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「おじいちゃん 戦争のことを教えて」 中條高徳

おじいちゃん戦争のことを教えておじいちゃん戦争のことを教えて
(1998/12/25)
中条 高徳

商品詳細を見る


↑画像を大きくして取り上げたのは、著者中條氏の軍装姿が凛々しく、この本の内容を象徴しているように見えるので。
中條氏とは↓

中條高徳 wiki
(ここには書かれていないが、現在「英霊にこたえる会」会長でいらっしゃいます)

なぜこれを今日取り上げたかと言うと、とある人気保守系ブログにて「アサヒビールは売国企業」と名指しされていたからです。
早速コメント欄に意見させてもらいましたが。

靖国神社に過去ずっと多大な奉賛をしているアサヒビールのどこが「反日売国」だと言うんだろう・・。
中国韓国に進出して売れているから?
それを言い出すと日本企業の大多数を反日企業としなければならなくなる。
明らかに反日企業というのは確かにあるが、何もかもあげつらうのは私には行き過ぎた原理主義のように思える。
それでも後になって「やはり正しかった」ケースもあるので、一定程度は勘が鋭い面を受け入れていたいとは思うが。

今韓国でアサヒビールが人気で売れているらしいが、何かあって「日本製品不買」運動となると筆頭に出てくるのがアサヒビールでもあるようだ。
それでも美味しさには勝てないようで、また売れ出すと。


本書に戻ると
アマゾン内容紹介より

ある日著者は、息子である父の転勤でニューヨークの高校へ通う孫娘から、アメリカ史の授業の課題で家族や知人で戦争の体験をした人の話を聞くことになったので、戦争のことを教えてほしい、という手紙を受け取る。これがこの書のスタートである。
著者は昭和2年生まれ。陸軍士官学校に入学したものの、戦地に赴く前に終戦を迎えた。

日本の歴史教育(特に日本史)においては、第2次世界大戦とその周辺の事情について触れることが少ない。そのために多くの人が第2次世界大戦に対する十分な知識を得ることができずにいるのが現状だ。

その意味で、本書は極めてすぐれた近代史教育の素材といえる。日本が戦争に突入した国際情勢が確実にあったこと、アメリカのハワイ併合は実は対日戦争をにらんでのことだったことなど、いまではほとんど述べられないことがきちんと書かれている。大切なのは、正しかったか悪かったかを考えることではなく、いいはいい、悪いは悪いときちんと整理をつけて把握することだ、という主張は、戦争という悲劇を繰り返さないためにも重要である。「戦争」ということを知るために、多くの人にぜひ読んでほしい1冊である。(杉本治人)



文章平易で中高、大学生に読ませるには最適。
学校で押し付けられたりマスコミが垂れ流す「戦争は悲惨」類の定番しか知らない若い学生が読んで素直に受け止められる子なら、聖パウロの回心(=目から鱗)とまでは行かないまでも、それまでの押し付け価値観を疑い始めるのは間違いないと思う。

ただ、中條氏と往復書簡相手である「孫娘」はやはりまだ甘い考えを持っているのは否めない。
「中国人韓国人とも理解しあって」という文章がそこかしこに出てくる。
その甘さを中條氏がそのまま著書に取り上げているのはどういう訳だろう。氏のHPを見ると韓国については竹島を占拠されたまま、との記述も見られるのに。
本書出版されたのが15年前なので、韓国の反日ぶりも著者ご自身気づいて無い部分もあったのだろうか。
今ならどう書かれるだろうか・・。


(さて、相変わらず暑いので六条麦茶か三ツ矢サイダーでも買ってこよ!アルコールがだめなのでビールは飲めず悪しからず。)



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懐かしい歌 (2)

(1)に続いて懐かしい童謡。



  「歌の町」
  作詞・勝 承夫 作曲・小村三千三  (昭和20年)


    良い子が 住んでる 良い町は 楽しい 楽しい 歌の町
    花屋は ちょきちょき ちょっきんな かじ屋は かちかち かっちんな

    良い子が 集まる 良い所 楽しい 楽しい 歌の町
    雀は ちゅんちゅん ちゅんちゅくちゅん ひ鯉は ぱくぱく ぱっくりこ

    良い子が 元気に 遊んでる 楽しい 楽しい 歌の町
    荷馬車は かたかた かったりこ 自転車 ちりりん ちりりんりん

    良い子の お家が 並んでる 楽しい 楽しい 歌の町
    電気は ぴかぴか ぴっかりこ 時計は ちくたく ぼんぼんぼん


 
昭和20年に作られ昭和22年にレコード発売。
微妙な時代に出来た歌だ。
もっと新しいかと思っていたが、「かじ屋」「荷馬車」だもんなあ。
そう言えば昭和30年代、うちの田舎では舗装道路にはオート三輪に混じって牛が引く車が堂々と通っていた。






