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「観音浄土に船出した人びと 熊野と補陀落渡海」

今日の 本は

観音浄土に船出した人びと―熊野と補陀落渡海 (歴史文化ライブラリー)観音浄土に船出した人びと―熊野と補陀落渡海 (歴史文化ライブラリー)
(2008/02)
根井 浄

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「即身仏」は知っていたが「補陀落渡海(ふだらくとかい)」なるものは知らなかった。

補陀落とは何か
=====
観音菩薩が住む南方の浄土=補陀落世界を目指し、現身を舟形の棺に納めて大海原に船出した人びとがいた。宣教師の記録や絵画史料、渡海船の構造から、「南方往生」と補陀落渡海の世界観を解き明かす。
=====

熊野だけでなく伊予国、和泉国あるいは室戸岬、九州や日本海側でも行なわれていたらしい。
「船出」とは言え、実質的には自殺行為だ。

「熊野年代記古写」に9世紀~18世紀前半まで20人の渡海上人が書かれており、僧侶を中心に追従する信者も渡海船周囲で入水していたようだ。「同行16人」などの記録が残っている。
それら追従者が身体に錘となる石を括りつけ海中に入る「渡海」と、渡海用に仕立てられた船の上に外からクギを打ちつけ光も通さない小部屋を作り篭ったまま「浄土」を目指す方式とがある。
数日分の食糧は入れておくが、小部屋は身体一つ動かせない箱であって、あとは潮に流されるまま。
あるいは元から船底に孔を作っておき栓を抜けば沈んでいく・・
当時これを見聞した欧州からの宣教師らは「悪魔に礼拝を為す」と悪魔の所業のように書いている。

こんな想像するに苦しい方法、即身仏とどっちがラクだろうと考えたが、浄土や成仏とはそういう単純安直な物ではありません・・

ただ一人、16世紀の日秀上人という僧侶は那智海岸から渡海船に乗って、沖縄東部の海岸に漂着した。
当地に観音寺を建て、その後薩摩に渡り島津氏の庇護の下、寺社再興に寄与したと。

そういう人も居たと知るとちょっと安心するのは凡人なるが故。

この渡海船の構造だが、僧侶が入る密閉小屋の四方には鳥居が立てられる。
本書説明に拠ると「四門は現今の葬墓習俗としての殯(もがり)に原型がありーーーー四門について、発心門、修行門、菩提門、涅槃門と、火葬の火屋の四方の額を打つ、と説明するように四門はまた葬場における装置を示すものであった」
大きな鳥居に囲まれた、この形の渡海船の画(那智参詣曼荼羅)が載っているが、見るからにコチラ側でない世界、触ってはいけない世界だと感じられる。

その(もがり)とは何ぞや?と調べてみると
=====
殯(もがり)とは、日本の古代に行われていた葬儀儀礼で、死者を本葬するまでのかなり長い期間、棺に遺体を仮安置し、別れを惜しみ、死者の霊魂を畏れ、かつ慰め、死者の復活を願いつつも遺体の腐敗・白骨化などの物理的変化を確認することにより、死者の最終的な「死」を確認すること。その棺を安置する場所をも指すことがある。
=====
これまた壮絶な光景・・

この四門に見覚えがあるなと思ったら、身内の葬儀の時、墓所が整うまでお骨を収めて置く櫓を作るのだが、その周囲四方に確かに鳥居型のシールを張っていた。
仏式(真言宗)なのに何で鳥居?今も神仏習合?と不思議だったが、これのことだったか。
一種の結界なのか。
「平家物語」二条天皇崩御の際の墓送り作法にこれがあったというから、かなり古くからの風習だ。
この本を読まなかったらお墓の鳥居やもがりを知らないままだったなあ。





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閣僚・議員の靖国参拝報道に思うこと

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EL&P 「賢人」 The Sage

EMERSON LAKE & PALMER - The Sage


I carry the dust of a journey
That cannot be shaken away
It lives deep within me
For I breathe it every day

You and I are yesterdays answers
The earth of the past come to flesh
Eroded by times rivers
To the shapes we now possess.

Come share of my breath and my substance
And mingle our streams and our times
In bright infinite moments
Our reasons are lost in our rhymes.

振り落とすことも能わぬ塵を携え長い旅にある
塵は己の内に強固に留まり
日毎呼吸するが如く生命そのもの

我らは連なる過去に適ったもの
太古大地の塵から肉体となった
時間という流れに削られ
今あるように形作られたのだ

この命も己で在らしめる本質までも共に分かち合おう
各々が小さな流れとしたら時間ごと
煌く無限の時の中に 合流させよう 
同調した韻律となった我らの前に
個の論理など消えていく

(訳詞・自分 - それ間違いでないの~とお気づきの場合、御教授下さいませ)



dust, breathと言えば創生記第二章↓
ーーーーーー
And Jehovah God formed man of the dust of the ground,
and breathed into his nostrils the breath of life;
and man became a living soul.
主なる神は土のちりで人を造り、命の息をその鼻に吹きいれられた。
そこで人は生きた者となった。
ーーーーーー

手塚治「火の鳥」のイメージ。
グレッグ・レイクが火の鳥を読んだかは知らない

あと一番近いのが集合的無意識や、トランス・パーソナル(心理学)か。
「個を越え大いなる何ものかに統合される」という。
嵌り過ぎるとオカルトやカルトの領域に入ってしまいかねない






大陸浪人というもの

昨今いろいろ面倒を起こしてくれている中国と半島
政治家や知識人の中には地政学的・防衛戦略的な必要からかけ離れてこれら「大陸」に拘る、あるいは国益損じてもあちら側に付こうとするほどの御仁(国賊とも言う)が少なくなくない。
まあ例えば孫崎とかニワとか河野親みたいな人が典型ですね。
これは明治期からの大陸浪人というやつと似てるのか?似て非なるものか、少なくとも今の親中派や親朝鮮派とは気概からして真逆にしか思えないが、大陸浪人の色々を平行して読んでいるところ。


大陸浪人 (徳間文庫)大陸浪人 (徳間文庫)
(1986/08)
渡辺 龍策

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(↑この本は古書で買ったがアマゾンにも新品として出てないので絶版?
纏まってありかなり良書と思う)
以下本文抜き出し

