではすでに乱闘状態で罪囚者が看守の着物を剥ぎ取り殴打して、日本人所長はぶるぶる震え、どうすることもできずにいた。金と朴は所長を捕まえ責めたてていた。「このやろうお前も服を脱げ」日本人は頭をうなだれ,しきりに助けてくれと哀願した。懐からお金を出し差し出していた。助けてくれる事に感謝した様子で、着物を脱ぎパンツ一つで山道を職員地帯へ消えていった。その他の看守たちも必死の思いで生命だけは永らえて逃げ出した。
  興奮状態の金と朴は刑務所から着物と靴を持ち出して着用するや,日本刀まで振り回し凱旋将軍のごとく病舎地帯をねり歩いた。

このように何日かの間、理性を忘れた群衆で騒然として混乱した。このような渦中についに殺傷事件がおきてしまった。
 8月20日、その日も病舎地帯は殺伐とした空気が流れていた。東生里担当の看護手朴珍格が患者一人と口喧嘩になってしまった。険悪な状況のなかであったが職員地帯に知らせず、朴珍格はそのまま職務をとっていた。彼は前から患者たちに不遜な態度で接していた。「今はどんな時だ!日本時代と違うぞ!」不遜な態度に激怒した患者たちが朴を袋だたきにしてしまい、彼はそのまま命をなくしてしまったのである。
病舎地帯と同様に職員地帯も騒乱のるつぼと化していた。西亀園長をはじめ日本人幹部たちはいち早く職務を撤収するや、残された韓国人職員間に壮烈な指導権争いが起きていた。

雰囲気は無条件に我々によい形成であるとの李宗揆の連絡を受けた六部落の患者たちは手にこん棒やくわを持って治療本館に集まってきた。歩ける者すべてが出て来て大示威行動となって職員地帯へ押しかけて行った。巡視本部(現指導所本部)では患者の動態をうかがっていた。過日の虐待にたいする患者の復暴動が起きるのではないかと警戒していた矢先、殺気だった大衆の怒号が押し寄せ迫ってきたのである。緊急に職員本部に連絡が入り,鎮圧のための空砲が撃ち放たれた。
こんな最中、治療本館の二階では石四鶴が声を張り上げ煽動に余念がなかった。「玉のない空砲だから心配せず、前へ推し進め」この激励に力を得た示威群集は一層気勢を上げて銃の音を気にせず突進して行った。
 実弾はついに発射され、いちばん前にいた三人が血をあびて倒れた。「実弾だ、弾があたり死んだ」前から誰からともなく声があがり、驚いた群集はちりじりに逃げ出した。8月20日の事であった。

出て行くや、待機していた武装職員と鹿洞から応援にきた武装治安隊によっていきなり縛られ、その場で銃殺されてしまった。前もって用意されていた海辺の窪みに処理されてしまった。
 事前に作成された名簿により、職員たちにより患者指導級の人が各部落から引き出されては銃殺された。最後は窪みに薪を積み火をつけ、その上に生きた人を放り込んだ、まことに阿鼻叫喚の生き地獄であった。死ねず苦痛を訴える悲鳴、生火葬を受けながらも泰然と座り自己の霊魂を神に祈る患者幹部の姿もあった。周辺では同患が仏となり、死にいくのを見て精神異常になる者もでた。生きても悲惨の極みであった。動乱を鎮圧するとの口実のもと、事実は反対分子の粛清の手段として無慈悲な虐殺を敢行した呉順在などの行為は天人共怒する過ちである。武器の前に無力な患者に対してもう少し寛容でなければなかったし、銃殺しなければならない事情があったとしても最小限にかぎらなければならないことであった。