  「森の小人」
  作詞:玉木登美夫・山川清  作曲:山本雅之 (昭和22年)

    森の木陰で ドンジャラホイ シャンシャン 手拍子足拍子
    太鼓たたいて 笛ひいて 今日はお祭り 夢の国
    小人さんがそろって にぎやかに ア ホイホイヨ ドンジャラホイ

    おつむふりふり ドンジャラホイ かわいいお手手で 踊り出す
    三角帽子に 赤い靴 お月さんにこにこ 森の中
    小人さんがそろって おもしろく ア ホイホイヨ ドンジャラホイ

    お手々つないで ドンジャラホイ ピョンピョン 跳ねはね輪になって
    森の広場を 廻ります 今夜は明るい 月の夜
    小人さんがそろって 元気よく ア ホイホイヨ ドンジャラホイ

    お手手つないで ドンジャラホイ チョンチョン お手々を打ち合って 
    夢のお国の 森の中 そろいのお服で 踊ります
    小人さんがそろって 楽しそに ア ホイホイヨ ドンジャラホイ



この曲には原曲(歌詞)があったようで「土人のお祭り」というのだそうだ。
戦前日本の委任統治領であったパラオ島の夜祭をテーマにしたとある。
戦後は「土人」が差別であると歌詞は改変された。
詳しくは↓
森の小人 wiki


そして続き(3)はまたいつか



懐かしい歌 (1)

幼児期から歌を聴いたり合わせて歌ったりするのが大好きで、イイ物はどんなジャンルでもイイとばかりに色々聴いてきた。
幼児の時は主に童謡、テレビにかじりついてロカビリー??、小学生の頃には歌謡曲や「グループサウンズ」、中学からは主に洋楽ロック・・。
童謡は家族の誰が買ってくれたのかレコードが多数ありポータブルプレイヤーで自分でレコードをかけて熱中していたものだ。

youtubeを彷徨っていると忘れていた懐かしい歌が出てきて、意外に歌詞も覚えていたりで一人浸ってしまう
特に好きだったものを貼ってみます。



  「花かげ」
  作詞:大村主計 作曲:豊田義一 1931年(昭和6年)

    十五夜お月さま ひとりぼち
    桜吹雪の 花かげに
    花嫁すがたの おねえさま
    俥にゆられて ゆきました

    十五夜お月さま 見てたでしょう
    桜吹雪の 花かげに
    花嫁すがたの ねえさまと
    お別れおしんで泣きました

    十五夜お月さま ひとりぼち
    桜吹雪の 花かげに
    遠いお里の おねえさま
    わたしは ひとりになりました


なんて美しく哀しいのでしょう~~

↓は明るい曲でテンポが歌詞とぴったりで4番まで全部覚えて歌っていた。
明治の曲とは知らなかった!
特に4番の歌詞は「おおくにぬしのみこことて」の語感が好きでした。そりゃあ神様の名前だもんなあ。




  「だいこくさま」
  作詞者:石原和三郎 作曲者:田村虎蔵
  (1905年(明治38年)「尋常小学唱歌 第二学年」上に掲載された文部省唱歌)

    大きなふくろを かたにかけ
    大黒さまが 来かかると
    ここにいなばの 白うさぎ
    皮をむかれて あかはだか

    大黒さまは あわれがり
    「きれいな水に 身を洗い
    がまのほわたに くるまれ」と
    よくよくおしえて やりました

    大黒さまの いうとおり
    きれいな水に 身を洗い
    がまのほわたに くるまれば
    うさぎはもとの 白うさぎ

    大黒さまは たれだろう
    おおくにぬしの みこととて
    国をひらきて 世の人を
    たすけなされた 神さまよ

 

こういう歌は今時学校では教えないんだろうか。
子供向けの童謡CDには入っていて欲しいなあ・・。


(そして次に続く)




