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政治に絡めてROCKを語ってみる

昨日「アメリカ共和党」云々を書いたので少しだけ関連するかも知れない、しないかも知れない話題を。

日本でもアメリカでもロックやフォークのミュージシャンと言えば、反体制、リベラルというイメージがあるが、アメリカのロック界ではそうでもないのが割と居る。
アメリカでの非リベラル≒共和党と一応は見なされており共和党支持の代表格は↓の通り。

共和党支持のミュージシャン達

ジーン・シモンズ(KISS)、ジョー・ペリー(エアロスミス)、テッド・ニュージェントが有名どころ。
確かアリス・クーパーも。
あとビーチ・ボーイズ、メガデス、ラモーンズのメンバーら。


ジーン・シモンズは親が東欧から逃れ一旦イスラエル移住、その後アメリカへというユダヤ人なのでアラブに厳しい共和党を支持するのは当然の成り行きというのか。
それだけでもなく他の面でも(いわゆる)リベラル志向ではない。
上記の人達に共通しているのが、人権やら差別やら綺麗ごとそっちのけで好き放題の発言をするところでしょうか。

今やマスコミや知識層がリベラルで占められているのは日本と似ており、政治までが民主党政権になると
ロックの神髄である反体制やろうとすると保守 となってしまう。
体制に抵抗すると保守、というのが何とも矛盾しまくりで分かりにくい。


そして全部が全部ではないが、共和党支持は例えばクリント・イーストウッドのように親日が多いのは確か。
テッド・ニュージェントなどは「JAPが作ったギターでブルースが弾けるか!」という頑固ジジイでもありますが。これくらい笑ってスルーできます、自分の拘りはこれくらいはっきり言った方がいい。
彼は発言の過激さからファシストと呼ばれることもあるらしい。
過激と言っても偽善めいた綺麗ごと言ってないという程度。



ところでKISSは来月また来日公演をやるらしい。
もう来日公演は定番の稼ぎ手段になっているようで、私は最近は行ってないがかつて何度行ってグッズ込でどれだけ吸い上げられたことか・・ (喜んで吸い上げられたので満足であります)
カネ大事を公言して憚らないジーン・シモンズはKISSメイクのキティちゃんもコラボして商売に余念が無い。

そのKISSの来日公演で、2006年のフジロックフェスティバルは伝説となっている。
あまりに酷い閑古鳥フェスとしてーーー。(ウドーの失敗なのか?)
その時の詳しいレポートを書いてる人がいて

 とにかく人がいない (クリックどうぞ)

動画にあったので↓

Kiss - Live in Japan - UDO Music Festival (Full Concert 2006 Japan



動画冒頭のところで一瞬写る閑散とした様子・・
当日深い霧が出ていたらしく、その霧と闇に紛れて少ない観客が上手く誤魔化されております。
1:27辺りでポール・スタンレーが寂しそうにbig crowdと言ってるのが何とも・・。
それでも感謝すると言って全力で演奏してくれている。
ポール・スタンレーはロッカーでありながら律儀で真面目な人で有名らしい。

ロックの特にケバい系が保守と呼ばれる側に少なからず居るのが何とも面白い。
正に It's HIP to be square. (保守的なのがかっこいい)と言うことか。

(Huey Lewis & The Newsの曲タイトル)





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国境など無いと思ってごらんーーー国境越えてうごめく抗日連合会

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隠れた名曲 岩崎宏美「ささやき」

私が中学高校の頃は洋楽が華やかな頃で、今やロックの金字塔にもなっている70年代の主要なアルバムが次々に出されていた。
どのアルバムを買うか、そりゃもう大変で友達に借りたり工夫しながら聴いた。

同じ頃、KISSやピンクフロイドのアルバムに混じって時々邦楽の世界に浸りたくなった時に聞いていたのがデビュー間もない頃の岩崎宏美。

↓これは最初のライブアルバム。
この人の歌の上手さは今更ですが、デビューの頃から既にレコードよりもライブの方がより上手いという天才肌領域。

岩崎 宏美 ロマンティック・コンサートII~ちいさな愛の1ページ~ (MEG-CD)岩崎 宏美 ロマンティック・コンサートII~ちいさな愛の1ページ~ (MEG-CD)
(2010/09/01)
岩崎 宏美

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このアルバムに限らずだが、テレビでは歌うことのなかった曲の中に割と名曲があります。
その一つが「ささやき」
シングル「恋愛白書」のB面。

私はちょっとアマノジャクなので、流行りまくった代表曲よりこういう隠れた名曲を探して聞くのが好きだった。

岩崎宏美 ささやき



何とも初々しい・・
岩崎さん16,7才当時でしょうか。
特に2番の「かわいそうと思うなら 何もかも振り捨てて」の所の声の切なさと言ったら。
間奏のところのセリフはダサカワイイ。

中高生の女の子はこれを聴きながら一緒に切なくなるのです
私にもそういう時代がありました・・(かなり遠い目)


今の中学高校生は何を聴くのかな。
西野カナ?(よく知らない、名前だけ)
こういうちょっとダサくはあるんだけど、10代なりに切なくなる歌に出会えてるのかなあ。


追加で:

岩崎宏美の生歌の凄さが分かる動画↓
これもあまり流行らなかった隠れた名曲。
とてもカントリー曲ぽくてイイ感じ。

あざやかな場面




「東京捕虜収容所の英兵記録」 その6-DV伍長や初詣に連れられていった捕虜の話

「おかわいそうに 東京捕虜収容所の英兵記録」(その6)にまでなってしまいました。


おかわいそうに―東京捕虜収容所の英兵記録 (1956年)おかわいそうに―東京捕虜収容所の英兵記録 (1956年)
(1956)
ルイス・ブッシュ

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日本へ送られた英軍将校ルイス・ブッシュは一旦新潟へ送られた後すぐにまた東京・大森捕虜収容所へ移送される。
ブッシュ一人に護衛兵が15人ほど付いてさながら大名行列。
上野駅についてブッシュがトイレに行きたいというと兵隊達は場所が分からずかつて住み慣れたブッシュが教えると「敵の捕虜に教えられようとは!」と大笑い。
「懐かしい銀座と帝国ホテルの前を通ってくれませんか」と言うと二つ返事でその通りにしてくれる。
「捕虜連行」のイメージとはあまりに違い過ぎる、と感じるのは私だけではないと思う。

大森収容所では英国、アメリカ、オランダなどの連合軍の将校兵隊たちが収容されていた。
将校以外は外部作業に駆り出されるが、「荷抜き」の出来る作業に出るものは「上手い汁を吸っていた」。
材木や石炭荷積みに回された者は不運だったと言う。
荷抜きやる中に巧妙な人がいて、砂糖、チーズ、葡萄酒、缶詰、イチゴやケーキまでクスねてくる。
東南アジア駐留のドイツ大使向けの三菱倉庫が管理していたもの。
ヒットラー憎しでがんがんクスねているのが面白い。
荷抜きが特に追及されることが無かったのは不思議ではある。

普段の食糧はやはり不足しており(日本全体での不足)スープに海草、大根、大根の葉、ゴボウ、コンニャクが入っていたりする。
西洋人捕虜はこの食材を不気味がって嫌っていたという。

そりゃそうだろうな。今ならさしずめ「ダイエットに最適の注目の日本食!」だろうけど。

所内では米兵と英兵で政治論議をやったりするのだが、米兵は「日本が負けたらアメリカ式の共和政で大統領を持つだろう」、英兵は「英国式立憲君主制に基づいた天皇制が日本には一番いい」「天皇には戦争責任は無い」というのが面白い。

ブッシュが収容されて数か月経った頃「今までどちらかといえば楽しかった収容所は、一変して地獄の様相を呈し始めた」。
ブラウンとあだ名された凶暴な伍長が配属されてきてからの様子は確かに酷い。
何の理由もなく下駄で殴打したり、蹴り上げたり、ブッシュは特に睨まれ便所の汲み取り係をやらされたり、リンチめいた目にも遭う。
リンチの後の夜中また呼び出され「ブラウン」の事務所に行くと、ブラウンはいきなり泣き出しブッシュを抱擁し「自分が悪かった、これからはいじめる事はしない」と泣きじゃくりながら謝り、ビールとシガレットを差し出す。
が、その後もヒステリー暴力は止むことは無かった。