虐殺がここで終わりを告げたのではない。解放直前に園で購入しておいた大豆を積載しに桟橋方面に行った作業助手たちと人夫たちを海上で出迎え銃殺してしまった。多島海海峡が血で赤く染まり大豆だけが船艙にころがった。
 恐ろしい殺戮旋風が園内を吹きまくった。この海上殺戮で朴順岩、李聖基、趙敏吾、全昌述、除永達等5名は九死に一生を得て生き残り日が暮れるのを利用して海へ飛び込んだ。
 職員患者間の流血衝突の契機を作った張本人の石四鶴と患者の李宗揆はデモが失敗した日、身辺の危険を感じ真っ先に高興方面へ逃げた。一時は殺戮を免れたが結局は所在が明らかになり捕まり石四鶴だけは命は救われ、患者李宗揆は園生の見るなかで火葬されたとのことである。
 虐殺された総数84名。李宗揆の死を最後に職員患者間の敵対行為を中止しようという和解が生じ、二度とあってはならない虐殺の修羅場は幕を下ろした。
 1945年9月21日、アメリカ軍政庁から発令を受けた新しい園長が赴任して来た。



阿鼻叫喚の地獄絵図とは正にこのこと。
込み入って訳が分からなくなりますが、要するに日本人園長や職員が追い出された後、患者らが暴動を起こし死者も出る、同時に多数の患者が園(島)から逃亡→職員同士も内輪もめ→暴動を鎮圧するのに職員が患者を射殺したり生きたまま焼かれるという流れです。

これだけの事があってさすがの韓国人も何かを恐れて画像にある祠をそれなりに大事にしてきたのではないかと想像します。祀りかたが変な感じはありますが、社殿を新しくしたりしてかなり畏れていたのでしょう。





さてここからやっと後半。


小鹿島の事件の事は知っていたのですが、とある方のブログを読ませてもらっていて別の件で「小鹿島更生園」の名が出てきて驚きました。

「こたつと猫とわたしと日本」さんへのリンク

(ブログ主様ご本人の了承いただいたので内容一部転載させていただきます・囲み部分)

一番最初の記事によると、

--------------------------------------------------------------------------------

衆 - 本会議 - 55号  昭和23年06月04日

議長(松岡駒吉君)  救癩施設に関する緊急質問を許可いたします。榊原亨君。
〔榊原亨君登壇〕
榊原亨君  
 さらに問題となりますのは朝鮮人患者のことであります。
現在朝鮮人癩患者は、一療養所に約四、五百名くらい收容せられておるのでございまするが、

戰前朝鮮の小鹿島にありました約六千名の癩病患者は、終戰と同時に日本人職員が引揚げたのを機会に、全部これが脱出をはかりまして、この脱出いたしました六千名の癩患者の大部分は、あらゆる手段を講じて、日本に向け多数密航してきたのであります。 

その一例を申しますると、
兵庫縣の尼崎市におけるがごときものでありまして、これら朝鮮人患者は、日本において一團を組織いたしまして、不良なる日本人または朝鮮人と共謀いたしまして、いろいろ凶惡なる犯罪を犯しつつあるのであります。

そして、彼らの一部が万一警察に捕われましても、前に申し上げた通り、何ら処罰を受けることなく、そのまま癩療養所に再び收容され、 彼らはますます増長いたしまして、療養所内の秩序を乱し、勝手氣ままな生活をした後、折を見て再び三たび脱出するという順序を繰返しておるのでございまして、療養所は、この種犯罪者の安全なる温床となつておるのであります。
これらの点につきましても何らか緊急の処置を講じなければ、單に一般社会への癩病の傳染の危險があるばかりでなしに、社会の安寧秩序の上から申しましても、実に重大なる事態に至ることを憂うるものであります。


--------------------------------------------------------------------------------

戦後このような事があったのですね。
6千人もの癩(らい)病(ハンセン氏病)患者が日本に密入国してきたんですね。
更に一団を組んで日本で凶悪犯罪を犯し、病気を盾に療養所に逃げ込むという卑怯な手口。
当時の日本の管理者は相当に頭を悩ませて苦労されたと思います。
感染病ですから恐ろしい限りです。



前半に書いた「暴動を起こし撲殺まで起こした患者」「島から逃亡した患者」らは日本に密航していたのです・・・
(職員に追い立てられたり殺されそうになったり、一面では被害者でもあるとは思います)

職員による患者殺害のために仕方なく逃げた、密航してきてもその理由を申告し法律通りに療養のための施設に入れてくれ、というならまだしも凶悪犯罪組織となっていた訳です。
元から小鹿島更生園には犯罪を犯した患者用の刑務所が併設されていたようなので、そこから逃亡してきた人もいないとは限らない。