潘国連総長の発言

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「靖国への帰還」 内田康夫

靖国への帰還 (講談社文庫)靖国への帰還 (講談社文庫)
(2011/08/12)
内田 康夫

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内容紹介
「靖国で会おう」――。本土攻撃が激化する中、夜間戦闘機「月光」に乗り込んだ若き海軍中尉・武者滋(むしゃしげる)は、決死の覚悟でB29の大編隊に突入する。被弾して薄れていく意識の下「月光」が舞い降りたのは、なんと現代の厚木基地だった。時空を超えて飛来した“英霊”が、私たちの心に問いかける靖国神社の存在とは。


私はどうもミステリー物が苦手で内田康夫の作品は読んだことが無かった。
本書は装丁がいかにもライトノベルで紙質もペーパーバック風、抵抗感があったが(偏見です、申し訳ない!)、タイムスリップ、靖国というキーワードに惹かれて読んでみた。
タイムスリップという手法が安易だとの批判もレビューで見たし重厚感を求める事は出来ないが、それを差し引いてもかなりな秀作だと思う。
『永遠の0』を読んで大東亜戦争に興味を持った中高生などに読んでもらいたい本だ。
内容をそのまま信じろという意味でなく、事実としてこれがある、こういう考えの元に行動する人がいる、という現実を知るための良い資料ともなる。
日教組系教師やマスコミが流す偏向した情報のみで批判することだけは避けられるようになると思う。

本書帯にも「内田康夫が全身全霊をかけて書き上げた」とあるので、設定が稚拙だとか説明的だとか自覚した上で、若い人にも取っ付き易いよう書かれたかも知れない。


(「靖国への帰還」内容一部抜粋)

「靖国神社に還る」というのも、日本に還るのと同じ意味である。日本という漠然とした広さではなく、靖国神社という集約された特定の場所に還って、国民に尊敬される自分を想い、儚い安息を得ていたのだ。平時に家族が「死んだら同じお墓に入ろう」と言うのと同じように、いやそれ以上に強く、そう願ったのだ。



戦争を企画した者以外はすべて被害者であるかのように言うのは、後付けの論理です。もし戦争に勝って、恩恵を享受していれば、靖国神社はもちろん、戦争犯罪そのものさえ指弾しないでしょう。



靖国神社に祀られている二百数十万柱の英霊と言えども、誰もが生前立派な人格者だったわけではない。罪を犯した悪人だっていただろうし、個人的な意味での嫌われ者だっていたに違いない。しかし、亡くなった以上は「神」として祀ろうーーというのが日本の宗教文化の一つの形なのだ。
(中略)
ごく僅かな「大嫌い」な神がいることを理由に、靖国神社全部を否定して、一切参拝はしないーーなどと主張するのは、宗教的信条か、イデオロギーに拠るもの。靖国神社それ自体の存在が気に食わない人々なのではないだろうか」



尚、主人公である武者滋や厚木航空隊小園司令などは実在の人物。実名のまま借用されていて「タイムスリップ」までの経緯は殆どが事実に基づいているらしい。
参考文献として↓の記載あり。

夜間戦闘機「月光」





しかし本の装丁というのは内容への印象を左右するものです。
↓の違いでかる~く見えたり重厚に見えたり。

靖国への帰還 (講談社ノベルス)靖国への帰還 (講談社ノベルス)
(2010/07/07)
内田 康夫

商品詳細を見る


靖国への帰還靖国への帰還
(2007/12/15)
内田 康夫

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(セーラー服の女子学生は作中に出てくる戦時中の女学生だろうか。
戦中世代の我が母に拠ると、当時はリンスどころかシャンプーも無い、物資不足で質の悪い石鹸で髪を洗うからバシバシで「髪がなびく」事がなかった。戦後すぐにアメリカ映画を見て「女性の髪がなびく」光景に憧れと物量の差を感じたらしい。余談でございました。)





「勝利への賛歌」=映画「死刑台のメロディ」

映画「死刑台のメロディ」
死刑台のメロディ [DVD]死刑台のメロディ [DVD]
(2003/06/06)
ジャン・マリア・ヴォロンテ、リカルド・クッチョーラ 他

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1972年 イタリア・フランス合作映画

1920年のアメリカ合衆国・マサチューセッツ州で実際にあったサッコ・バンゼッティ事件を正面から描いた史実的社会派ドラマである。アメリカ史の汚点的冤罪事件として語られる事件をジュリアーノ・モンタルドが映画化。イタリア移民のサッコとバンゼッティがいわれなき死刑を受けるまでを描いている。