これは明らかに病的なDV男です(家庭ではないけれど、閉ざされた空間内の意味で)。精神病んでいるか人格に障害がある。
こんな奴を捕虜監視になど、こういう所は日本軍の非であり手落ちであると言われても仕方がない。
病的であるから前線から外されたかも知れないが、軍務全てから外すべきだった。

食糧難であっても監視兵が真っ当な普通の日本人であれば、収容所生活も「楽しい」と思えていたのだ。
環境が変わらなくても一人キ印がいたら地獄になってしまう。
日本に限ったことでなく、こんな病的人間はどこにでもいる。現在も戦闘状態にある国々はこういう処にこそ神経を配らねばならないと思う。


こういう中でも英国の軍楽隊が楽器付きで収容され音楽会が開かれジャズレコードがかけられたり、所内で密造酒が作られたり、赤十字差し入れがあったりで「ブラウン」さえ居なければそこそこ安楽に暮らせただろうにと思わせられた。

秩父宮殿下の義弟にあたる日本赤十字の徳川義知氏の視察の際に惨状を訴え、ブッシュは移管されることになる。
あのブラウンも収容所から居なくなった。
(終戦後どうなってであろう、捕虜間に殺害計画まで出ていた人だから戦犯指名は免れなかったと想像する)
横浜桜木町の洋館に移されベッド付部屋も与えられ、日本人知人との面会や海軍病院通いまで格段の好待遇となる。
ここに収容されている軍人らは監視付き以外は殆ど普通の生活で、時に東京見物にも行けたりする。
ブッシュも銀座へ出かけ丸善で本を見たり喫茶店に行ったり。
戦況厳しくなった東京の様子を「あの活気に溢れた愛すべき雑踏の街々はうらぶれ果て、魂を抜かれた痴呆のような姿になっていた」と書いている。

昭和20年年明け、監視の兵曹らが初詣に行きたいが監視から離れる訳にいかないので、一緒に行こうと誘う。
ブッシュともう一人の英人学者はさすがに参拝はしなかったが下で待っていて、お守りを買ってもらう。
学者は「大きなお守り」(破魔矢のことか)まで貰い電車の中で意味の分からない物を持たされ憮然としていた。

これは兵曹の好意からなので許してあげて欲しいですね。

昭和20年5月から7月、横浜大空襲、東京大空襲に遭い「大量殺戮と破壊と飢餓にさらされ」日本はこれ以上持ちこたえられないであろうことは歴然としていたと書いている。
そして8月15日、監視の兵曹が「日本は降伏しました。これからは自分らがあなた方の捕虜であります」と言う。この兵曹はこの上無く親切で思いやりがあり、軍人として任務を疎かにすることも無かったという。
他の水兵らのことも「私たちの生活を幾分でも楽なものにしようと骨を折ってくれた、収容所分室の人々に再会して心からお礼を申し述べたい」と書く。

前述の頭のおかしい看視兵その他一部の兵士だけがおかしいというのが分かる。
どんな集団でもそうだが千人に一人、万人に一人でもそういうのが居たら、とんでもない害悪になるということか。

大森収容所へ戻ると撃墜されたB29乗員が大勢入っており、落下傘降下したとたん一般市民から殴られた飛行士が多かった。
「我々としては与えられた任務を遂行しただけだが、彼らからすれば殴りたくなるのが人情でしょう」と恨んでいる様子も無かったという。

米軍上陸までの間、米艦載機が収容所に何トンもの物資を投下していく。
沖に米巡洋艦が姿を現し上陸艇を見た捕虜たちは待ちきれず次々に海に飛び込んでいく。
この辺りはまるで映画の場面みたいです。
上陸した側の米将校が自動小銃を構え「虐待したやつはどいつだ」と言うと、「みな親切で良いひとばかりだ」と急いで説明しなければならなかった。

9月2日、ミズーリ号艦上での調印式を望見したブッシュはこう書いている。

何者であるにせよ弱者が屈服させられるのを見るのは辛い事である。重光氏は戦争の支持者であった事はない。鈴木首相や他の指導者も然りである。彼らの手によってこそ、この戦争は終了に導かれた。



ブッシュ自身に拠るあとがきより。(昭和31年夏)

心の美しい日本人はいくらでも居たのに、今日彼らについての事跡は何も語られていない。
忌まわしい憲兵や「ブラウン」「ケダモノ」の蛮行の陰に消されてしまっていたからだ。
本書の大きな部分は、こうした心の美しい日本の人々についての記事なのだ。
悪夢のような時期にこそ結ばれた、強固な友情の物語である。

今日世界はケダモノを許してやらねばならない。こうした人物は世界のどの国にもいるからである。
我々人類は所詮一つの世界に住んでいるのだ。ある程度お互いに依存し合わないでは生存していけないのだ。この事は国家間にも当てはまる。



著者ブッシュは全編に渡って、民間日本人、一般兵士や将校、政府首脳、天皇はもちろん、どれもに罪があるわけでなく、軍部首脳に責任ありとしている。つまりGHQの対日本政策そのままです。
いくら日本通とは言え、これは仕方ないか。
というより本書自体がGHQ政策の一環としてブッシュがその役を担って書いたかも知れない。


益々日本人丸ごと鬼畜のように言う中国や韓国(本来敵であったことなど無いのに)があまりにエゲツナイので、アメリカを初め連合軍側の戦後政策が緩く寛容に見えてくるが、この辺は常に自覚しておく必要があります。
それとブッシュが英国人であることは、真珠湾攻撃のわだかまりが無い分、アメリカ人とはどこか違っているようにも思える。


ということで長々書いてきた本書紹介は終わりです。
当時序文とあとがきのまま再版して欲しいものです。

(一部勘違いがあったので訂正しました)






「東京捕虜収容所の英兵記録」 その5ーー捕虜に配られた大阪の駅弁

「おかわいそうに 東京捕虜収容所の英兵記録」の続き(その5)です。

忘れていたが、火野葦平の序文が示唆に富んでいるのでまずそれを。

太平洋戦争敗北後、日本と日本人、日本軍隊と兵隊とはすこぶる不評判になって、世界中の人達から白い目で見られた。私はそれが残念でたまらかなかったが、確かに不評判になる事実はあったのだし、時代とか風潮とかいうものは怒涛のようなもので、小さい手で押しとどめることは不可能だから、私は歯を喰いしばっていた。
人間は二度と戦争をしてはならないと、自分の経験を通じても心底から考えている。
しかし、日本人が投げ込まれた戦争の回想の中で真実を解明したいということは、それとは別問題だ。
誤解され、歪められ形のままでいることは耐えられない。
ありがたいことに、その是正をブッシュさんがやってくれた。



これが昭和31年(1956年)時点。
それから60年近く経った今もまだ「誤解され歪められ」たまま、あるいはもっと酷くなっているかも知れない。
従軍経験のある火野が「歯を喰いしばって」「耐えられない」と書いている、つまり日本のために命を賭した人達にこんな思いをさせ続けた戦後68年だったという事だ。



では本書内容に。
香港で敗軍となった将校ルイス・ブッシュは日本軍の憲兵隊収容所→一般民間人収容所→軍人収容所と移動する。
この香港軍人捕虜収容所では将校以外には作業が割り当てられており、飛行場の草刈などやるのだが、驚きな事にこの「労働」をブッシュは「ピクニック作業隊」と呼んでいる。(ブッシュは通訳として同行)
野戦用の炊事車を引っ張っていっての野外作業は「まるでピクニックにでも行くような楽しさで、みなはしゃいだ」と。
作業場への道すがらにも「妻や愛人が食糧や煙草などの包みを持って待ち構えていた」「看視兵たちは気のいい親切な人ばかりだった」。
さぼり放題でもあり、他に作業に来ている中国女性とねんごろになって退避壕に雲隠れする連中までいた。
 (何という強制労働!)