こんな事があったとは。
最近までハンセン氏病に関わる「人権」が問題視されていましたが、戦後間もない時期にこういう事があったら国民の間で余計な偏見が生まれても仕方ないとも言える。
真っ当な罹患者さんまでが変に思われることもあるだろうし、何よりこんな暴力事件起こした朝鮮人患者と同じ施設にいなければならなかった人達が気の毒だ。
人権人権という団体は、本当に人権を考えるなら真っ当な一般日本人患者さんと前科者ははっきり分けるべきであったし、世間に周知もすべきだった。




何から何までおぞまし過ぎる事件を書いてしまったので、お祓いの意味でいつも行く神社のお札に柏手打っておきましょ・・・







嫌な話題の後にはド派手なバナー(笑) 
よろしくお願いいたします

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1905年に書かれた『裏面の韓国』ー豚犬的生活って・・・

先日の続き

「韓国の裏面」 7.20 ←目次はこちらに

「裏面の韓国」
沖田錦城 著
輝文館 出版
明38.4 (1905)

ライブラリー裏面の韓国 

デジタルライブラリー 元資料

(私個人の主観で重要と思われる箇所、興味深い話の箇所だけを書き出しますので悪しからずどうぞ)

〇極東の秘密国 
韓国の人口は幾らあるかと言えば或は一千万と言う者もある。或は一千二百万人、或は一千五百万人、或は二千万人とも言うが、韓国政府の統計に拠ると一千万は無いようである。
これはいかにも奇怪な話でとにかく一の独立国が自国人民の統計を持たないのであるからその国の価値も判断せられるであろう。例えば一家の主人がその家族の頭数を知らんと同じことで一国の主人公たる韓国政府がその家族たる国民の頭数を知らぬような頓馬な政府であるから、国家の財政計画を立てるなどの事が出来得べき筈がない。

然るに今日までの多くの識者は韓国政府に向かって財政の改革をせよだの或は教育の普及を計れだの軍備の拡張をせよなどと言っているが、これは余程韓国政府を買いかぶった議論で、自国国民の頭数さえ知らぬ政府が如何にしてこれら大問題に対して計画を立つることが出来よう。
これらはとにかくとして、その人口は何も拠るべき根拠が無いから確たる総計を得ることは至難であるが、種々の点から調べてみると先ず千二百万人くらいの人口が確かだろうと思われる。
元来韓国は甚だ幼稚で未だ農業国にも至れない有様であるから今日の所、第一着手してやるべき事業は土地の開墾農業の改良などであろう。





〇亡国の縮図
「アララン、アララン、アラリーヨー、アララン・・・・ダーナカンダ」
この歌は韓国八道いたるところ都鄙となく老幼となく一般に啼唱さる俗歌であって、よくこの国の状態を写し一種亡国の韻を含んでいる。(略)
半島の風物中最も断腸の感慨を惹くはこのアララン歌曲に越すものはあるまい。
さてこの歌の大意「アララン」とは唖聾の義にて即ち唖や聾であれば唖聾なるかな、唖聾なるかな、天下の人は皆この唖聾となり総て国家の事には耳を塞ぎ口を禁じ、我から門外漢のとなり全く世と断ち離れ世間の嫌疑を避け、面白ろ可笑しくその日を遊び暮らすのが人世の得策である。あの聞慶(ぶんけいー慶尚道)の鳥嶺(ちょうれい)という山に生えているバクタルという樹はホンドツケという砧(きぬた)やパンマーニと称する着物を巻く物となって八道に供給されるではないか、という意味を謡ったのだ。
この歌が如何に韓国人の韓国人なるところを発現しているいると言うは、一度かの地に渡った者の首肯ところで、無気力な無精神な無主義なかの国民の思想もほぼ察せられ、哀れ亡国の状が尽くされている。

元来この歌は余程古い歌で今日までもその流行が少しも衰えないのはこの内に一種の魔力があるからで、つまりこの歌を盛んに謡っている韓人その者を支配するある物があることを認める事が出来る。
それは何物かと言えばアララン主義、換言すれば隠遁主義、事なかれ主義、小心翼々主義とでも言うべきもので、うっかり国家の事でも言い出してとんでもない嫌疑を受け一身一家の敗亡を招くような事があっては大変、国家だの社会だの公共だのとそんな大それた事には耳を傾けず目を貸さず、つまりアララン主義を固守してただ一身一家の安逸を計るのが策の最も得たるものと信じているのである。