(公開当時観たきりで記憶が曖昧なので、詳細を調べて書いております)
冤罪の悲劇というだけでなく、マッカーシズムにも繋がる「アメリカの正義」とはいったい何かと疑問を投げかけてもいる。
アメリカの正義をマニフェスト・ディスティニー(明白なる運命・天命)にまで広げるなら、アメリカはインディアン殲滅から日本潰し、フセインにビン・ラディン、カダフィも? 色々やってくれたものだ。
けれどアメリカについては一面だけを見るのも危険だし、事によっては国家なりの正義を守るために必要な場合もあるだろう。
逆に潰された側が強力に悲劇の主人公ヅラする場合、深く確認しないままどっぷり同情的になるのも警戒せねばならない。
「サッコとヴァンゼッティ事件」の場合は映画で見る限りは、電気椅子のシーンも相まって人道は人権はどこへ行ったと同情的にもなってしまうが、映画=事実でないことは意識しておかないと。

とにかくジョーン・バエズ歌う「勝利への賛歌 Here's to you」が印象的で覚えて歌ってしまう。

Here's to you, Nicola Sacco e Bartolomeo Vanzetti



Here’s to you, Nicola and Bart
Rest forever here in our hearts
The last and final moment is yours
That agony is your triumph

ニコラとバート、あなたたちに祝福を
我らの心の中で永遠の安息を
最後を決定づける瞬間はあなたがたの手にある
その苦悶さえ勝利となる


どちらが正しく正義であるとか安易に判断は出来ないし、そもそも国家によって人に拠って正義の定義さえ曖昧だ。
けれどそれとは別に自分が正義と考える事を発信することは必要だ。
イタリアが映画を作り、「アメリカの正義」を告発し、しかもアメリカ人(メキシコ系ではある)のジョーン・バエズに英語で歌わせ世界に発信した。
それが出来たイタリアがとても羨ましい。


「はだしのゲン」を擁護する、ある人物

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「出発は遂に訪れず」島尾敏雄

出発は遂に訪れず (新潮文庫 し 11-1)出発は遂に訪れず (新潮文庫 し 11-1)
(2007/07)
島尾 敏雄

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内容紹介(新潮社HPより)
特攻の瞬間に向けて、生命のすべてを凝縮させていた特攻隊将校の特異な体験を緊迫した言葉で語る表題作ほか全9編。
敵艦に体当りする瞬間に向けて生命のすべてを凝縮させながら、終戦の報によって突如その歩みを止められた特攻隊将校の特異な体験を緊迫した言葉で語る表題作。超現実的な夢の世界に人間の本質を探った画期的作品「夢の中での日常」ほか、「島の果て」「単独旅行者」「兆」「帰巣者の憂鬱」「廃址」「帰魂譚」「マヤと一緒に」など、現実と幻想の間を自在に行き交う文体で、痛切な私的体験を普遍へと昇華させた島尾文学の代表作。


島尾敏雄  ←ここクリック
(wikiより)
第十八震洋特攻隊隊長として、奄美群島加計呂麻島に赴任。1945年8月13日に特攻戦が発動され、出撃命令を受けたが発進の号令を受けぬまま即時待機のうちに終戦を迎える。
作品は超現実主義的な「夢の中での日常」などの系列、戦争中の体験を描いた「出発は遂に訪れず」などの系列、さらに家庭生活を描いた「死の棘」などの系列に大別される。また生涯書き続けられ、小説作品との決定的な差異は無いとされる日記や紀行文など記録性の高いテキスト群や南島論なども高い比重を占める。


この人の文章は感傷や自己憐憫に酔うこともなく、南の島の美しさや生活の厳しさも淡々と描いており、押し付けがましくない。
が、淡々であるのにものすごい悲壮感や諦観みたいなものがじわじわ伝わってくる。

収録作品「廃址」は、戦後10年経って震洋特攻艇基地があり、妻となった女性の故郷でもある加計呂麻島へ再訪した様子を描いている。

半円の空虚を抱いた洞窟の入口の孤が私の網膜に焼きついた時に、十年の歳月がふっとかき消え、私は今もなおあの時のいつものように、Sの防備隊からの帰り道だという気分が切なく湧き上がった。ほどんと気まぐれに近づいてくる死を待って、一日一日を送っていた場所が、そこに消滅しないで位置を占めている。それは疑えない。確か過ぎて不満なほどだ。むしろそこで私と違ったもう一人の私が、今も相変わらず死の特攻出撃の命令を待って、朝夕を送っているのではないか。