連合軍側捕虜の世界各国の人種民族が集合させられたことがあり、彼らは去勢されるのではないかと恐れる。
それを聞いた日本兵らは大笑い。
結局耳たぶからちょこっと採血するだけで(何という人体実験!)終わるとカレーライスをご馳走になり日本兵とピンポンして遊んだ。


こんなこと戦史で語られる事は殆どないですねえ・・。
戦時中でも現実にそぐわない「日本軍は鬼畜」の噂が飛び交っていたようで、これは鬼畜米英とする日本の側も似たようなものか。
ほんの一部に酷い扱いがあればそれが総てであると噂が回る、あるいは意図的に広めるというのはあっただろう。ブッシュも本書の中で「戦争中は敵について途方もない話を聞かされる」と書いている。
(その途方もない荒唐無稽話を今になって利用しているのが中国・韓国だ)

「街の女の中で、日本兵相手に稼いだアガリを捕虜に貢いで(差し入れ)いた連中が少なくなかった」
あ~これが中国の「従軍慰安婦」の実態でしたか~。


他にも大音楽慰安会が開かれたり「楽しい外出」があったりブッシュ自身による日本語講座が開かれたり、なかなかのんびりした様子に思える。
その中でも心身衰弱する捕虜も少なくなかったらしい。外から食糧を仕入れて分け与えても何をしてもダメで、「生きる興味を失って」弱ってしまうのだ。

香港収容所から一部が日本本土へ送られることになり、ブッシュもそこに含まれる。
船が不足していたので小さなボロ船に入れられ、ここはかなり苦難の様子が書かれている。
看視の日本兵や船員に悪意があるわけでなく単に物資不足であり、経由地の台湾では食糧物資の調達に奔走したりする。

昭和18年(1943年)9月に大阪築港に到着。
ここから大阪駅まで市電も使いながら行進する様子が何とも興味深い。

船旅で弱ったり病気の捕虜は歩けるものでなく、いくら単距離でもトラックに乗せてあげないのが、こういう所は後で日本軍の「非道」と言われる要領の悪さと感じた。

行軍途中でみなバラバラになってしまい灯火管制された夜の街を迷子になる。
迷子になるほどに特に監視が厳しくはなかったという事。
島国でどこにも脱走できないのが分かっていたからか。
やっと大阪駅に揃うと洗面所で顔洗ったり髭を剃ったり、カタコト英語の一般日本人と喋ったり、それも割と自由。
駅弁が配られ中身は「燻製の魚、鯨肉のフライ、白米飯に漬物」それにお茶が付いてきた。
居合わせたスイカ売りの少女からスイカをもらったりもしている。

こういう様子も知られざる戦争の側面とも言えると思うが、こんな話は一般に知られていないのが残念だ。

金沢駅でまた駅弁が出され、新潟の収容所へ。
ブッシュはすぐに東京へ移送されるのだが、新潟の収容所に入った捕虜の人達はその後雪崩に遭って多くが亡くなったそうだ。


一旦閉めてまだ続きます。



同じニオイがする人達 - ナリスマシ族と呼んでます

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ぼろモップのような盲目の野良犬を救い出す動画@アメリカ

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「東京捕虜収容所の英兵記録」 その4--タチの悪い中国人や酔っ払い捕虜のこと

「おかわいそうに 東京捕虜収容所の英兵記録」続きです。

香港で日本軍の捕虜となったルイス・ブッシュは、はじめ憲兵隊収容所に入れられたが次にスタンレー地区の一般民間人用キャンプに移送される。

「モリスのスポーツカー」での移動だった。
2000人ほど収容され、鉄条網で囲ってはあるが広大な敷地で丘あり道路あり海水浴の出来る海岸あり、先に書いたように学校、図書館、病院もある。
親日家でもあったので軍の捕虜とはならず日本人妻と再会できる可能性があるとして、日本側の好意で入れられたようだ。
キャンプ内の欧州人男の多くが中国女を妻としており、その妻らの多数が質悪く闇取引をやっていた。
前回書いたボッタクリ中国人にしろ、ヤクザにしろ、闇取引女にしろ、今と変わらない訳だ。
中国は昔も今も変わってない。
日本人も昔と同じ。


キャンプの食糧だけは質が悪く苦労があったが、差し入れは許されていた。
「愛憎絵巻」と称した項ではキャンプ内での男女痴話が繰り広げられる。
25歳男と60歳女の結婚だとか、捕虜となった軍人の夫がいるのにキャンプ内で他の男とデキてしまう人妻、四六時中顔を突き合わせる環境で破たんする夫婦・・
けれど笑いごとではない。
広くあろうが収容所ということで人間関係がおかしくなるのは問題には違いない。
が、それも現在の価値観で当時を同じに考えてもいけない。

一般キャンプでブッシュは軍人ととして居心地悪く軍用捕虜収容所へ移してくれと何度も要請する。
聞き入れられる事になるが移送の時に日本軍将校から「ビンタを張られ」てしまう。温情をかけたのにバカなやつという事でやられた訳だ。
ビンタ一発の後にはカレーライスをご馳走される。

日本軍人によるビンタは度々出てくる。
これは習慣として良いのか悪いのか判断が難しいが、前述のようなケースではブッシュは即刻意味を理解しているし有用な事もあっただろう。
他にも大森収容所で外部労働で酒をクスねた捕虜が、ある程度は黙認されていたのに限度超えて飲みまくりヘベレケに酔っ払って帰ってきた。
そこで監視兵がビンタを張るのだが、酔拳よろしくよろめいて当たらない。ここで双方大笑いしてお仕舞い。

限度超えた無軌道抑制のためのためのビンタ習慣であると思うのに、やはり悪用してしまう日本兵はいた。
その場合はたいていビンタだけでは済まない。よろけた所を蹴ったりする。
そういう侮蔑含むものは上記の例とは全く意味が違う。


軍人収容所へ移動させられる事になったブッシュは「脱走逃亡の場合には処刑される」ことを承諾サインせよと迫られ憤慨する。
欧米人にとって脱走とは義務であり誇りであると、価値観の違いに憤り、書いている文章も厳しい。

捕虜になるのは恥辱だ、捕虜になるくらいなら潔く死ね、と絶えず教え込む事は人間性を貶める事であり、卑劣な恐喝手段である。
その為どれだけ有為な日本人の生命が失われ、その家族が塗炭の苦しみを味わったか、計り知れないものがある。
何十万という立派な日本人が今日生きていられるものを、単に自分とその家族が汚名を蒙るという恐怖に駆られて、一個の狂信者と化して死を急いだのだ。



これは全くの民族間の齟齬でもあるし、一理もあると思うので難しい。
連合国西洋人に日本の価値観を強いるのは確かに問題があるし、かといって西洋人の側から日本のある種「美学」や「死して大義に生きる」意味を理解しようともせず単なる狂信者と断ずるのもおかしい。
けれど国際慣習=西欧列強の価値観=に合わさなければ後で要らぬ混乱を蒙ってしまう事を考慮する必要はあったと思う。
西欧という列強は列強として厳然とあったのを否定することは出来ない。
そこの処は日本は要領が悪かったと思う。




まだ続きます。
(持論が入り過ぎてなかなか先に進まないなあ・・・ちょっと反省)





「東京捕虜収容所の英兵記録」  その3ーー中国人のボッタクリに遭った日本兵

先日からの「おかわいそうに 東京捕虜収容所の英兵記録」続きです。

その1

その2


香港攻略戦で敗れた英軍将校の著者ルイス・ブッシュは捕虜となった訳だが
まずは香港の憲兵隊の収容所に入れられた。
待遇は悪くなかったが、「憲兵」というものに嫌悪感を持っており日本兵でさえ憲兵を嫌っていると何度も書いている。
言葉も行動も荒いのは事実としてもブッシュが何かをされたという描写は無いので当時の一般的な憲兵観を言っているのだろう。

その中で「血の池地獄の獄卒」と題した項で、憲兵らが中国人犯罪者を次から次から連行し「首をはねる」とある。
「刑場から帰ってきた憲兵たちが、血の池地獄の獄卒よろしくの形相で、刀の切れ味を自慢している姿の恐ろしさ嫌らしさは吐き気を催すほどだった。こうした悪魔的な残虐行為は日本人一般が決して許さない事を知っている。
日本人は元来親切で寛容な国民だ。日本の歴史は捕虜や弱者に対する任侠の物語を数多く備えているではないか」