斯くの如き歌の流行する限りは韓国は到底その発達を見ることは出来ない。故に吾輩は断言する。
韓国の改革が出来て再び日月の光を仰ぐ時期があるとすれば、即ちこのアララン歌曲の絶滅に帰した時である。
アララン歌曲は最もよく韓人の特性を発揮して、単純なるその頭脳を出来得る限り殺風景に、また卑屈に変化せしめたる一大勢力と謂うべきものである。




〇豚犬的生活 (一)
人もし釜山あるいは仁川の港に上陸せば、日本居留地の外れる辺りに豚小屋に均しき草葺き土塗りの倭屋(わいおく)三々五々として連なり、煙草煙管、駄菓子、草鞋、明太魚の類を地べたや軒先の嫌いなく無造作に並べ、牛豚魚肉を屠りて煮立て、そこには穢らしき白衣の韓人群衆して、喃々怪しき語音を弄し、声高に罵り騒ぐを見ん。
而して一種言うべからざる異様不快の臭気がプンとして鼻をつき、初度の人ならば大概な人までがびっくりして殆ど通過に堪えざるの思いをなし、未だその全部を見物するの遑(いとま)なくして早や勇気を失い、早々にして逃げ帰るもの、恐らく十中の八九であろう。
しかしかような人は大抵ともに韓国を語るに足らないので、事業をやっても直ぐ失敗、続いて失望、落胆・・・
最初韓人町よりほうほう逃げ帰りたるそれの如く、倉皇(そうこう・あわてて)逃げ出すは必定である。
韓国の韓国たるところは未開化な野蛮な不潔な臭いことして貧乏な処に籠れりと言うべきで、この臭い穢い野蛮な貧乏な特徴だけを取り除いてしまったら、差し引き何物も残らぬ訳で、つまりその旨味・・・買い処もそこに潜んでいるのであるから、具眼者はそこを買って貰わねばならぬ。




「豚犬的生活」は(四)辺りからかなり面白くなります。
食事の前後は読まない方がいいっていう感じの面白さですが

後日少しづつ挙げて行きます。




どうぞよろしく

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1905年に書かれた『裏面の韓国』ー併合前韓国の酷い状況

デジタルライブラリーより掘り出したシリーズ。

「裏面の韓国」
沖田錦城 著
輝文館 出版
明38.4 (1905)

(出版時期は日露戦争終結直後、日韓併合前であり、この頃は日清戦争により韓国独立=大韓帝国と自称していたので「韓国」という呼称になっています)

近代デジタルライブラリーへのリンク

ライブラリー裏面の韓国 

目次

第一章 極東の秘密国
 (上) 天与の好財源
 (下) 先ず韓国の飯を喰うの要

第二章 亡国の縮図
 断腸の歌詞==事勿れ(ことなかれ)主義

第三章 世界一の喫煙国民
 (上) 喫煙の由来==先天的嗜好
 (中) 煙草と韓人==煙草栽培の有望
 (下) 虚栄的の国民==紙巻煙草の代名詞

第四章 豚犬的生活
 (一) 韓人学の初歩==韓国の趣味
 (二) 家屋の構造==人間の豚小屋
 (三) 家屋の構造==神聖なる豚小屋
 (四) 家屋の構造==不倫の犯罪製造所
 (五) 世界一の不潔国民==韓国の七大産物
 (六) 糞尿と便所==その掃除人
 (七) 用便の方法==小便の効能

第五章 単調なるホーム
 個人主義の信念

第六章 族制主義 
 (上) 富者の義務==犯罪の連座
 (中) 族制の弊==公共的概念の欠乏
 (下) 族制の弊==国民相陥す(あいとおす)亡国の状

第七章 世界の遊惰国
 (上) 今日主義以下の人間
 (中) 雨天休業
 (下) 遊惰と服装

第八章  酒幕
第九章  飲食物
第十章  市場
第十一章 店舗
第十二章 韓人の日本観
第十三章 韓人一夕談
 ●湖南兄(こなんけい)に与えて内地生活の趣味を語るの書