=====
天下国家を自分一人で背負って立っているという、自意識過剰な青年たちが、うようよしていた時代があった。やがて彼らは、日本は住み難い、狭い国土であるとして中国大陸への進出を目指した。--明治の中頃から大正そして昭和の初めにかけてのころである。
その中には、様々なタイプの人間がいた。単純な志士的気概を持ったものもいたし、国内で食い詰めてしまったり、生産的定職を持たないものも多かった。玄界灘を渡って、憧れの大陸へ行ったこうした一群の男達は、善玉も悪玉もひっくるめて、一口に「大陸浪人」と称される。いわば明治のロマンチシズムの生んだ落とし子である。
(中略)
ひとくちに大陸浪人と言っても色々の範疇に分類される。私見として、北方型・南方型・国士型・壮士型・後方型・尖兵型・思想型・行動型など、いかようにも分類できるほど種々雑多である。
=====


馬賊王小白竜 父子二代―ある残留孤児の絶筆秘録馬賊王小白竜 父子二代―ある残留孤児の絶筆秘録
(2005/05)
小日向 明朗

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日本軍の金塊: 馬賊王・小日向白朗の戦後秘録日本軍の金塊: 馬賊王・小日向白朗の戦後秘録
(2013/02/26)
関 浩三

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上記二冊は同一人物、小日向白朗=小白竜に関するもの。

闘神―伊達順之助伝闘神―伊達順之助伝
(1990/11)
胡桃沢 耕史

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伊達政宗の子孫に当たる人らしい。


「馬賊王 小白竜」の著者は息子の小日向明朗だが、この人は終戦後父親白朗が帰国する際に中国に残してきた子で、残留孤児として帰国したのは晩年になってかららしい。
子供の頃の僅かな記憶と、前半は馬賊王としての父親の動向を「想像で」小説として書いているので、大陸浪人を知る上ではあまり参考にはならない。
まるでスーパーマンの如く描いてあるので身内贔屓で書いたものなんだろう。

一番現実側面から詳細に書かれているのは、「大陸浪人」渡辺龍策著 でしょう。
まだ半分も読んでないけど。
ぼちぼち読んでいづれ一冊づつ取り上げてみようと思う。

それにしても
孫崎とか、他にもやたら中国に行きたがってる河野や加藤とか?自民党老害
そんなに中国が好きだったら大陸浪人のようにあっちに骨埋める覚悟で、行ったらもう帰って来るな!


31.jpg
 今日は冬みたいに寒いにゃ~



「ゲッセマネの園」 ジーザス・クライスト・スーパースターより

Gethsemane (Andrew Lloyd Webber's classical opera - Jesus Christ Superstar)




I only want to say
If there is a way
Take this cup away from me
For I don't want to taste its poison
Feel it burn me,
I have changed I'm not as sure
As when we started

Then I was inspired
Now I'm sad and tired
Listen surely I've exceeded
Expectations
Tried for three years
Seems like thirty
Could you ask as much
From any other man?

ただ言わせてほしい
もしやりようがあるならば
この苦杯を私から取り去ってください
焼け付くような毒など味わいたくはない
私は変わってしまった
始めた時とは確かに違うのだ

あの頃は啓示に突き動かされていたのに
今では悲嘆にくれ 疲れている
聴いておられますか 期待以上の事をやったのは確かなことです
3年の間尽くしてきたが30年にも思える
これ程のものを 他の誰に望めるというのですか

But if I die
See the saga through
And do the things you ask of me
Let them hate me, hit me, hurt me
Nail me to their tree

I'd want to know
I'd want to know my God
I'd want to know
I'd want to know my God
I'd want to see
I'd want to see my God
I'd want to see
I'd want to see my God
Why I should die
Would I be more noticed
Than I ever was before?
Would the things I've said and done
Matter any more?

I'd have to know
I'd have to know my Lord
I'd have to know
I'd have to know my Lord
I'd have to see
I'd have to see my Lord
I'd have to see
I'd have to see my Lord
If I die what will be my reward?
If I die what will be my reward?
I'd have to know
I'd have to know my Lord
I'd have to know
I'd have to know my Lord

だがどうせ死ぬなら
預言書に丸ごと見合うよう
あなたが求めていることを為してください
民衆が私を憎み、鞭打ち、痛めつけるよう
柱に磔にするよう
仕向けてください

私は知りたい 神よ 知りたいのです
理解したい 神よ 理解したいのです
なぜ死なねばならないのかを
死ねばこれまでよりもっと注目されるのでしょうか
今まで語り、為してきた事が少しでも重要視されるのでしょうか

知っておかねばならない 主よ 知っておかねば
理解しなければ 主よ 理解しなければならないのです
死ねば何か褒美があるのですか
何か私に褒美が
主よ 知っておかねばならないのです


Why, why should I die?
Oh, why should I die?
Can you show me now
That I would not be killed in vain?
Show me just a little
Of your omnipresent brain
Show me there's a reason
For your wanting me to die
You're far too keen on where and how
But not so hot on why

Alright I'll die!
Just watch me die!
See how, see how I die!
Oh, just watch me die!

なぜ、なぜ死なねばならないのですか
ああ なぜ
教えてください 今ここで!
無為の内に死に追いやられるのではないと
あなたの全知全能ぶりを ほんの僅かでも見せてください
私に死ねと望むには理由があると ちゃんと示してください
あなたは事を為す場所や方法にばかり熱心で
なぜそうするのか 理由などおざなりだ

わかった!死のうではないか!
私が死ぬのを しかと見ていてください
どんな風に死んでいくかを
しっかり見てください!

Then I was inspired
Now I'm sad and tired
After all I've tried for three years
Seems like ninety
Why then am I scared
To finish what I started
What you started
I didn't start it

God thy will is hard
But you hold every card
I will drink your cup of poison
Nail me to your cross and break me
Bleed me, beat me
Kill me, take me now
Before I change my mind

あの頃は啓示に突き動かされていたが
今は悲嘆にくれ 疲れている
ともかくも3年の間努力してきた 90年にも感じられるほどに
なぜ今になって 終わりにするのを怖れるのだ
私自身が始めたことではないか
いや 神よ、 始めたのはあなただーー私ではない!