中国人犯罪人に自ら墓穴を掘らせ、そのまま首をはねる、ともあるがこれはブッシュ自身が見ている訳ではない。
どうもこの辺が分からない。
後で他の収容所に移動した時に再会した仲間からブッシュ自身が「日本軍に首をはねられたとばかり思っていた」と生存を喜ばれるのだ。
当時香港では極悪ヤクザ者中国人が横行していたのは事実で、治安回復のため検挙し処刑するというのはあっただろう。
数件でもその処刑があれば噂が噂を呼んで、捕まると即首刎ね、というような話が広まっていたのだろうか。
あるいは蒋介石軍の方で故意に流していたか。
シナ事変から中国側に「欧米連合軍に言いつける」傾向があったようなのでこれもその一環かとも思える。

ブッシュら連合軍側捕虜の間では日本軍だけでなくドイツ軍について、これ以上無い残忍行為をやっていると噂しており、(南京で日本軍がやったと捏造されている)あの赤ん坊をほうり上げ銃剣で刺す、という噂もドイツ軍の行為として本書に語られている。
戦争中というのはどこの軍もこれに類する「敵軍は鬼畜」の噂を流す=情報戦心理戦=があっただろうことが窺える。
終戦となれば荒唐無稽な噂は殆どは消えてなくなるのも通常なようだが、中国だけは違っていた訳だ。

中国国民党は消す事なく極東軍事裁判に訴え「南京事件」を持ち出してきたし、のちに中国共産党が利用し始めたのは知られている通り。




本書に戻ると

香港攻略後の街の様子は混沌としていたが、「店という店は日本兵で満員になった」とあり、みな香港ドルを持っていて買い漁ったらしい。
1941年なので軍にもまだ余裕があったのだろう。
シナ人の略奪品を売る店まで出てきて高値で売られる。

今中国が言っている「中国人からの略奪」とは話が違いすぎる。どちらか言うと中国人に拠るボッタクリじゃないか。
知らずに略奪品を掴まされたら、それが「日本軍略奪の証拠」とでもされかねない。

とにかくシナ人のヤクザや略奪が多過ぎて日本軍も治安維持にかなり難儀していたのが分かる。

憲兵隊内収容所での生活に不自由はなく、他にもフレルフォードという英兵が収容されていた。
彼は戦闘中に敵方であるのに負傷した日本兵を助け、その現場を押さえられたため捕虜というより特別待遇の客人扱い。
自由に街で買い物するパスまで与えられていたが、仲間もおらず言葉も通じずで寂しい思いをしていた処へブッシュが入ってきた。
こういう日本憲兵隊の人情の通った様子を間近で見ているのに、前述の見ても居ない中国人処刑を簡単に信じ込むというのはどういう訳だろう。

憲兵隊収容所にはチャップリンばりの格好をした気前のいい老料理人(もちろん日本人)が居たり、憲兵や衛兵らと一緒にご馳走を食べ飲み歌いして「戦争を忘れて陽気にはしゃいだ」りもあったと書いてある。

特殊な事情の敵兵捕虜や将校をこういう風に扱っていたなど、今まで殆ど知られていないのではないか。
一般の捕虜でも本書全編に渡って(明らかな精神障害の監視兵以外)基本は人道的に扱われている。
悪環境も語られるが殆ど総てが日本の物資・食糧不足から来るもので故意ではなかった。


まだ続きます。




「東京捕虜収容所の英兵記録」 その2--捕虜に給料が支払われていた!

昨日の続きです。

「おかわいそうに 東京捕虜収容所の英兵記録」
(↑昨日の記事 クリックどうぞ)

おかわいそうに―東京捕虜収容所の英兵記録 (1956年)おかわいそうに―東京捕虜収容所の英兵記録 (1956年)
(1956)
ルイス・ブッシュ

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「捕虜収容所」に対する私のイメージ=固定概念は正に勝手なイメージであって、現代の大多数の人もそうではないかと思う。
本書を読むと収容所内での生活描写では驚かされることが多かった。

一番の驚きは「捕虜に給料が支払われていた(もちろん日本円で)」ということ。
捕虜の階級を日本軍の階級に当てはめてそれと同等の額が支払われていたという。
収容所内部には売店があり、そこで使うことが出来る。
所内では捕虜間に闇市まであり、外部労働で買ったりクスねてきたりした物も売買される。
(しかもクスね方も倉庫作業で「服の中にこぼれた」砂糖を持って帰ったりで、日本側の検査も厳しくはないーー食糧不足の中である程度は黙認されていたのか)
それでも使い切れず貯まるので、所内監視員の日本兵が借金のお願いに来たりもする。
その環境なりに人間くさいエピソードの連続で、語弊があるがなかなか面白いのだ。


本書は初め著者ルイス・ブッシュの日本との関わりや日本人妻かね夫人との生活など描かれ、1941年開戦当初頃の香港攻略戦時の様子が描かれる。
1941年12月25日、イギリス軍は日本軍に降伏。
英軍士官であるブッシュは捕虜の身となる。
日本語が話せるということでスパイ容疑を掛けられ呼び出され事情聴取されるが、尊厳を損なわれることもなく雑談しながらのもので特にどうということも無い。
軍人なので本来なら捕虜として収容されるのが、親日ということだろうか自由さのある一般民間人収容所へ入れられる。
収容所から出る事は出来ないが、広い敷地の中では自由で海岸もあるので海水浴まで出来ていた。
敷地内では学校、病院、図書館も開設され、特に人道上問題は無かったようだ。

時系列が前後するが
香港攻防戦の中で、英軍降伏後もシェーソン山の地下弾薬庫で粘って籠城する豪州人含む英軍部隊があった。
著者ブッシュがそれの説得に向かうのだが、籠城部隊は食糧が尽きたら弾薬を総て爆破して兵士も諸共の覚悟があった。
ブッシュら説得組は最後アルコール(ラム酒)で誘い出し事無きを得る。
籠城部隊が収容所へ入れられると日本軍将校は「帝国陸軍提供のご馳走でもてなし」ビールやウィスキーもふんだんに振舞われたという。
英軍籠城組の気概はまるでよく言われる日本軍のものに思えるが、どこの国も軍人となれば似た処はあったのだろう。
その気概と矜持を敵であっても認める所は認める軍人魂というのか、こういう場面は端々に出てくる。

けれど日本軍全員が筋の通った人間という訳でもなく卑怯な人間もいたようだ。
以下引用。

激しい戦闘の最中とか危うく殺されかかった反動で、兵隊が残酷な行為に出る事はあるが、大体から言って戦闘部隊の兵隊たちは敵に対して大らかな気持ちを抱いているものである。
私が残酷な取扱いを受けたのは、殆どが非戦闘部隊の連中からで、こういした連中に限ってバカでかい軍刀をさげ、立派な制服を着、自惚れと尊大にふくらんでいたものである。


「寄生虫や山師的存在はどこの軍隊にも見出せるもので、終戦後の占領中でも例外ではなかった」とも書く。

この人は軍人兵士のことを日本だから、連合軍だからと特に分けて人を批評はしない。
卑怯な奴は人として卑怯であるとする。
けれど総じて温厚であるのにと、人格捻じれたような人間が日本人の中に居ることを残念がったりはする。



香港の民間人収容所から日本本土へ送られ大森捕虜収容所の処はまた次に。





「おかわいそうに―東京捕虜収容所の英兵記録」 その1

実家納戸に埋もれていた本の一冊
(アマゾンには古書としてのみ出ています)

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おかわいそうに―東京捕虜収容所の英兵記録 (1956年)おかわいそうに―東京捕虜収容所の英兵記録 (1956年)
(1956)
ルイス・ブッシュ

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本書タイトル「おかわいそうに」とはいったい何の事なのか。
戦時中1942年に起こった「おかわいそうに事件」というのがある。
上の写真でもわかるように本の表紙に「米俘虜にお可哀想にとは何事ぞ」の記事が掲載された新聞が使われている。

その記事内容を知りたくて検索してみたらありました。どこの誰かが出してくれてるんですね。

お可哀想に 大本営陸軍報道部長 秋山邦雄
(クリックどうぞ 全文載っています)
以下一部引用↓

しかしてこの残虐の行為は米英アングロサクソン民族共通の国民性であつて、たまたま戦争といふ形を借りて現はした僅かその一端に過ぎないのである。われわれは曾て前欧州戦争の平和会議に人種平等案を提出しようとして阻止されたのであるが、これを阻止したものは果して何人であつたか。わわれれ日本人を劣等民族なりとして移民を禁止した国は果していづこの国であつたか。彼等は口に自由と平等を唱へ顔に正義とデモクラシーの仮面を被りながら彼等の神さへも許さざるこの罪悪を犯したではないか、彼等こそ劣等の焼印をその額に刻すべき米英アングロサクソン民族そのものである。われわれは決してこれを忘れる程健忘性でも卑怯でもない。