附録 
 韓国みやげ一夕話



目次だけ見ればそれだけでも内容はほぼ想像出来そうです

少しづつ書き写してみます。

第一章 極東の秘密国 
東洋のバルカン半島たる韓国は世界に於ける一の秘密国である。今や中央政府の枢機から下地方の行政に至るまで万事我が国の手で改善を施しつつあるのであるが、土地が余り日本に接近し総ての事が知れ易いので灯台下暗しの諺通り、未だ我が国民は左程の注意を払わない傾きがあるが、総ての点から視察して見ると随分不可思議な点が多い。
そこでその不可思議なる社会上の裏面を紹介して諸君の参考に供するは全く無益の事ではあるまいと信ずる。



韓国と言えば何だか憐れっぽい、物悲しい淋しいような、金の無さそうな、つまらない、汚い、厭な国のように一般の人が想像しているが、なるほど金の無い点や、淋しき点は相違ないが、詰まらない、面白くない、取るに足らない、つまり望みの無い国のように思っているのは非常な間違いである。



「間違いである」と言いながら、とことん繰り返しネガティブ用語を羅列していて擁護になってない。(笑)
それでも未発達ゆえに前途有望ではないか、開発するのは日本の任務ではないかと書いている。

これに続く「アリラン」についての解釈が面白い。
いわゆる「唖耳聾」説から解釈したもの。
(後日書き写してみます)

当時の韓国の場合、社会(文化)人類学で言う「未開」とはまた違いますねえ。
レヴィ・ストロース『野生の思考』(1962年)で「野蛮(混沌)」から洗練された秩序が形作られたとする西洋中心主義に対し、混沌の象徴と結びつけられた「未開社会」においても一定の秩序・構造が見いだせる」として、それまでの未開観が変わった訳ですが、韓国の場合はこれには当たらないような。
かと言ってそれ以前の未開イメージとも違う・・・
ほんの一部層を除いて国家丸ごとスラム?
まあ韓国「オリジナル」なのでしょう


後日に続きます。






どうぞよろしく

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併合時代の朝鮮人による朝鮮論みつけた

国会図書館ライブラリーより、併合時代の朝鮮人による朝鮮論を見つけました。

著者の金振九という人は金玉均の信奉者であり近代化推進派だったようです。
まださらっとしか読んでないけれど、「日本に拠る統治は生温い! 朝鮮人の風習を尊重し過ぎて近代化できない」という感じで書いている。
「国の癌を切開」とは過激ですが、癌とは一体何を意味するんだろうか・・・

あとこの時代に既に「韓国の歴史は4300年」と書いてある
アイデンティティとしての神話で持ってるならまだしも、どうも現実の歴史として捉えている節がある。
この頃から歴史=ファンタジーだったのか・・。
あと事大主義と強烈な儒教思想のことも否定的に詳しく書かれています。
日本人の欠点として潔癖すぎて朝鮮人と交わろうとしない、欧米人宣教師に負けてるぞ、と書いています。
潔癖なためにシナや朝鮮と融和出来ていないとも。


全部読んでないので今日は簡単な紹介のみで内容についてはまた次回に。


デジタルライブラリーへのリンク


「国癌切開」
金振九 著
名古屋出版社
昭和11年 (1936年)



   国癌切開 ライブラリー




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関東大震災での朝鮮人による暴虐の詳細資料

まずこの報道から。

(朝鮮日報日本語版) 「今の日本の嫌韓は91年前と似ている」  ←朝鮮日報日本語版

韓国や韓国人をばかにして侮辱する「嫌韓本」が幅を利かせる日本で、関東大震災時の朝鮮人虐殺の実態を記録した『九月、東京の路上で 1923年関東大震災ジェノサイドの残響』が異例のベストセラーとなっている。

著者・加藤直樹氏(47)は15日、本紙インタビューで「嫌韓デモや出版物によって助長される差別と偏見の危険性を知らせるため、関東大震災の朝鮮人虐殺を伝える本を書いた」と語った。フリーランスの編集者をしている加藤氏はほぼ毎週、嫌韓デモの現場を訪れて反対運動を繰り広げている。