↑「洞窟」とは戦時中特攻艇が格納されていた場所の事だ。10年を経て再び同じ場所に立った時の幻影、時間を越えて一瞬で巻き戻しされるような感覚、いかに特異な体験であったかがこの数行だけで見事に伝わってくる。

表題作品「出発は遂に訪れず」の方は特攻出撃を待つ所から終戦にいたるまでを描いたもの。
基地のある島で知り合い逢瀬を続けた「トエ」との別れの場面は感傷に落ち込む事の無い文章だ。
玉音放送を聞いたあとの「私」は単純に生きられる事を喜ぶでもない。

ーーー言いようの無い寂寥が広がっていた。時点が移ってしまえば、想像することさえ禁じていた、死の方に進まなくてもいい生き延びられる世界は、色褪せて有りふれたものにしぼんでしまい、そこで手放しで享受できると考えた生の充実は手のひらの指のすきまからこぼれてしまったのか。装われた詭弁があとくち悪く口腔を刺激し、生き延びようと腐心する私を支える強い論理を見つけ出すことが出来ない。


島尾という人はこの特異な経験から来るものなのか生来なのか知らないが、どうも女性関係でドロドロ状況を引き寄せる人でもあるようだ。
戦後は妻の正気を失わせる事をやらかし、その他の何人も女性の人生を狂わせたようで、これはもしかして「魔性の男」?
ストイックで観念的な精神を持っていると同時に間逆のドロドロの男女模様を演じてしまう、極端を併せ持つ不思議な人だ。



「サザンのコンサートで座ったまま」報道

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「頭山満と玄洋社 大アジア燃ゆるまなざし」

大アジア燃ゆるまなざし 頭山満と玄洋社大アジア燃ゆるまなざし 頭山満と玄洋社
(2001/10/01)
読売新聞西部本社

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玄洋社と言えば戦前からの右翼、大アジア主義結社。
アジア各国のみならずロシアにまで影響を及ぼした玄洋社とはいったい何なのか、何を目指したのか。
明治新政府に抗する福岡藩中心の組織、「維新のバスに乗り遅れた」「維新の分け前に預かれなかった」不満からとも言われるが本書の解説に拠ると、そういう私怨を越え官僚独裁に歪められた明治政府に違和感を持った福岡藩士が立ち上がったのだと。
西南戦争に呼応した福岡士族が「福岡の変」を起こすが鎮圧される。
その敗北から生まれたのが玄洋社である。
しかし打倒藩閥、反政府の国内改革から国外、アジアの改革へ向かっていくのはどういう発想だったのか。

ロシア革命の裏工作加担したという明石源二郎、孫文・中国革命への支援、韓国の金玉均、インド独立運動家ボース・・アジア歴史上の大物の多くが玄洋社に関わっているからオソロシイ。
海外組織である内田良平の「黒龍会」も含めると壮大というか誇大妄想的だ。(妄想でなく実質活動したから余計恐ろしい)

wikiより
   玄洋社
   黒龍会
   頭山満

黒龍会名称の由来
中国・満州・ロシア国境を流れる黒龍江(アムール川)は、春になると川原一面にきれいな花が咲き乱れる。その、のどかで平和な美しい光景をシベリア横断を成し遂げた内田良平が見て感動し、東亜の理想はこの光景にあると大悟し、欧米列強諸国によって殖民併呑されたアジアを復興し、まるで極楽を思わせるかの様な、春の美しい黒龍江のようなアジアを建設することをライフワークとして誓った。その復興アジアへの内田良平の誓いこそが、黒龍会の名前の由来である。


壮大な景色に魅せられて大アジア構想に至った、という単純な物では無いはず。
(以下は私の独断に満ちた想像)
結局古代半島の高句麗への幻想的思慕ではないのか。
古く日本人の故郷である、と思い込んでしまったのではないか。
高句麗時代の鉄器や馬具は日本国内で出る物と同じ、言語学的にも高句麗、百済は日本語の構造と似ているらしい。(明治期にそこまで判明していたかは知らないが)
朝鮮語とは全く別系統。
まるでユダヤの「約束の地」のように、黒竜江周辺こそが日本人の故地であって戻るべき場所との想念に囚われたのか・・。