私は先日「お可哀想に」といふ言葉を聞いた。それは東京に住む或上流婦人の口から発せられたのであり「お可哀想に」である。対手はアメリカの捕虜である。我が忠勇なる日本軍将兵に抵抗したとこれ等のアメリカ人どもが武運拙く----いや彼等をしていはしむれば死なないことに於て運よく捕虜となつて、港の波止場で卒倒しつつある姿が新聞のうへに写真となつて現はれた。その姿に向つて不用意に発せられた言葉が実に「お可哀想に」である。
この翌日に於ける「お可哀想に」といふ上品な婦人用語は一体真の日本婦人特有の優しさ、淑かさ、或は敵を愛する精神から発せられたものとして、一層われわれはこれを賞賛すべきであらうか、将又政府は奨励金の割増を附けて広く巷に流行せしむべきであらうか。

ルー大使が帰米後「日本人の中にはわれわれの親友が多数残つてゐる」と述べたその日本人たちであるからである。今にして驚くことはアメリカの影響が如何に広くまた如何に深く日本国民の心の中に喰入つてゐるかといふことであつて、アメリカは戦はずして早くから日本国民の心の中にスパイを放つてゐた。山中の賊を破るは易く心中の賊を破るは難し、われわれは先づ心の中の賊、心の中のハリウッド、ニューヨーク、心の中のアメリカを打破らねば仮令幾隻敵の軍艦を打沈めても未だ勝利への道に踏出したとはいひ得ないのである。




「おかわいそうに」著者であるルイス・ブッシュがその言われた本人ではないが、同じ日本軍の俘虜(捕虜)となった顛末が事細かく描かれてある。

著者略歴として本書より(昭和31年時点)

1907年ロンドンに生まれる。仏教と日本史の研究のため昭和7年来日。
弘前、山形両高等学校で英語と英文学を講じて学生に親しまれる。
昭和15年、英海軍士官として従軍、香港陥落で日本軍の捕虜となり、各地の収容所を転々とした。
東京大森捕虜収容所で終戦を迎え、一度英国へ帰り、昭和21年再び来日。
英国映画協会の代表者として活躍、NHKに勤務、国際放送に従事するほか、カレントトピックスを担当。
著作には日本事物辞典などのほか、かね夫人との共作による友松円諦博士の仏教に関する著書、火野葦平氏の「麦と兵隊」その他の翻訳がある




本書は大変興味深い体験談が満載、これが再販されずにいるというのはどういう訳だろう。
日本に取ってあまり都合の良くない内容も含まれているが、それよりは戦時中敵味方であっても双方軍人や兵士としての矜持に纏わるエピソード、一般民間人の至って普通の言動が書かれており、どちらの国がどうだとかでもなく善悪二元に陥ることもなく、現場体験者の記録として貴重なものだ。
「日本人・日本軍は非道であった」とする勢力に取ってはかなり都合が悪い内容ではあるだろう。

内容の詳細について少しづつ書こうと思います。
次に続く。










韓国で猫に生まれるほどの地獄は無い(犬も)

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イプシロンロケット打ち上げ と ボイジャー1号から見た地球は小さな点

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『あまちゃん』では音痴だって? 薬師丸ひろ子「Wの悲劇」

NHK朝ドラの『あまちゃん』が人気だそうで。
私は数回ちらっとしか見たことないのでストーリーが分からないが、風の噂では薬師丸ひろ子演じる大御所女優が音痴という設定らしい。そして歌の影武者として小泉今日子が歌うと・・
あれ? 音痴と言えばキョンキョンでは。

本物の薬師丸ひろ子の歌はいい味しています。
最近は色っぽく美しくイイ感じの年の取り方していて素敵です。
主演映画だったテーマ曲の「Wの悲劇」は幻想的な曲調にぴったりの美しい声。
特に上手いという訳でもないのに、この人でなければ出せない歌い方です。

作詞:松本隆 作曲:呉田軽穂
呉田軽穂=松任谷由美であります。

薬師丸ひろ子 Woman ~Wの悲劇より~




もう一瞬で燃え尽きて あとは灰になってもいい
わがままだと叱らないで・・・


何と情熱的な。
けれど薬師丸さんが歌うとねちっこく無いです。

「あまちゃん」は薬師丸さんをちゃんと歌わせてあげてくれよ~~。



虚偽記憶 と 日本軍の「悪行」

先日から書いている中帰連を主とした日本軍の「悪行」証言と、{記憶の捏造}=虚偽記憶が生まれるメカニズムとの関連性について。

記憶はウソをつく (祥伝社新書 177)記憶はウソをつく (祥伝社新書 177)
(2009/09/29)
榎本 博明

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この本は一般的な刑事事件においての「自白」や目撃証言がどれほど曖昧なものであるか、あるいは「造り出される」ものであるか、それが外的要因に左右されるかを解いているもので、戦争や日本軍について触れられてはいない。
けれど日本軍人や満州国官僚らが中国・撫順収容所で6年に渡って抑留され思想改造を受け、「日本軍の悪行・残忍行為」を自白し供述書を書いた(書かされた)経緯を読むと、驚くほどこの本に書かれてある捏造記憶のメカニズムに当てはまる。

本書目次より、思想改造=洗脳を受けた人達に関係しそうな項目を書き出してみる。
(目次だけでも詳しく書かれてあるので助かります)

・記憶の捏造はこうして起こる
・自分の体験でないものが記憶の中に取り込まれる
・トラウマの記憶さえ書き換えられる
・記憶は巧妙に変容していく
・記憶と想像の間には明確な境界線は引けない

・虚偽の自白は二転三転する
・虚偽の自白に追い込まれるタイプとは
・「ひょっとして自分が」という不安
・記憶は書き換えられる
・記憶には今の自分の状況が影響する (「今」というのは想起する時点のこと)
・想像しイメージしたことが記憶に紛れ込む
・話しているうちに本人自身も騙されていく

・「無意識のうちに」という呪文 (追及されると無意識のうちにやったかも知れないと思い始めること)
・無意識を持ち出されると誰もが無批判になる

・抑圧神話のはらむ危険性 (自分に都合の悪い記憶は抑圧されて忘れていただけで思い出した、と捏造が始まる)
・聞き手の理解の枠組みに沿って説明する
・偽の記憶がどんどん増殖していく
・さまざまな揺さぶりが罪悪感や責任感を刺激する

・一度信じたイメージはなかなか拭い去れない
・記憶は再構成される
・誤情報を与えられると記憶が変容する
・質問の仕方次第で記憶は誘導できる
・記憶は辻褄を合わせる方向に向かう

・強い情動を喚起されると記憶は正確さを失う
・繰り返し話していると記憶は強化されてしまう

・同調の心理や暗示効果が記憶を作り変えていく
・話し合うことのデメリット
・集団のほうが冒険的な決定の罠にはまりやすい

・他人の視線が自分の意識や行動に影響を与える
・無言の同調圧力
・どこまでが自分のオリジナルな記憶なのか

 
( )内は私自身の説明です。




そして↓こちら

「天皇の軍隊」を改造せよ: 毛沢東の隠された息子たち「天皇の軍隊」を改造せよ: 毛沢東の隠された息子たち
(2012/02/08)
高尾 栄司

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これを先に読んでいて、前述の「記憶はウソをつく」を読むと、撫順での思想改造(=捏造証言)の過程がどれもこれも見事に当てはまる。

記憶のメカニズムが解明されてきたのは1980年代にアメリカにおいて「幼児期の親による被虐待経験」者が異様なほどに多発したことからだそうだ。
様々な実験実証を経て虚偽記憶についての解明がされるようになった。