神よ あなたの意志は固く
切り札を全て握っている
ならばあなたの用意した毒を飲もうではないか
私を十字にかけ
くじき 血を流させ 打ちのめし 殺して 
連れ去ってください
我が意の揺らがぬうちに



(訳詩・自分で)
趣味で洋楽の訳詩をやってみてますが、それ解釈おかしいよと気付かれた方はご遠慮無く指摘して教えて下さいませ。


いわゆる「南京事件・虐殺」 イェール大神学部資料への疑問

いわゆる南京虐殺・南京事件、あちこちで検証されているが見た事の無い資料を出しているページがあったので不可解な点を挙げてみる。

その資料とは

The Nanking Massacre Project
(↑ここをクリックして下さい)

Yale University Divinity School はイェール大学総合HPの中にdivinity schoolとあるので大学内の神学部だ。

この資料の中の
photographs

を見ると数行の説明文と数々の「証拠」写真が出てくる。
(遺体写真もあるので弱い方は要注意ーー弱い方の私でも見られる程度のものですが)

・「日本兵に殺された人々」とあるが、多数の遺体が並ぶ画像が「日本兵」がやった証拠とはいかに?
・建物に煙が上がっている写真、「日本軍が占領の後に火をつけた」、煙だけでそれが証拠となるとは?


キリスト教徒日本兵?

↑何でしょうこれは。
説明では「南京陥落の後に避難所である教会でクリスチャンの日本兵が手伝った」

・真ん中で映っている軍服を着た日本兵は、どうやってここに入ったのか?止められることも殺されることも無く入ってこられたのか?
・クリスチャンだからと一人部隊から抜け駆けしてきたとして、脱走ではないのか。脱走兵が軍服のまま堂々としているのはなぜ?
・「虐殺」しまくったとしたら軍服姿の日本兵を避難民が恐れないはずがない、なぜ軍服のまま?
・いくら協力者とは言え「加害者」側であるはずの日本兵を真ん中に入れて写真を撮る?

キリスト教徒日本兵 2

↑「協力してくれたクリスチャン日本兵は避難民に石鹸、タオル、ビスケットを支給してくれた」とある。

・「虐殺」したはずの日本兵がこの軍服姿で配って廻るとどうなる?市民は抵抗なりパニックにならないのか?
しかも銃剣下げたままと見える。
・この兵士は誰なんだ?脱走でもしない限り避難民を助けるなど出来ないと思うが、配れる程の大量の支給品をどうやって持ってきたのか。
・潜入工作員かも知れぬという危惧は無かったのか?



他の写真でも「虐殺」から逃れ怖い目に遭ったはずの子供らが屈託無い笑顔だったり、支援の女性達も「数万数十万」の虐殺があった地域とは到底思えない柔和な笑顔していたりする。

特にこの日本兵のことが不可思議でならない。
虐殺など有りもせず、国民党軍との戦闘、敗走の後に日本軍が南京市民への支援をしている図と見れば容易に理解できるが。


神学部は独立性が高いのかも知れないが、天下のイェール大学ともあろうものが証拠にもならない写真を並べて「日本兵に拠る虐殺」と決定事項として明記するって、学術面だけを考えてもこんな事が許されるのか?
詳しい検証など全く無しに?
?マークだらけだ。


アメリカで、世界中で、こんな不合理・非理性的な決め付けが行なわれているとしたらガリレオの異端審問時代に逆戻りしているとしか言えません。






映画「頭上の脅威」

今日はまたも 古い映画

「頭上の脅威」
LE CIEL SUR LA TETE
1964年 フランス=イタリア合作
[仏新鋭航空母艦クレマンソー号に緊急命令が入った。だが何事か知らされない。やがて警戒中のパイロットが円盤状の謎の物体を発見、目のくらむような閃光に仰天した。母艦は放射能に汚染された。物体は一体何?]





 念願のDVD化!
昔テレビでこれを見てから、また観たいと思い続けン十年。
UFOを荒唐無稽でなく現実的脅威として扱い当時では斬新だったと思う。

その頃のフランス映画と言えば「太陽がいっぱい」「シェルブールの雨傘」
あるいは少し後の「哀しみの終わるとき」やマルチェロ・マストロヤンニのもっとドロドロ恋愛物が主流だったので、こういうミリタリーかSFものは新鮮だった。

脅威=UFOの描き方が、はっきりと表に出さない分余計怖いが放射能除去するシーンの方が一番印象に残っている。
放射能って水で流せばいいんだ!と思い、除染の時には空母のデッキに取り残されないようにせなアカンわ!と。(いつ空母に乗るんだ
見ていた当時は国内で地域ごと除染する事になろうとは想像も出来なかったから笑い事では無いが。

そう言えばこの映画の頃、60年代は核保有国が世界中で核実験やっており、フランスなどポリネシア方面で100回以上やっている。
カトリーヌ・ドヌーヴのロマン溢れる恋愛映画の一方でマッチョが過ぎる所もあるなあフランスって国は。



聖書 詩篇第23篇 と 映画「我が谷は緑なりき」


舊新約聖書―文語訳舊新約聖書―文語訳
(2009/08)
不明

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映画「我が谷は緑なりき」 1941年 監督ジョン・フォード

わが谷は緑なりき [DVD]わが谷は緑なりき [DVD]
(2005/02/04)
ウォルター・ピジョン、モーリン・オハラ 他

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ストーリーはamazonより
=====
舞台は19世紀末の英ウェールズ地方。貧しいながらも平和な日々を過ごしたいた炭鉱夫モーガン一家。しかし経営者が賃下げを断行したことから、家族はやがてバラバラになり、次々と不運に観舞われていく。とめどもない悲惨なドラマを、モーガン家の末っ子ヒュー(ロディ・マクドウォール)が回想。
=====

昔気質の頑固親父さんがいて、息子達がいて、ちょっと反抗的な子もいて、ストーリーは悲惨な面があるが全体として「古き良き時代」な印象を受ける。
1世紀昔の庶民の家族関係や実生活は日本も英国もそう違いは無いように思えた。
信仰がどんなであっても、社会情勢・世相が導く庶民の姿はこの時代既に東西違わなくなっていただけなんだろうか。

映画の中心となるのは事ある毎に親父さんが朗読する旧約聖書の言葉。

重要な場面での聖書、あるいは朗読となると訳は文語体でなければ、と思っているので↑上記の文語訳から抜き出してみる。

(文語訳は旧約の場合、明治期に英文から翻訳され現在は「主」とするところを「エホバ」としている。この点だけはエホバとするとそぐわない(誤訳とする人もいる)ので「主」と替えさせてもらいます)