本書に戻ると
写真や新聞記事、手紙類、書、など資料が豊富に載っている。
玄洋社メンバーの集合写真、孫文や蒋介石、インドのボースらとの交友関係の資料。
中野正剛が自決した際の血にまみれた装束の画像まで。

解説では突然著名人物の名が出てきて驚く。
「ドグラマグラ」の夢野久作、その父親である杉山茂丸が頭山満や内田良平と交流があり、民間から日韓併合を進めたのが彼らだと言う。
一番驚きなのが、アナキスト大杉栄と野枝までが頭山の所に借金しに行き、そのツテで取り締まる側であった後藤新平がなぜかカネの工面をしてやった。
もう訳分かりませ~ん。明治の人の「思想的寛容性」というものはどうなってるんだ。
福岡といえば麻生太郎、曽祖父である麻生太吉も出てくる。「頭山訪問あり、打ち合わせす」との日記の画像が載っている。

それにしても玄洋社というものの全体像が掴めない。込み入りすぎて難し過ぎる。
頭山や中野正剛に関する他の本も読んだが、究極の目的は何だったのか、巨人なのか紙一重のあっち側に行った狂信者なのか理解に苦しむ。
出口王仁三郎から石原莞爾などの関係まで理解するとなると相関図でも書いて見ない事には。
本書は私のような初心者向け、理解の取っ掛かりには最適です。

印象としては、幕末~維新後の士族といのはぶっ飛んでるとひたすら思う。
日本人というのは元来、意外とぶっ飛んだ人が多く、それがプラスに働いてもマイナスに働いても振り幅が大きく出てしまうんじゃないだろうか。
今の中国韓国朝鮮は(捏造された日本の悪行ではなく)記憶の底に潜んで今も残る日本人のこのぶっ飛び具合を恐れているのかも知れないと思うのは穿ち過ぎか。






最後の手紙

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タイのドラマ「クーカム」

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8月打ち上げのロケット

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平和ボケも極まれり  サザン「ピースとハイライト」

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「雨月物語 吉備津の釜」

暑いので定番中の定番の古典怪談「雨月物語」。

雨月物語 (ちくま学芸文庫)雨月物語 (ちくま学芸文庫)
(1997/10)
上田 秋成、高田 衛 他

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上田秋成は大坂・堂島の生まれ、究極にドロドロしてるのはコテコテ好みの大阪人だからでしょうか。
中国伝奇譚の影響を受けているらしいが、中国怪談は食人まで出てくるのでさすがのコテコテも中国人には適わないか

白峯
菊花の約
浅茅が宿
夢応の鯉魚
仏法僧
吉備津の釜
蛇性の婬
青頭巾
貧福論


この中で面白いのは男と女に纏わるドロドロ劇。
「浅茅が宿」はどこか切なくもありエロティックでもあり。
女の怨念を楽しむには「吉備津の釜」と「蛇性の婬」。
「蛇性の淫」は「安珍清姫伝説」を元にしている。

中でも男女ドロドロ一番の「吉備津の釜」を取り上げてみます。

吉備津の釜・現代語訳 (←全文ここで読めます)

遊女とねんごろになった夫・正太郎は、父親に浮気を責められる。
妻・磯良には悔いている風を装い遊女への手切れ金を渡して別れるから金を工面してくれと頼み、磯良は素直に言われるまま金を用意する。
正太郎はあろうことか、その金を持って遊女・袖と家を出てしまう。


この手の男は古今東西どこにも居そうだなあと思わせる、とことんダラシナイ男に仕立てているのが面白い。

磯良は苦しみ嘆く一方、袖も磯良の「生霊」で苦しめられ死んでしまう。
袖の墓参りをする正太郎はそこで出会った下女の女主人が美人だと聞いて、家を訪ねる。


袖が死んで間も無いのに墓場でナンパするとは!
どうせだらしない男を描くならとことんやってやろうでないの、と上田秋成の気概が感じられますね~(謎)

そして美人の女主人の屋敷に行ってみると女主人が顔を上げて
「これは珍しいところでお会いしましたね 辛かったときの報いを思い知らせてあげましょう」
磯良の怨霊だったのだ・・。


ひぇ~~女は怖い!女の私でも怖い!
自業自得です、美人の寡婦と聞いて下心出すから。

そしてクライマックスは陰陽師に助けを請うて護符を張り巡らせた堂に四十二日間篭るところ。
夜な夜な磯良の怨霊が周囲を「憎い憎い」と巡りまわる。
結局、騙された正太郎は忌み明けを待たず扉を開けてしまい・・・