中国共産党による洗脳=記憶捏造含む=は戦後間もない1950年頃だ。
周恩来が中心になっていたようだが、人間心理のメカニズムを知っていたのか、スターリンから受け継いだ洗脳法の延長として経験から分かっていたのか。
共産主義の特徴の一つに「目的のためには手段を選ぶ必要はない」があるが、ナンデモアリ状態でやれるものは何でもやってみようと人体実験の一つとして発達したものなのか。

けれど改造を受けた人達総てが改造されてしまった訳でもないし、捏造記憶を植え付けられた訳でもない。
「記憶はウソをつく」でも、一部の人は自分を失うことなく、捏造記憶に惑わされることなく居られるとある。
撫順収容所での6年に渡る中共の操作に陥る事のなかった人は居る。
小田少佐という人は供述書の中で時期場所人物、部隊の構成や位置などに矛盾が生じるようデッチ上げを紛れ込ませ、抑留されなかった少佐周辺の人達が見ればすぐに矛盾に気づくよう巧妙に書かれてあるそうだ。
供述書と見えて実は真実のシグナルを送っているのだ。
(「検証 旧日本軍の悪行 歪められた歴史像を見直す」自由社 より)

それでも何割かの人は罠に嵌ってしまい虚偽記憶の罠から抜け出ることが出来ずに生涯を送る。
人間が持つ知恵をマイナス方向に極限まで使いこなすと、ここまで他者を操作出来るということ
それを実際に組織としてやる集団が存在するということ
何というおぞましさだろう。




前にも取り上げた岩波書店刊の↓の帯には「日本軍人・旧満州国官吏達が詳細に書き記した侵略と支配の実態」とある。
「悪行」の供述書を諸手を挙げて擁護し、賛美までしているように見える岩波の害悪本だ。

侵略の証言―中国における日本人戦犯自筆供述書侵略の証言―中国における日本人戦犯自筆供述書
(1999/08/10)
新井 利男、藤原 彰 他

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陸軍中将であり日本軍人らしい軍人、皇族付武官の経験まであった人物、撫順から帰国後は中帰連会長となった藤田茂氏の「供述」を抜き出してみます。
「日本民族独立」や民族解放との言葉が各所に出てくる、つまり日本で共産革命を起こす事を意味する。
そして最後の一文は見るもおぞましい。
人間精神がどこまで破壊変容を受けてしまうものかが見えてくると思います。


私は中国人民に対し物質的精神的にも多大の罪行を犯しているものであります。無辜の人民を何等の理由なく殺害し、平和なる家庭を壊し、幾代か住み慣れし住家を破壊放火して人民を雨露に晒し、血汗を流せる糧穀を掠奪し、耕作地を荒廃せしめ、国際公法に違反して毒瓦斯、細菌戦を使用せる等の悪虐なる罪行を実行せしめたものであります。
これ等の罪行は凡て日本帝国主義の侵略行為に依り行われたるものでありまして、侵略戦争の惨逆性と破壊性とを如実に表示するものであります。
私は深くこの罪行の厳重なることと私の領導的立場の責任の重大なることを認識するものであります。
私は自己の罪行の厳重性と責任の重大性なることに思いを致し、更に認識の向上と思想改善に努力し、その実践たる認罪を徹底的に完行すると共に一歩を進め、他人の検挙にも邁進し、以て帝国主義の罪行の凡てを世界に暴露し、戦争に反対し平和を守る人民運動に対する一助とし且つは日本民族独立運動を支援する一端と希ふものであります。
之はまた中国人民に曾ての私の罪行に対する陳謝の誠意でもあります。
最後に私は私にかかる罪行を犯さしめたる裕仁に対し、心よりの憎恨と斗争を宣言せんとするものであります。
           1954年8月1日 於・撫順




改造を施した日本人を100人でも日本国内に放てば効果はあると中国側は考えていたという。
実際、ほぼその企み通りになっているのではないか。
保守層の中でも「残忍行為も多少はあったのでは」と考える人がいるが、まんま策略に嵌っていることに気付いてない。
中国に戦犯管理所という場所があったことや何が行われていたか知らないまま、調べようともしないまま、マスコミ(NHK,朝日新聞、岩波など)によって植え付けられたイメージを固定させてしまっている。
これを放置したままでは「戦後レジームからの脱却」など果たせない。



「新日本紀行」テーマ曲

聴くと子供の頃の風景がありありと蘇ってくる曲がいくつかある。

それの筆頭が1963年から放送されていたNHK「新日本紀行」。
テーマ曲は富田勲。

NHK 「新日本紀行」テーマ・オリジナルバージョン (冨田 勲)



これを聞くと当時の我が家の様子が蘇る。
夜の7時半から8時まで、ちょうど夕食が終わった頃。
うちは祖父母同居で6人家族だったので今から思うと「大勢」だったなあと思う。

あと家族で見ていたのは
「驚異の世界」「すばらしい世界旅行」「兼高かおる世界の旅」「野生の王国」などドキュメンタリーもの。
テーマ曲をyoutubeに上げてくれている人がいるので(有難い!)懐かしいと思われる方、検索してみて下さい。

子供の私はウルトラマンやマグマ大使を夢中で見ていたけれど、家族で見る番組も割とあった。
そう言えば兼高かおるさんとはいったい何者?と長年不思議だった。
外交官の娘さんとか特殊に高貴な人だと思っていたが、そういう訳でもないのですね。品の良い人ではありました。

そして世界の旅と言えば「この番組の制作に当たっては世界の翼パンナムの協力を得ました」。
PAN AMショルダーバッグを持って世界旅行など庶民に取っては別世界。
戦後自由渡航が解禁されたのが1964年(東京オリンピックの年)、回数制限が撤回されたのが66年だから、兼高かおるの番組が別世界に思えるのも当たり前だった。
そういえばうちの父は解禁になって間もない頃に香港旅行へ行っていたなあ、それだけで大騒動だった。
戦前には船旅ではあるが、日本人も自由に海外へ出ていたのが敗戦・被占領で一旦は閉じ込められていた訳だ。

今ではテレビで自然や紀行ものをやっても珍しくもなく流行らないんだろう。
NHKはアレだし民放はおバカなのが多いし。
テレビにはもう期待できないなあ・・・



「検証 旧日本軍の{悪行} 歪められた歴史像を見直す」 

「日本軍の悪行」がどうやって捏造されたか、何度も検証本を取り上げていますが
一番大事な本を忘れていました。
(コメント下さった方のお蔭で思い出しました!)

↓これは必読です。

検証 旧日本軍の「悪行」―歪められた歴史像を見直す検証 旧日本軍の「悪行」―歪められた歴史像を見直す
(2002/12)
田辺 敏雄

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以前に書いた記事

検証 日本軍の悪行 ←クリックどうぞ

ここに私は「日本が悪い」と書いた。
ある一面から、いつも私はそう思っています。

戦後の日本は生温い、怠惰、見て見ぬふり・・・
それがために戦後から今に至っても「犠牲者」が出ている。
犠牲とは、元日本軍人や兵士、満州国官僚だった人らが中国共産党の思想改造が解けないまま左翼陣営に取り込まれ利用され、生涯を「中国人民への懺悔」を生きる縁として送ってきた、その事です。
今も存命の方はそのただ中に暮らしているだろう。

抑留中に書いた(書かされた)「自分が犯した残忍行為」の供述書を、自らの棺の中に入れてくれ墓前に供えてくれと言う人までいる。
これほど人の尊厳を冒涜する工作が他にあるだろうか。
ひいては日本国家国民冒涜であるこれを放置していいはずがない。


先日から同じような事を書いているが再度書きます。

戦争中には合法、正当とされていても人として罪悪感を抱かずにいられない事象が起こる。正当な行為であっても戦闘中に敵兵士を撃った殺した、明らかにスパイである敵を処刑した、
あるいは捕虜を物資不足から死なせてしまった、などなど。
真っ当な日本人なら奥底に多少なりとも呵責を抱いているだろう。
そこを利用したのが中国共産党だ。
有りもしない罪を背負わせる、時に自分らがやった事を転嫁して背負わせる、僅かながら持っている良心の呵責を利用して肥大化させるのが中国共産党のやり口でもある。


保守思想を持っていると見えて「でも当の元日本兵が証言しているし」で済ませてしまう人もいるが、なぜ調べてみよううとしないのか。
たかじんの言って委員会で発言した、ヤマヒロこと山本浩之アナ、あんたのことだ!