詩篇 第23篇
ダビデのうた
主はわが牧者なり。われ乏しきことあらじ。主は我をみどりの野にふさせ いこひの水濱にともなひたまふ
主はわが霊魂(たましひ)をいかし名のゆゑをもて我をたヾしき路にみちびき給ふ
たとひわれ死のかげの谷を歩むとも 禍害(わざわひ)をおそれじ
なんぢ我とともに在せばなり
なんぢのしもと(鞭)なんぢの杖われを慰む
なんぢわが仇のまへに我がためにえん(食事)をまうけ わが首にあぶらをそゝぎたまふ
わが酒杯はあふるゝなり
わが世にあらん限りはかならず恩恵と憐憫とわれにそひきたらん
我はとこしへに主の宮にすまん



イザヤ書 第55章
汝らは喜びて出てきたり平穏かにみちびかれゆくべし山と丘とは声をはなちて前にうたひ
野にある樹はみな手をうたん
松樹はいばらにかはりてはえもちのきは棘にかはりてはゆべし
此は主のほまれとなり又とこしへの徴となりて絶ゆることなからん


「死の陰の谷を歩むとも」の対比が「我が谷は緑」であり、モノクロに煙った炭鉱町も信仰によって緑の野とするのだ、という心意気なのか。
村を出て行く息子への餞としてのイザヤ第55章も若い人の将来への希望へ繋げていく。

J.フォード監督は炭鉱町の苦悩をも叙情豊かに描いている訳だが、一方でこの映画と同時期に「戦場カメラマン」ならぬ野戦撮影班を作りドキュメントを製作したのですね。
太平洋での日米海戦の映像の多くがフォードが関わっているらしい。

「我が谷は~」と海戦がどうも一致しないが、映画が秀作なのには変わりない。






松浦亜弥がこんなに凄いとは・・

今はまっている歌手がいる。
松浦亜弥だ。(アイドル時代はあまり興味無し)

松浦亜弥 『Subject : さようなら』



たまたまこの動画に行き当たった時、見た目もこれ誰?だったが、歌を聴いてびっくり。
上手すぎる・・
技術的に上手い上に表現力が凄い。

最近の上手いとされている(実際上手いとは思う)「アーティスト」と呼ばれる歌手は少なからず居るが、私個人的にはどうもドヤ上手いでしょ的な「あざとさ」が気になって仕方ない。
松浦亜弥の最近の歌にはそれが感じられず、そのまま歌の世界に引き込まれる。
特に↑の曲では鬼気迫る女の情念に圧倒される。

自分も下手なド素人ながら少し歌をやっている者として松浦さんの歌の語尾の収め方に感心させられる。
意識的にやろうとしてもコントロール出来るのはプロでもそう居ない。
そしてそのテクニックを感じさせることなく聴く者をさらっと引き込んでいく。
要するに天分ですねえ。

こんな上手い本物の歌手をテレビ・マスコミは放って置いて、そりゃあ視聴率も取れないはずだ。
優れた才能を持つ人達を出すことも無く、売り出すことも無いマスコミ。(デンツウもか)
他にもどこかに居るのかも知れないが、マスコミが扱わない限り居ないと同じになってしまう。
益々ネットの力が重視されて当たり前になりますよ~。

最後に
これも竹内まりや作の

松浦亜弥 『みんなひとり』






「『捨て子』たちの民俗学 小泉八雲と柳田國男」


「『捨て子』たちの民俗学」

「捨て子」たちの民俗学―小泉八雲と柳田國男 (角川選書)「捨て子」たちの民俗学―小泉八雲と柳田國男 (角川選書)
(2006/12)
大塚 英志

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「あんたは橋の下から拾ってきた」は私も小さい頃言われた気がする。
そして自分自身も我が子たちに(意識的に)言った
「神社に落ちてたから拾ってきた」「お祭り行った時に落ちてた」とか言ったかな。
最近では「コンビニで売っていた」などの変形パターンもあるらしい。

小さい子もこれを真に受けて気に病んだりする事はほとんど無く、親子間で暗黙の了解のように戯れ言葉になってくるのが普通だ。
子供が少し大きくなると「あーはいはい」と相手にもされなくなる

さてこの親子間の定型戯言のようなこれは一体何なんだろうと思って、行き当たった本がこれ。

けれど「捨て子論」はほんの一部で殆どが小泉八雲・柳田國男への批判ばかり!
著者の大塚氏はサブカルチャーの中心にいる人らしいが、どうもかなり捻くれてますね。
八雲、柳田のことを優生学的差別主義者だのと導こうとし、果てはユングまで出してきて差別的幻想に陥った蒙昧な人達、とでも言いたいような。
階級闘争史観というのか、それが鼻について仕方ない本だ。

けれど「捨て子論」に限ってはまあまあ面白い。
「狼に育てられた子」、「子育て幽霊」(幽霊飴)、「子捨て川」などを「間引き」に絡めて解いていく。
幻想=ファミリーロマンス(ファンタジー)を作ることで「間引き」の心理的負荷を減じたのではないか、と。
そして柳田の「棄児は即ち赤坊の押し売り、断り聞かずの養子の申込と見」を言葉から、儀礼的捨子風習も解いている。
拾う人を用意した上で形だけ棄てる風習を、捨子こそが英雄・貴種というファンタジーに繋げているのは確かに面白い。
棄てられた上で又拾われる事が「社会で受け入れられる・承認される」ことを意味するというのも。

けれど著者は「明治以降の国家ファシズム体制がそれを許さなくなった」との論調に変わっていくのがどうも・・
ここで又、階級闘争史観ですか・・とちょっとうんざり。

八雲と柳田國男、夏目漱石までファシズムだの書かれたらアチャーとなりますねえ・・。



30.jpg
 ボクらはホンモノの元捨て子だけどそれが何か?