ここまでやるかという結末だが、これくらいやらないと読む側としてはカタルシスは得られません。
いつの時代も怖いものは怖い、最上の怪談エンターテイメントを書いてくれたものです。




    73.jpg
    怖い・・・掃除機コワイから隠れとく・・




「五分間の決断 特殊潜航艇『蚊龍612号艇』 横井順一の手記」

このブログを見に来て下さっている方々には釈迦に説法となりますが、紹介しておきたい本があります。

五分間の決断 特殊潜航艇「蛟龍612号艇」横井順一の手記五分間の決断 特殊潜航艇「蛟龍612号艇」横井順一の手記
(2011/05/31)
横井 順一

商品詳細を見る

内容紹介:戦後すでに六十数年、戦争を知らない人が大多数となった。 「やがて歴史の枠外に忘れ去られてしまいそうな事柄を記録しておきたい」と兄・順一氏が記した原稿を編集した一冊。

戦時中の瀬戸内海各地での日本海軍の動向を知りたくて行き当たったのが本書。
手記を書いた海軍潜航艇隊員であった横井順一郎氏は既に故人となっておられ、その弟さんの横井寛氏が編纂したものです。

まず、「あとがき」にあった順一郎氏本人の言葉を引用してみます。


戦争に生き残った者は、その体験を後世に残し伝えるべきだといわれて来たが、それは生易しいことではない。
戦争は絶対に悪だとしてきた戦後、戦記物の多くは反戦の論理に従って、戦争を批判し、戦いに加わった自分を懺悔し、嘲笑さえしている。
しかし、これらは当時の大多数日本人の心境を描きつくすものではない。殊に、あの戦いに馳せ参じ、生命を捧げた先輩や仲間たちのことは、実体験のないものには到底分かってはもらえないと思う。
私達にとっては長い月日であった戦争も、歴史の上ではほんの一時点の出来事として記録されるに過ぎない。
あの頃、海の中を潜って悪戦苦闘していた各種の特攻兵器があったことも、その搭乗員として命がけの日々を送っていたことなども、時の経過とともに、やがて歴史の枠外に黙殺され、忘れ去られてしまうに違いない。
私は何かの形で生の証として、当時の姿を記録しておきたい。



日本を護るために文字通り命をかけた若い日々を送ってこられた人達に、こんな思いをさせてしまっていいのか、
自らを懺悔させたり忘れ去ってしまったり、そんな事があっていいものなのか、
とても胸の痛む思いがします。

タイトルの「五分間の決断」とは、予科練において「危険を伴う画期的兵器要員を希望するかどうか、五分間で決断し、○をつけて提出する」事を意味する。
本書には書かれていないが、いわゆる「ミッドウェーの運命の五分間」をもじった物かとも思う。
5分間で運命が分かれる、こんな場面は戦時中にはあらゆる所であったことだろう。

その画期的兵器というのが、特殊潜航艇「蚊龍」。
蚊龍(潜水艦)wiki ←ここクリック

特攻基地は広島県・呉近く倉橋島にあり、訓練は高知県・宿毛や小豆島でも行なわれていた。
横井氏が乗る潜航艇は訓練中に衝突事故や故障のために命を落とす寸前の危機にも遭遇、出撃する以前の訓練の段階で正に命がけだった。実際、他の艇は機雷接触や事故で搭乗員は帰らぬ人となってしまっている。
厳しい訓練の様子が描かれているが、それでも心温まるエピソードも挟まれてありほっとする。
言葉に出さないが思いやりある手配してくれる上官、訓練中の寄港地が故郷だった搭乗員のために家族を乗せた伝馬船を横付けする地元の人達、訓練地で知り合った家族との交流・・
戦争中の人間=日本人が特殊な人達だった訳じゃない、今と変わらない普通の人達だったことが伝わってくる。

8月14日、太平洋出撃のため紀伊串本まで赴いていた横井氏の艇は、故障のために瀬戸内海に戻ることになる。
そして15日終戦。
8月18日に横井氏が聞いた第十特攻戦隊司令官小和田少将の(武装解除の)言葉が書かれあるが、「陛下が一身を投げ出す御覚悟でいらせられること」を涙ながらに諭した、という。
昭和天皇がマッカーサーとの会見でそれに類するお言葉を発した真偽は不明と言われているが、終戦早い時点で軍の一部でこの言葉が伝えられていたとは驚きだ。
こういうものがさりげなく出てくる意味でも、実際に体験した人達の手記というのは貴重だと思った。