記憶の捏造(虚偽記憶)について

先日から書いている「日本軍の悪行・加害を証言する人達」にも関連して。

3年前になるが、近畿圏の朝日放送でこんな番組があった。

ビーバップハイスクール 記憶はこうして捏造される ←クリックどうぞ

この番組はお笑いタレント・ハイヒール司会で、基本おバカ番組だが意外な話題も取り上げられ割と面白い。
作家・筒井康隆がレギュラーなのでおバカでありながら深い話題も出てくる。

前には「世界が一つのクラスだったら」寸劇があり、世界大戦について
ギブアップ寸前の日本君にアメリカ君が最終的ケンカ兵器のアトミックボトルを投げつけてしまい、クラス中が恐怖と呆れとで「あ~あ、やっちまった」と囁く・・
そんなのもありました。

そして上記の「記憶は捏造される」内容説明より

記憶は自分だけでなく、他人によっても書き換えられる」という榎本先生。そのメカニズムは心理学的に解明されているとか。そこで、第三者による記憶のねつ造のメカニズムをわかりやすく紹介。まったく記憶にないことが、巧みな誘導によって、やがて自分の記憶にすりこまれる様子に、一同も「こわい!」と驚きの声をあげる。
自分で書き換えてしまったり、他人によってねつ造されてしまう記憶。自分の記憶はどこまでが真実なのか・・・。だが、犯罪捜査では目撃情報も重要だ。そこで、記憶の曖昧さをスタジオで大胆実験!その結果に一同は騒然!スタジオも凍りつく!?


女子アナ数人が実験台となってやっていたが、それはもう自信たっぷりに「捏造記憶」を喋るから恐ろしい。



この回を担当した榎本博明という心理学者の本がある。

記憶はウソをつく (祥伝社新書 177)記憶はウソをつく (祥伝社新書 177)
(2009/09/29)
榎本 博明

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(実はまだ読んでいません、これから読んで後日書きます)

女子アナ達もそうだが、こういう虚偽記憶の内容を喋る時にはかなり饒舌になるようだ。
聞き手の質問の仕方に拠っては内容の広がりがエスカレートしていく印象もある。

虚偽記憶とは↓クリックどうぞ
虚偽記憶 wiki


そう言えば海外で「私はUFOにさらわれた!」という類の証言も検証するとこれに相当するらしい。
あるいは足利事件で冤罪として無罪になった菅谷さんも、話し方に違和感ある特徴があった。
知的に要領が悪かったり(=ずる賢さが無い)元々自我が弱い人だと容易にこの罠に自ら嵌ってしまうと聞いたこともある。

ド素人の私が勝手解釈するのも良くないが、
特殊な環境、元からの自我や人格の傾向、責任感や恩義への固さ、などの要因が重なって記憶の捏造は起こるのではないか。
「幼児期の迷子事件」くらいなら特に条件が無くても簡単に捏造されてしまう・・。




いわゆる日本軍の悪行を証言する人達に戻るが
その人達が当時置かれた環境、記憶を誘導した側の立場、など詳細を検証して虚偽記憶のメカニズムも絡めて政府が研究すべきだ。
今更だと放置してはいけない。
当事者の人達は多くが存命でなくなっているが、それでも供述書などアチラ側が発表している資料は少なくないので可能だと思う。

戦犯とされていた人達が語ってきた自身の「悪行」「残虐行為」の内容は皆共通して、講演する度毎に、語る度にエスカレートしていたそうだ。
自らがやったとして告白し懺悔する聞くもおぞましい残忍行為、それが益々残忍なものに変わっていくという。
もちろん証拠などどこにも無い。どころか事実誤認と矛盾に満ちている。
これが異常心理に囚われているのでなくて何なのだろう。



いわゆる「日本軍の蛮行」 賛否両側の本

いわゆる「日本軍の蛮行」について書かれた本4冊。

「天皇の軍隊」を改造せよ: 毛沢東の隠された息子たち「天皇の軍隊」を改造せよ: 毛沢東の隠された息子たち
(2012/02/08)
高尾 栄司

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南京「大虐殺」被害証言の検証―技術屋が解明した虚構の構造南京「大虐殺」被害証言の検証―技術屋が解明した虚構の構造
(2012/09)
川野 元雄

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以上2冊は真っ当な検証本




侵略の証言―中国における日本人戦犯自筆供述書侵略の証言―中国における日本人戦犯自筆供述書
(1999/08/10)
新井 利男、藤原 彰 他

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なぜ加害を語るのか 中国帰還者連絡会の戦後史 (岩波ブックレット)なぜ加害を語るのか 中国帰還者連絡会の戦後史 (岩波ブックレット)
(2005/08/05)
熊谷 伸一郎

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以上2冊は岩波の中国プロパガンダ本



ラインで区切ったのは、上2冊が真っ当な検証本、下2冊が中国プロパガンダそのものの捏造由来
両者対極にあるものだからです。

中国共産党プロパガンダに阿る著書2冊共に 岩波書店 だ。
特に「侵略の証言」は上下段300頁を超えるもので「戦犯」供述書をそのまま載せている。
6年に渡って中国側がOKと言うまで延々と手直しを迫られた、あの証言供述だ。

見開き紹介文に「中国侵略、満州国支配の実像を明らかにするもの」とある。
あとがきには「個々の中国人の禁欲的で理性的な倫理性や道徳性の高さが発揮されているという事実(中略)戦犯たちの手記にしばしば、日本人だったらこれほど自制心や禁欲を守れなかったであろうという述懐が見られるのもその証左であろう」


えええーーー?!
自制的で禁欲的な中国人?日本人には無理?
ここまで書かれると冗談か皮肉にしか思えないが、この本では一貫してこの路線が貫かれている。
岩波書店恐るべし。頭どうかしてるのか?エリート出版業てのは。
岩波の罪はとてつもなく大きい。
編者の一人、新井利男は写真家で、中国に出向いてこの「戦犯供述書」を手に入れたそうだが、怪しいことこの上ない人物だ。NHK特集『認罪』とのタイトルで放送された時も、この新井なるやつが出ていた。
中国で{苦労して手に入れた}のではなく、明らかに中国側の息のかかった人間だろうに。それか北朝鮮に関わる人間か。

完読していないが、300頁も「懺悔の供述書」が続き、それが真実であると確信に満ちた狂気の本を平常心で読み進めるのは余程根性据えないと、こっちの神経がやられそうだ。



さて真っ当な側の本、一番上の「天皇の軍隊を改造せよ 毛沢東の隠された息子たち」
これは文章、説得力、まとめ方、どれを取ってもかなり優れている。ベストとは行かないまでも、戦中戦後の中国共産党の動向やその裏にある物や、いかに捏造されたかの流れを知るにはこれ以上の良書は無いと思える。
岩波書では「戦犯」と書かれる人達がこの本では「中国抑留者」と呼ばれている。
思想改造を施されたのは撫順収容所に居た元軍人らだけではないことも本書に書かれたてある。
前田という人は土木会社社員だったが奉天で共産党に拉致され改造を受け、1939年の時点で八路軍に参加している。
こうやって戦後抑留された日本兵だけでなく、戦時中から若い民間人や兵士も拉致され洗脳されているのだ。

その人らが帰国して「日本軍の蛮行」を講演して回る。
マスコミに売り込む。
彼らの話を聞いて勘の悪い人なら「当事者である元日本兵が証言しているのだから」とまんま信じ込んでしまう。

ちょうど先日の「たかじんの言って委員会」でも司会のヤマヒロが「でも元日本兵の人たちから聞きました」と中国擁護らしき発言をしたが、自ら鈍感と真実への探究・追及精神の欠けることを告白したようなものだ。

この本は「通化事件」など撫順収容所以外にも多く頁を割いて言及している。
一部目次を挙げます。

「天皇の軍隊を改造せよ」

第二章 
 通化事件
 髭の参謀現る
 偽りの「日本人解放同盟」
 ”英雄”藤田大佐の変貌
 明かされた八路軍襲撃計画
 通化赤十字病院長柴田久軍医 
 藤田大佐奪還作戦
 「白髪三千丈」の八路軍報告
 仕掛けられた作戦
 通化県庁舎の攻防