旧制中学時代の父の写真

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韓国に拠る日本漁船拿捕を描いた映画「あれが港の灯だ」

今日はまた古い映画

「あれが港の灯だ」 今井正 監督 1961年

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(2010/06/01)
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今やマスコミ他で無かった事の様にされている、日本海での韓国に拠る日本漁船拿捕を巡っての人間ドラマ。

あらすじ ←込み入って分かり難いですが

↓こちらも(東京国立近代美術館HPより)
=====
当時の韓国の李承晩大統領が朝鮮半島と日本の海上に設定した「李ライン」、これを越えて操業する日本漁船は例外なく拿捕されるとの政策が実行されていたのだが、この大きな政治問題を背景として、身分を隠しながら生きなければならない一人の在日朝鮮人漁師の苦悩が描かれる。彼にとって、たどりつくべき「港の灯」は、どこにあるのか?
=====

今井正監督は共産党員だったらしいが、共産党がこのようなテーマを扱うとは今では考えられませんねえ。
当時の共産党は北こそ正義で南はアメリカの傀儡という立場だったからか。

この古い映画は監督も意図しなかったであろう、李承晩ラインの理不尽さと日本漁船拿捕やあるいは射殺事件という事実を半世紀後の今に伝えてくれる。

当時を微かに覚えているが、テレビのニュースでも「また拿捕未遂があった」「(漁師さんが)何年ぶりかで帰還した」と伝えられていたものだ。残された家族の苦悩もドキュメントでやっていた覚えもある。
それがある時期からぱったりと一切報道されなくなった。
今やまるでタブーのようになってしまっているが、去年だったか国会で石破氏がこの事件の事をご本人の記憶と絡めて暴露していたのは、胸のすく思いがした。

映画の解説の中には日本側にも問題があるように書かれているのもあるが、それはおかしい。
李ラインの問題、強硬な拿捕、韓国側による在日の人の扱い、それらが根幹の問題であって日本は巻き込まれているだけだ。本作品からも日本人漁師達が在日の人を受け入れているのに、拿捕事件がそれをさせないでいるのが分かる。
今現在も南北同じ民族同士で一触即発の危機にあるが、いくら独裁体制とは言え戦後長年それを崩せないで来た民衆に一切の責任が無いと言えるのかどうか。

とにかく 日本を巻き込むな!

こういう映画は当時の空気を伝えるよう改変無くリメイクして欲しいものだ。




「C級戦犯がスケッチした巣鴨プリズン」 「巣鴨プリズン13号鉄扉」

今日は二冊。

C級戦犯がスケッチした巣鴨プリズンC級戦犯がスケッチした巣鴨プリズン
(2011/04/12)
飛田時雄

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巣鴨プリズン13号鉄扉 裁かれた戦争犯罪巣鴨プリズン13号鉄扉 裁かれた戦争犯罪
(2004/07/01)
上坂 冬子

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まだ読んでないが、これも興味深い
看守が隠し撮っていた 巣鴨プリズン未公開フィルム (小学館文庫)看守が隠し撮っていた 巣鴨プリズン未公開フィルム (小学館文庫)
(2000/08)
織田 文二

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こういう巣鴨プリズン関係を色々読んでみると、これまでイメージとして勝手に想像していたものとはかなり違う、あ~そうだったのか、へ~そうなのかと思う事が多い。

「スケッチした~」の著者は自身も命令に拠る行動のためにC級戦犯とされたが、10年の入所の後釈放されている。主に東条英機の世話係であり、所内での重要人物の動向を知っている人だ。
表紙の絵にもあるように、プリズン内での食事時には東条であろうが皆お盆を持って並ぶ光景が興味深い。
ABC何級であっても一緒に、広田弘毅、土肥原、梨本宮、岸信介ら重鎮も変わりなく並ぶ。
食事は西洋風でバター付きなど十分なものだったようだ。

著者の飛田は自分の刑がどうなるか苦悩すると同時に、プリズンでの生活をユーモアを持って観察している。
東条のことも
=====
「ええぃ、このくそじじいめ、詰まらん戦争なんかおっぱじめやがって・・」
腹の中では思いっきり悪態をついていた。けれどその憎悪も東条の入浴係になったのを契機に、次第に氷解するから妙なものだ。
(中略)
東条の人間味を知った私にはむしろそれが精一杯のねぎらいの意思表示だと理解するようになり、尊敬の念すら抱くようになっていた。
=====
他の人達と処刑での別れや自身の裁判という究極の厳しい中でも著者は押しつぶされることなく、米MPとの交流もあったりプリズン生活のリラックスした一面を伝えている。
歳月経るうちに監視も緩くなっていき、1952年サンフランシスコ講和条約の後は日本に移管され、刑期が残る人はほとんどナアナアで外出外泊も出来ていたというのは知らなかった。
そりゃ同じ日本人、日本政府の所轄になるのにGHQが押し付けた「戦犯」を犯罪者として扱う理由は無いな。
アメリカへの手前、形だけ存続していたという感じか。

家族への仕送りのために所外へ仕事に出るのも普通になった。
(どの本にもはっきりとは書いてないが)広告代理店とあるから電通だろうと分かる。
元から満鉄情報部関係だからそっち関係者が入ったのかそこまで分からないが。
一流企業への就職が割りとあっただろうと想像出来る。
プリズンから出勤し、仕事が終われば一杯もひっかけて遅くにまたプリズンに戻る、そんな感じだったというのが意外過ぎて驚きだ。

「13号鉄扉」の方は主に処刑された人らの事なのできつい。
13号と書いてある扉の向こうに処刑台があった場所は今の池袋サンシャインビル横、東池袋公園内の隅にある石碑のところ。
サンシャインビルそのものもそこにプリズンがあった。
刑死者60名。
サンシャイン周辺が霊スポットと噂されるのも頷ける。

上記の本とはまた別のものだったかこんなエピソードがあった。
処刑がある日に限って監視の米兵やMPが大音量で音楽かけて大騒ぎする。一見不謹慎で冒瀆のように思うが、処刑の際の様々な音が響いて聞こえるので、米兵が堪らなくなってそうし始めたと。
係りのMPらは普段も「戦犯」特に死刑囚に対して一定の敬意を払っていたようだ。時に胸を痛める様子の人もいたとか。
現場の米兵は同じ軍人として戦犯という理不尽さを理解していた者もいたのだろう。

刑死者のご遺体は日本側には知らされず米軍によって処理されたが、日本側の事務や現場に関わる人達の努力で火葬場をつきとめ、『共同骨捨場から残骨を盗み出し、刑死者60名の分として遺族に等分に分骨した』とある。

上記のプリズン移管後の処遇もそうだが表向きは米軍に従うと見せて、日本人看守から火葬場の人まで、それぞれ現場の人ら(日本側)が細やかに善処していたのが分かる。
当たり前と言えば当たり前だが、それを知ってなんだかホッとする。





うちの猫 (1)