先に書いておきますが、「ジェノサイド」などという言葉は的外れもいいところ。
それでも日本人による朝鮮人殺害が多数起こったのは事実と思われます。
しかし! これは完全に防御防衛のためであり、一番の元は朝鮮人による各所多数の暴虐が始まりです。

朝鮮人と共産主義者による暴動はテロであり、その後の日本人自警のための犯罪を含めると一種の戦闘状態にあったのではないかと思える。

朝鮮人によって多数の略奪殺害が起こり、警察や軍は取り締まろうとしたが拘置所も燃え崩壊、被害甚大な中で取締ることも出来なかった。
それに加えて当局は「併合したのだから朝鮮人差別があってはならない」と検挙を控えたり一旦捕えた者を解放したりもした。
朝鮮人は単に掠奪が目的も多数だったが、武器を持っていたのには(当時でいう)社会主義者共産主義革命を狙う勢力からの煽りがあり、朝鮮人も掠奪暴行の先に大災害に乗じて首都占領、国家転覆までがあったと言われている。

その中で日本人は自ら守らねばと自警団を結成し、そこから民間人による朝鮮人取締りが始まる。
先に朝鮮人によって暴虐があったため、悪辣朝鮮人と無辜の朝鮮人の区別も付けず暴行に及んだ例があったのも事実のようだ。中には日本人でありながら勘違いされ被害にあった例もある。

自警団が警戒を強める中で、ヤクザ者が流言飛語を発信し始め、「不遜朝鮮人がやってくる」と恐れた住民の多数が町から逃げ出した所を掠奪していたというのまである。

まとめると

朝鮮人多数の個別犯罪、共産主義革命狙い、両者による暴虐

警察機能の停滞

日本人自警団結成
朝鮮人を警戒、過ぎたものは朝鮮人への暴行殺害

当局が朝鮮人を保護


こんな所ではないかと思われます。

以下、デジタルライブラリーより新字体に変えて引用します。
出版元の「霊肉統一団」とは何者なのかググっても出てこず不明で、何かの宗教団体と思われますが、内容については嘘があるとは考えられず、朝鮮人についても「日本人と朝鮮人、互いに心入れ替えて仲良くならねば」的な結論になっています。
今回引用するのは朝鮮人による暴虐の詳細ですが、この後に「日本人による朝鮮人への暴虐」も書かれています。
(それについてはまた次回)
1924年発行ということは関東大震災が1923年9月1日だからその翌年。
リアルタイムでの生々しい記録と言える。

 
デジタルライブラリー内 元資料

( )内注釈は私が付けました。
(本書に書かれた以下の事件は新聞報道されたのを纏めたものであり、「逃走」とあるものの氏名が判明しているのは後に検挙されたと思われる)
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
ああ人間 表紙

「吁(ああ)人間」
桑原真瑞 著
大正13年(1924年)
霊肉統一団 出版

(不逞団の暴行顛末報道が解禁になったのは10月20日)
10月1日午後6時頃、本書中之郷付近で、鮮人・鄭きえい(テイキエイ・さんずいに熙+瑩)なるもの罹災者から衣類道具を掠奪し、それを運搬中取り押さえられ。

同日午後8時過ぎ、氏名不詳の鮮人1名、日本橋北鞘町一石橋際(ぎわ)大谷倉庫へ放火して逃走。

同日午後11時過ぎ、本所柳島電車終点で、鮮人・金孫順(キンソンジュン)なるもの、通行の婦人に暴行を加えんとして果たさず、バスケットを強奪し、一時亀戸署に監禁されたが、同署類焼のため解放され行方不明。

同日同刻2回に渡り、鮮人・姜金山(キョウキンサン)ほか30名の一団、本書柳島元町呉服商、中里奥三方(なかさとおくさんかた)に押し入り、店員に暴行を加え呉服類を強奪、姜は亀戸署に拘禁されたが類焼のため解放。

同日午後6時から11時にわたり、氏名不詳の鮮人15,6名、本所押上町新町裏を、同所、榎木豊吉が夜警中怪しい鮮人団を認めるや鮮人は棍棒で豊吉の額を殴り逃走した、それを群衆が捕え、亀戸小学校で手当中、更に逃走。(「手当て」とは取り押さえている状態のことと思われる)