ところで順一郎氏の弟さんの本書著者の横井寛氏は、書籍だけでなくブログにて発信しておられます。
1930年生まれと書いてあり、(失礼な言い方ですが)この年齢では考えられない程の立派な造りのブログです。

ブログ「短檠(たんけい)」 ←ここクリック

とても示唆に富んだ記事を書かれているので、是非こちらも読んでみて下さい。
(ブログ内「新刊紹介」のところから本書購入できるようです)

戦争体験、従軍体験など発信している方たちの中には、マスコミや戦後体制史観に気を遣いながら自身の本当の思いを抑えたり隠したりしている人も居るかも知れない。
本当の思いや実際にあった事を世に出して貰いやすい環境、広く知られるべき事が知られる環境、をきちんと整えるべきだと強く思います。

(本書を取り上げるに当たっては、横山寛氏ご本人の了解をいただきました)







「ヒロシマ反核平和の終焉」講演会 と 大和ミュージアム

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猛暑

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「『冒険ダン吉」になった男 森小弁」

「冒険ダン吉」になった男 森小弁 (産経新聞社の本)「冒険ダン吉」になった男 森小弁 (産経新聞社の本)
(2011/08/17)
将口泰浩

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漫画の「ダン吉」にはモデルがいた!南洋で大酋長になった森小弁。明治人の海外雄飛を描いた波瀾万丈の物語。

「漫画のダン吉」とはーー
少年倶楽部名作選〈別巻〉冒険ダン吉漫画全集 (1967年)少年倶楽部名作選〈別巻〉冒険ダン吉漫画全集 (1967年)
(1967)
加藤 謙一

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「冒険ダン吉」は、もともと『少年倶楽部』に1933年6月より39年7月まで連載された島田啓三(1900-1973)による絵物語である。夢の中で南洋の島に漂流した少年が、現地人の王様として君臨する物語が描かれる。牧歌的な描写にユートピアの建設を謳ったものという受け取り方の一方、戦時下での南進論を体現していたと評価される側面もある。
冒険ダン吉 1934年 ←ここクリック

↑この漫画、可愛いです。
今なら描き方が差別だーと言われそうだが。

そしてこのモデルとなった森小弁という人
wikiより
森 小弁 (もり こべん、明治2年(1869年)10月15日-昭和20年(1945年))は、土佐(現在の高知県高知市仁井田)出身の実業家。
主に南洋諸島のトラック諸島(現在のミクロネシア連邦チューク州チューク諸島)で活躍し、現地の女性と結婚したあと水曜島(現在のトル島)の大酋長も務めた人物。また、歌謡曲の『酋長の娘』や島田啓三の絵物語『冒険ダン吉』(講談社の雑誌『少年倶楽部』に連載された)のモデルとされている(ただし、『冒険ダン吉』に関しては、島田のフィクションと言われている)。現在のミクロネシア連邦大統領のマニー・モリはひ孫にあたる。


バナナやマンゴーが豊かに生り、部族争いはあるものの、素朴で平和な南の島々。
それがミッドウェー海戦以降はトラック諸島は戦闘の只中に放り込まれる。
1942年には大和、武蔵の両艦船が停泊し、住民は日系移民も現地人も「チョウドキュウ」と言って巨大艦船を仰ぎ見る。
そして米軍がやってきて空襲・・島内での食糧不足・・
現地島民たちは「ヘイタイサン カワイソウ」と日本兵を労ったり、元は軍支給の飯盒や水筒と物々交換していたのが、それも無くなると島民は兵士達が彫った印鑑を果物と交換してくれたと言う。
印鑑など使い道など無い土地であるのに。
米軍の空襲に巻き込んでしまったのに、この思いやりは母系社会ならではなのか。
そして今もとても親日なチューク諸島(=トラック諸島)の人達。
小弁が広い土地を整備して部族親睦のために運動会を始めたのだが、ウンドウカイの呼び名のまま、現在に至るまで続けられている話を聞いた事がある。
小弁の子孫である現ミクロネシア大統領のマリー・モリが東北震災の際に自国民に支援を呼びかけていたのもyoutubeで見た。
今に至って日本とトラックの絆が繋がっているのが嬉しい。




どこまでやるんだ?「従軍慰安婦像」

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