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「謎の円盤UFO」ブルーレイ・コレクターズBOX

今日はこんなのを見つけてしまった。

謎の円盤UFO ブルーレイ・コレクターズBOX(初回生産限定) [Blu-ray]謎の円盤UFO ブルーレイ・コレクターズBOX(初回生産限定) [Blu-ray]
(2012/12/05)
エド・ビショップ、マイケル・ビリントン 他

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かなり画質が良いと煽りやがってイケマセンですね~。
こういう商魂は許せません
売り切れて再プレスが無かったら困るし消費税増税する前にと思うし・・結局買う羽目になるのか・・

小学生の頃見ていてこのシリーズから知った事がいくつかある。
・「洗脳」という言葉と意味
・大気圏突入の機体の角度によっては高温度で燃え尽きる、通信不能になる
・太陽黒点が電波通信に影響を与える
・血管に大量の空気を注射すると死ぬ
・バズーカという物の存在
まだあったかな。

その割りに理数系に弱い人間に成り果てたのはどういう訳だ。
UFOがunidentified flying objectの略語だと覚えているだけでも良しとしよう。


「熊から王へ」


「熊から王へ」 中沢新一

熊から王へ カイエ・ソバージュ(2) (講談社選書メチエ)熊から王へ カイエ・ソバージュ(2) (講談社選書メチエ)
(2002/06/10)
中沢 新一

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実は私は
中沢新一、藤原新也、島田祐巳 の3人がごっちゃになる。
「西蔵放浪」はさて誰だった?とか。
島田だけはちょこっと顔思い出せる。

共通点が宗教、神秘思想系、チベットとあるからなのと
この3人はオウム真理教絡みで取り沙汰される事が多い。
擁護してみたり叩かれたら批判してみたり。
中沢の著書を読んで入信した人が少なからず居たというのはあったから一番強烈な人か。

下は解説文
=====
米同時多発テロと神話学――。この2つが根本のところでかかわっていると聞けば、異様な感じを受ける向きも多いだろう。だが、テロであれその報復であれ、すべての「野蛮」は神話的価値観の終焉がもたらしたといえるのだ。
本書は「超越的なもの」について、太古から人類が巡らせてきた思索を追うシリーズの第2巻。原初の共同体が崩壊し、王と国が生まれるまでを考察する。

無差別に動物を殺戮することなどありえず、生きるために殺しはしても、骨や毛皮は敬意をもって扱われた。人と自然が相互に往き来できる世界、いわば「対称性の社会」なのだ。こうした世界では、「権力」は本来、自然が持つものであり、社会の外にあった。人間のリーダーである「首長」は、交渉や調停といった「文化」の原理で集団を導く者だったのだ。だが、この「権力」が共同体内部に持ち込まれたとき、人間と自然は隔絶し、首長は王となって、国が生まれた。「権力」を取り込むことで成立した「国」は、人や自然を一方的に支配しようとする宿命を持つ。ゆえに国家というものは本質的に野蛮をはらんでいるのだ、と著者は言う。
=====

原始共産主義というかアナーキズムというのか。
結局ヒッピーやカルトのコミューンを一定の価値あるものとする方向へ向いている。
文明と「対称性ある社会」との妥協点・解決策としての仏教の解説はちょっと納得してしまうが。
(本来の教義から逸れて利権化することがあっても)仏教主体の国を思い起こすと、チベット、ミャンマー、タイ、スリランカ、まあ日本も入るか、強烈なイデオロギーに偏った「野蛮」が薄い気もする。
ミャンマー軍事政権を野蛮だと言う人はアウンサン・スー・チーの側の野蛮性を知らない。
スリランカも内紛様々あるし、タイも中国勢力が入って面倒な事になっているが、根本的な所で「対称性」というものが担保されてるような気がしないでもない。

ただ勝手解釈によっては危険極まりない方向へ向かう。
チベット仏教やダライ・ラマは色んな勢力に付け込まれて利用されがちだし。

人が集団で事を起こす時にどこか良心に引っかかって疚しい気持ちになる時、イデオロギーや教義や大義あるいは神話化・物語化したりするのが常だ。
原始社会やコミューンは神話化しているだけ、文明社会はイデオロギー化しているだけ、で根本はそんなに違いは無い。
どっちが善だ悪だというより人間そこから離れらないものだ、くらいでいいんじゃないのか。
「国家」を否定して原始コミューンだけを必死で擁護されても何かしっくり来ない。
南米へ行ってヤノマミに入れてもらうか自らヤ○○○へでも入るしかないな。




28.jpg
 にゃんこ社会もいろいろ大変やで~



加藤嘉 主演映画「ふるさと」

今日は本ではなく映画

映画チラシ 「ふるさと」監督 神山征二郎 出演 加藤善、長門裕之、浅井晋映画チラシ 「ふるさと」監督 神山征二郎 出演 加藤善、長門裕之、浅井晋
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アットワンダー

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1983年作で、DVD化されておらずVHSビデオももう販売されていない。
こんな秀作をなぜDVD化しないのか不思議で仕方ない。

まず加藤嘉の演技がとんでもなく素晴らしい。
モスクワ国際映画祭で最優秀男優賞を取った際、当地の試写会で「本物の認知症老人を使ったのか」と言われたほどの演技を超えた演技。
「砂の器」での千代吉役に勝るとも劣らない。
↓これは加藤氏がモデルとなった写真集絵本だが、このイイ顔で喜怒哀楽を演じるから堪らない。

ぼくのおじいちゃんのかお (幼児絵本シリーズ)ぼくのおじいちゃんのかお (幼児絵本シリーズ)
(1992/09/15)
天野 祐吉

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あらすじは
(以下ネタバレあるので注意)