2日午後9時、府下吾嬬(あづま)町京成電車踏切で、崔先卜(サイセンボク)、金実経(キンジッケイ)の両鮮人が付近警戒中の在郷軍人にピストルを発射して逃走。

同日午後11時、吾嬬町にて鮮人・林松致(リンショウチ)なるもの、伊藤染工場屋根に上り、六連発のピストルで群衆に連射して逃走。

同日同刻、鮮人30名ばかりの一団、府下小松川橋と小橋の堤上に縄を張り、通行中の重砲兵7連隊第一中隊長代理、高橋克己中尉の自働自転車を阻止して危害を加えんとした。

同日同夜、吾嬬町にて、1名の鮮人が銘酒屋の仲居に暴行を加える。

同夜8時頃、荒川放水路木田町修理中のトロ内(深い溝のこと)で、呉海模(ゴカイボ)なるもの、ダイナマイト11個その他を所持しいるを逮捕。

同日、卞奉道(ベンホウドウ)、卞之泳(ベンシエイ)からダイナマイト2個を貰い、南千住字(あざ)千住南の鉄道線路に持ち出したる者あるを捕える。

同夜12時、1名の鮮人が府下瑞江村江戸川橋、橋脚を鉄棒で破壊中、騎兵第15連隊の阪本軍曹らが射殺した。

3日早朝、内地人が1鮮人を誰何(すいか)したところ、ピストルで射殺した上、更に通行中の職人の後頭部を傷つけて逃走。

同日朝6時、警官2名に追われ両国橋西袂に来た1鮮人を、近衛歩兵1連隊、浦谷二等卒が捕えんとしたところ、抵抗した上、爆弾を取り出したので射殺。

同日朝9時、日本服を着た自称・李王源(リオウゲン)なるもの、毒薬亜砒酸を携え、本所菊川町付近の唯一の飲料水である消火栓付近を彷徨中、群衆に捕えられ食塩だと強弁し、そんなら自分で試してみよと、それを飲まされてたちまち悶死。

同日午後1時頃、爆弾入りのバスケットを持った鮮人4名、南葛飾郡水元村内を通行中、青年団に取り押さえられたが逃走。

1日夜から3日にわたり、自称、金(キン)某ほか4名は月島に入込み、警戒中の民衆にピストルを放ちあるいは刀棍棒などで襲撃し、うち4名は取り押さえられたが、そのうち1名は1日夜、深川東森下町の汁粉屋に放火した悪漢、また金(キン)某は2日午後9時、月島2号地渡邊倉庫に放火し2棟を焼いた悪漢である。

この他特に残酷を極めたのは、2日夜10時、南葛飾郡木田町四ツ木荒川放水路提上で、鮮人4名が、避難中の16,7才の娘に暴行を加えた上、殺害して荒川に放棄したということ。なお程ヶ谷山中へ逃げ込んだ鮮人10余名は、5日午後3時頃、40歳前後の『吉田』と刻印ある金指輪をはめた商人風の男を殺害した上、6日夕、帷子川で洗濯している程ヶ谷町、田中まさ(37)に暴行を加えた上、長女ますら(7)と共に帷子川へ突き落したことである。


さすがは不逞鮮人、その残忍ぶりはちょうど露国(ロシア)のパルチザンに似て、より以上酷いやり方、支那の馬賊などの遠く及ばざる悪逆ぶりと言わねばならぬ。
安政以来の大地震で、更に大火災の最中で、幾十万の人間が逃げ惑っておるその最中の出来事であるだけ、群衆の激昂は頂上に達し、不逞鮮人、いな鮮人さえ見れば悪魔のよう、鬼畜のよう、また猛獣のよう見なされたは、実に是非もない次第であった。


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引用ここまで

この具体的地名と姓名入りの情報は信じていいと思う。
しかもここに書かれてあるのは東京、横浜など広大な被災地全体のほんの一部。
韓国政府も日本国内の反日勢力もジェノサイドなどと騒いでいるが、上記朝鮮人の暴虐を完全にスルーしている。

どうぞこの内容を拡散して下さい。








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