=====
山狭の徳山村ではダム工事が行なわれていた。静かだった村の道をトラックが砂ぼこりをあげて走りぬけて行く。徳山村に住む伝三は、妻を亡くしてボケ症状が現れはじめていた。離村を余儀なくされている息子の伝六と嫁の花は、ダム工事の手伝いに出かけており、昼の間、伝三は一人である。それがいっそうボケを進めていた。隣人も忘れてしまい、伝六と同衾する花をふしだらな女とののしる伝三を、伝六は離れを建てて隔離する。夏が来て、川で水遊びをする子供たちを見て表情をなごます伝三に、隣家の少年・千太郎はあまご釣りの伝授を頼む。かつて伝三はあまご釣りの名人と言われていた。早起きして出かける二人。伝三のボケは回復に向かう。夏休みも終りの頃、雨の日が続き、再び孤独となった伝三のボケは狂気に近いまでになり、やむなく伝六は、離れに鍵をかけて伝三を監禁した。真夜中に離れで暴れる伝三。千太郎は、伝三に秘境・長者ヶ淵にあまご釣りに連れて行ってくれるようせがんだ。歩きずめで二時間、たどりついた二人は秘境の美しさに目をうばう。そして、伝三に教えられた通りに降ろした千太郎の竿に大ものがかかった。千太郎は伝三に助けを求めるが、伝三は胸をおさえてうずくまっていた。あわてる千太郎を落着かせ、伝三は人を呼びにやらせる。村へと一目散に走る千太郎。その頃、伝三は岩場に横たわり、若き日の美しい出来事を夢見ていた。数日後、小雪の降り散る峠に、村に別れを告げる伝六や千太郎たちの姿があり、花の胸には伝三の遺骨がしっかりと抱かれていた。
=====

加藤と息子演じる長門裕之の親子やりとりが真に迫ってすごい。
映画というよりまるで近所の親子喧嘩を見ているよう。台詞も現実味があり、善人悪人もおらず普通の人々がドキュメントのように描かれる。

ボーっとして渓流で遊ぶ子供たちにからかわれる場面ではちょっとヒヤヒヤ、けれどすぐに子供に負けじと水を掛け合い初めて童心に戻って楽しそうな表情になる。
まだらボケでボケた時の伝三(加藤)は心ここにあらずな眼、だが一旦あまご釣りの場面になると別人のように目付き鋭く昔の釣り名人としての威厳ある様子が素晴らしい。 ボケ老人なのにカッコイイ。岩場で倒れた伝三が若い頃を周囲の自然と共に思い出すシーンは、死に行く場面のはずなのに美しくもある。
加藤自身もすごいが、この時代まで居た「老人」は明治大正生まれであろう、頑固でいながら「隠居」としての諦観をも感じさせる。昔はこういう年寄り居たなあ。


徳山村は実際に今は徳山ダムの底に沈んでおり、数年前から私は徳山ダムHPで工事の進行などウォッチングしていた。
2006年の試験湛水の時には地図上に日々刻々と水を湛える範囲が広がっていき、最後には映画に出てきた「長者が淵」のような上流の渓谷にまで及んでいるだろうと想像すると胸がつまる想いがした。

ダム建設を何でもかんでも反対するような団体を胡散臭く見ているし、地元の経済面含め必要な物は必要だと思う。ほとんどの場合建設には賛成の立場だ。
けれど賛成反対と、地元の人達にとってかけがえの無いであろう故郷が消えてしまう無常観、あるいは消え行く自然への崇敬の念みたいなものを感じてしまうのとは別の話だ。

こういう映画をDVD化して、学校で子供達に見せてあげて欲しい。


(追記)

巨大ダムの下に沈んだ村の風景 

「故郷 ~私の徳山村写真日記~」  ←ここを押して

ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし (方丈記)

日本は特に災害多く資源少なく、「久しくとどまりたるためしなし」が運命付けられているように思う。
何かを失う事無しには生存さえ叶わなくなる。
英知を結集した巨大ダムも美しいし、かつてあった村々もそこに住んでいた人達も美しい。




「金正日は日本人だった」

「金正日は日本人だった」 佐藤 守 

金正日は日本人だった金正日は日本人だった
(2009/10/28)
佐藤 守

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読んでみればトンデモナくはあるけどトンデモ本という訳でもない。
著者の佐藤氏は軍事評論家、元自衛隊南西航空混成団司令・空将、パイロットという人で、本書の内容も戦前戦後の満洲・半島情勢を微細に分析していて到底トンデモとは言えない。

amazonの紹介文は
=====
金正日の父親は中野学校の残置諜者だった!小泉首相の訪朝前に日本海に出没した不審船の船尾に書かれた対日戦争の英雄「金策」の文字。彼こそが金正日の父、だからこそ総書記は日本にシグナルを送り続ける
=====
とあって、これだけ読むと眉唾もいいところだが「陸軍中野学校」「残置諜者」の実態を事細かく実名入りで明かしており、これはこれでかなり真実味がある。

そして佐藤氏の説が真実だと仮定したとしたら現在の情勢含めて、以下の疑問点が納得いく形で見えてくる気もする・・

(私個人の単なる妄想と思って読んで下さい)

・総連ビルを買い取った池口氏は三無事件にも関わった過去があり右翼と近い。
安倍首相や永田町に近いとも言われている。
・三無事件には戦前の「玄洋社」関係者も関わった。
・石原慎太郎氏が尖閣諸島へ上陸しようとした時の船の名が「玄洋丸」。
・玄洋社は大アジア主義であり、半島(あるいは満洲)への拘りが強い。
・今の情勢で北朝鮮が日本を直接的には攻撃対象としていない。
在日米軍基地を狙うと言っている。
・北朝鮮は韓国のように賠償賠償と前面に出しては言っていない。それより先に「アメリカに追従する日本」を責めている。
・去年は北朝鮮内の残留日本人墓地への墓参や遺骨帰国での日朝接近があった。
(対韓国、対米強行に出るために日本に接近したとも考えられるが)
・拉致被害者の人達の待遇が特権階級。(だからと言って拉致が非道極まるのに変わりは無いが)
・過去ずっと自民政権は日本国内から○○○○のカネが北に流れるままに放置している(安倍首相はそうでもないが)
・デヴィ夫人との関係。スカルノは金日成と盟友だったという謎。
インドネシア、ミャンマー軍政、イラン、など戦前・終戦直後に日本と繋がりが深く親日である国に限って金一族も関係が密接。
・「料理人」藤本氏の謎。
・青山繁春氏がテレビ番組で「横田めぐみさんは金正恩ら兄弟の家庭教師(養育係?)だった」と言った。
・金正日が料理・映画など日本文化を好んだこと(ハリウッド映画も好んだようなので単なる贅沢趣味なだけかも)
・小野田寛郎氏が「アメリカに本土占領された後は満洲~朝鮮北部に大日本帝国亡命政府を作る計画があった」と言っている。
・終戦直後に「大陸浪人」という工作機関員が大陸・半島に多数残ったという話は多方面で言われている。
・対中国で国防強化が必要と思われる時機を狙ったように日本人の国防意識を高める決定打のようにミサイルを打ち上げる。(尖閣でゴタゴタが無い時にも東北上空越えて飛ばしたが)

これら色んな謎が「仮定」を基に考えると見えてくるが、一旦それに囚われたら本気に信じてしまいそうなので抑えて抑えて

日本人の多くがこれを信じてしまうようになったらマズイ。
油断させる陰謀かも知れないし、カネ出させる策略の一つかも知れない。

けれど取りあえず仮定してみると視野の外側まで見えてくる(気がする)。



結論:大アジア主義とか防共や何でもいいけど、拉致被害者の人達皆さんを奪還したら後はどんな形であっても大陸半島に関わるのはもういい加減懲りるべき。




「日本辺境論」と「日本はなぜ世界でいちばん人気があるのか」

新書版2冊

まずこっち
「日本辺境論」 内田 樹

日本辺境論(新潮新書)日本辺境論(新潮新書)
(2012/07/01)
内田樹

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感想としては
  あんたは 欧米か!! 終わり!

で終わっても面白くないので、少し書くと
エラソーな屁理屈並べて結局何が言いたいのか分からん、コジツケの連続。

そう言うなら英国は、ニュージーランドは、フィリピンは、アイスランドは、南アフリカ共和国は、辺境じゃないんかよ。どこも辺境体質持ってないのか。
「世界の辺境」「島国根性」と言う人は英国やフィリピンはどうすんのといつも思う。
「日本」という国名も中国から見て太陽が昇るから、ではなく単に列島の東端から見て遮る物無く日が昇ってくるからだろうに、とにかくコジツケが酷い。
終わり。


次に「辺境論」とは逆を行くような
「日本はなぜ世界でいちばん人気があるのか」 竹田恒泰

日本はなぜ世界でいちばん人気があるのか (PHP新書)日本はなぜ世界でいちばん人気があるのか (PHP新書)
(2011/04/15)
竹田恒泰

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こっちは・・タイトルが自意識過剰で「傍ら痛し」。
自分で言っちゃあいかんでしょ。
竹田氏は「言っていいん会」で見ていて、いつも良い事言ってくれるけど本書の場合はやり過ぎ感が否めない。
「辺境論」みたいなやたら自虐主義へのアンチテーゼなんだろうけど。

ただ内容は統計資料などもあって、なかなか興味深い。
「日本は現存する唯一の古代国家なのである」とあるが「唯一」が引っかかった。
インドはかつて英国に侵略されたが古代からありますよ先生。
タイはどうなんかな。
ただ、言語の面から古代語が残る「国家」は日本だけかも知れない。
本書ではないが古代語が残るのはスペイン・バスク自治州など世界に僅か、と読んだことがある。
その僅かな地域のほとんどが他国の一部となってしまっているので、まるごと国家として残っている意味では「唯一」かも知れない。

真逆の論調とも思える新書2冊、新書っていうのは著者(あるいは書かせる編集者)が独断と偏見に満ち満ちて書いていると思っているので、読む時には 話半分 あるいは 眉にツバをつけながら?読むくらいがいいと思っている。
特定の一人が書いた論調に拠る新書を一冊読んで丸ごと信じてしまうのは 危険 であり、売れたら影響が大きいだけに著者(編集者・出版社)は時に拠っては罪作りだなあと思う。



ハンモック一緒に
  ぼくら猫は古代エジプトからずっと同じだよ



先祖の写真 (明治時代)

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「金言名句 人生書訓」

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「わが魂を聖地に埋めよ」

 

「わが魂を聖地に埋めよ」 ディー・ブラウン 草思社

わが魂を聖地に埋めよ―アメリカ・インディアン闘争史 (上巻)わが魂を聖地に埋めよ―アメリカ・インディアン闘争史 (上巻)
(1972/01)
ディー・ブラウン

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原題は Bury my heart at Wonded Knee
Wonded kneeとは「傷ついた膝」という名の川creekであり、heart とは正に心臓のこと。

クレイジー・ホースと呼ばれたスー族の戦士の心臓が埋められている埋葬の地。
クレイジー・ホースは合衆国将軍との会談だと騙される形で捉えられ刺殺された。

合衆国側=入植白人は初めインディアンと土地を巡って条約・契約を交わしていたが、ゴールドラッシュが始まると条約も無視されることも多く、裁判に訴えてもインディアンは捕らえられたり騙されたり。
その時の必死の抵抗の様子がハリウッド映画西部劇では茶化された形で「インディアン嘘つかない」となった。
裁判の様子なども詳細に書かれてあるが、これは極東軍事裁判を思い起こさせる。
100年経てもやることは同じか。

でその「傷ついた膝」に最後のスー族が追い詰められ多数のインディアンが射殺され捕らえられた。
ビッグフットと呼ばれた長老の凍結した遺体の写真も残っており本書にも載っている。

インディアンが皆善人な訳でもなく、卑怯に白人に取り入る者・部族もあり、孤高孤独に最後まで抵抗する部族あり、あるいは教育熱心で白人と同化しようとした部族あり(これも最後は騙され「涙の道」と言われる強制移住に遭った)
合衆国側も義を通そうとする者もおり、だが結局は大統領の方針・指示が全てであり、ゴールドラッシュの強欲さの前には抵抗できる者も居なくなり、メキシコとの戦闘もありで西部全て合衆国に組み入れられた。

近年はインディアン視点から歴史見直しもあり、「先住民の権利」として世界的に活動もあるらしいが、
何を間違ったか日本のアイヌまで問題化したい勢力が加わったりしているようだ。
アイヌは日本人であり日本人自体がアイヌの血を引く先住民であるのに、何を利権化してるんだか。

今はインディアンの文化・精神性が見直される事も多く、ヒッピー文化(ドラッグ文化)流行の頃には「呪術師と私」などでカッコイイ面がかなり取り上げられた。
現実はインディアン居留地(リザベーション)でのカジノなど良くも悪くも問題が解決しているとは言えないようだ。

そして近年日本でも北米インディアンの事を「ネイティブ・アメリカン」と呼ぶ事が多いが、インディアン自身はそれを嫌がっているらしいことを知った。
ネイティブと言うとカナダ~中南米まで含み合衆国内インディアンのアイデンティティがあやふやにされてしまうからだそうだ。
本来なら部族名が一番だが、ネイティブと言われるよりインディアン呼称がマシということ。

インディアン関係を読むときに聴きたい曲がある
medicine manとは薬草を使う呪術師のこと。


Michael Martin Murphey - Medicine Man













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