第三章
 生きていた佐藤少尉
 でっち上げ
 銃殺された柴田隊長
 厚遇された投降者
 6000名の地獄絵図
 逮捕されていた藤田大佐
 誰が得をしたのか
 祖国喪失者たち
 懇親会という「吊し上げ」ショー
 謝罪への道

第五章
 (一部のみ抜粋)
 「中帰連」の設立
 神吉晴夫と「撫順」との出会い
 「世界人類を改造する」
 謝罪碑
 


安倍政権で日本版NSc(国家安全保障会議)創設すると言われているが
「中国共産党の洗脳」について戦中戦後だけでなく、その余波が今に至って多大に影響を及ぼしていること等、緻密精密に検証すべきと思う。
でないと日本人特有の「真面目さ・恩義の厚さ」がために罠に嵌められる危惧は無くならなず、情報戦心理戦において勝ちは望めなくなる。




「なぜ加害を語るのか」(撫順での思想改造)

先日の続きを。

なぜ加害を語るのか 中国帰還者連絡会の戦後史 (岩波ブックレット)なぜ加害を語るのか 中国帰還者連絡会の戦後史 (岩波ブックレット)
(2005/08/05)
熊谷 伸一郎

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「なぜ加害を語るのか」 熊谷伸一郎 (先日の記事)

「撫順戦犯管理所」に抑留されていた元軍人兵士や満州国官僚らが帰国した1956年、その直後に「洗脳」について取り上げたのは何と朝日新聞・天声人語だった。
(一部引用)「英語でブレーンウォッシングと言い、中国で作られた言葉。{戦犯}たちはやはり洗脳の洗礼を受けたのではないかと思わせられる。社会から隔離されて朝から晩まで繰り返し{学習}させられたら、大概の人間は同じ鋳型にはめこまれるだろう。」と。
それが70年代になると本多勝一に与して大々的に「日本軍の悪行」を宣伝し始めるのだから、朝日は常に過去の自分を(意図的に)忘れていく。


「三光」(殺しつくす、奪いつくす、焼き尽くす)なる中国語の言葉そのままの帰還者証言集が出されたのは1957年。
中国八路軍の非道作戦をそのまま日本軍のものとして転嫁、すり替えた言葉「三光」が出てきたのはここが発端か。
この冊子を企画したのは光文社社長・神吉晴夫だ。
ところが増刷しようかと言うときに神吉は拒否したという。著者は右翼からの妨害があったと書くが、実際は神吉自身が事の真相に気付いたのではないだろうか。


60年代中国で文化大革命が起こり、その間は中帰連は毛沢東擁護派と批判派(こちらは日本共産党が付く)に分裂し、活動も鈍っていた。
この本には書かれていないが、70年代前半に本多勝一が中帰連への聞き取りや中国への取材で「中国への旅」「天皇の軍隊」を書き、それが国内広く知られる切っ掛けとなったようだ。

本書では具体的な人物名を出し、帰国後の活動や証言を紹介している。
なかでも藤田茂・陸軍中将は撫順抑留の初め、なぜ自分らが戦犯なのか、毛沢東に合わせろ、と主張したり典型的な日本軍人だったそうだ。撫順に移送される前のシベリアでの5年間の抑留の間にも「思想改造」に嵌らなかった事を意味する。
ところが、瀋陽での軍事法廷で「被害者」であるという老婆の怒り憎しみに接して反省の様子を見せ始めたという。
そこからは改心したリーダーとなってしまった。
他にも心優しくはあるが憲兵としてスパイ摘発などに優秀だった人も同じ。
このように意志が強固な人ほど一旦嵌められるとあとは転がるように改造のトップに立ってしまう傾向があるようだ。

毛沢東らは1930年頃には既に捕虜に巧妙な洗脳を施す事をやっており、終戦前後には日本人の弱点まで見抜き、洗脳手法はより洗練されていった。
捕虜にした林航空隊に対して初めは酷い環境に置き拷問もしていたようだが、それで意志を曲げる者はいない。
ところが寛容に出ればその途端日本兵が懐柔するのを見抜いたのだ。
日本人は寛大さを示したり、(自演であっても)恩情をかけるフリをすれば一発だ、とほくそ笑んだ事だろう。
命を奪おうとしても拷問にかけても強固な意志が揺らぐことのない軍人が、怪我の手当てをしてやるだけで懐柔するのだから。

「地獄に落としてから仏を見せる」が洗脳の基本となった。
日本人は恩義に弱いというのも利用されている。
これはスターリンでさえ見抜けなかったことだ。実際長年のシベリア抑留でも赤化洗脳を受けたフリをしていただけと言う人は多い。
ところが中国抑留者の多数がまんまと嵌ってしまっているのだ。しかも生涯に渡って続き、覚める事は殆ど無い。


それといくら意志の固い人であっても本能的な心理反応を利用されては抵抗できるものでもない。
ストックホルム症候群のようなものに陥ってしまったことも考えられる。


ところで撫順管理所において職員=教師でもあり世話係でもあり通訳でもある中国人は、殆どが朝鮮族だったらしい。
日本語教育を受けた経験がある上に、朝鮮人の性向を見抜いてのことだろうか、周恩来がそこまで考えて管理しようとしていたのはさすがと言えばさすが。

朝鮮人職員の方は日本人の、元は偉い軍人や官僚の命運が我が手のうちに委ねられるというので、さぞ満足だったんだろう。
帰国者と朝鮮人職員らとの交流はお互いが老齢死去するまで続く。「永遠の友」として日中を行き来し交流していた。
ぞっとする光景だ。

中帰連は洗脳改造を受けた撫順戦犯管理所に1988年、自分らの金とカンパ1500万円注ぎ込み「謝罪碑」を建てた。
「私たちの凶手に倒れた中国愛国烈士・平和人民の霊を弔い、同時に過ちを再び犯さない決意」を表明する証として。

平和人民だって? 彼らは帰還直後から中国人がいかに人道的で平和を愛する人民であるかと強調していたが、帰国した1956年はちょうど人民解放軍がチベット東部より侵攻し始めた頃だ。
当時は知らなかったとは言え、現在に至るまでチベットの実情を知ろうとしなかったのか、知っても覚めることなど叶わなかったのか・・。

中帰連の会員も老齢となり生涯本来の精神を取り戻すこともなく逝く人が殆どなのだが、死に際して意識朦朧としながら「よく頑張った!」とはっきり口にした人がいるという。
去り際の言葉を解釈など出来るものではないが、本来の軍人精神を最後の瞬間に取り戻して部下を労っているか、自らを労ったかと私は思いたい。
そうでないと生涯を中国共産党プロパガンダの毒牙に侵されたまま逝くというのは酷過ぎる。


撫順での思想改造と中帰連を検証した本↓もまた後日再度取り上げようと思います。

「天皇の軍隊」を改造せよ: 毛沢東の隠された息子たち「天皇の軍隊」を改造せよ: 毛沢東の隠された息子たち
(2012/02/08)
高尾 栄司

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2020 東京五輪決定! 思い出す1964年

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「なぜ加害を語るのか」 熊谷伸一郎

なぜ加害を語るのか 中国帰還者連絡会の戦後史 (岩波ブックレット)なぜ加害を語るのか 中国帰還者連絡会の戦後史 (岩波ブックレット)
(2005/08/05)
熊谷 伸一郎

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以前に書いた記事↓ (2つクリックどうぞ)

「検証 旧日本軍の『悪行』 ゆがめられた歴史像を見直す」

「『天皇の軍隊』を改造せよ」

上記二冊はいわゆる「日本軍の悪行」が事実無根であり中国のプロパガンダとしか考えられない事を検証しているが、今日取り上げるブックレットは、正にプロパガンダに則って書かれたもの。
著者の熊谷伸一郎は中国帰還者連絡会を引き継いでいる人物。

熊谷 伸一郎 wiki

在日外国人問題(と言えば例のあれとかアレ)など怪しげな活動でよくこの名前を見る。
この人物が、中国撫順にて戦犯扱いで6年間抑留されていた元軍人や満州国官僚の人達が経験したことや、中帰連としての活動を「奇跡」として取り上げる。

その内容は・・いったいどこの国の人間が書いたかと思える日本・日本人侮辱の極みだ。
国内の「支援者」らは、中国に拠って冤罪を負わせられた多数の人達に生涯通じて死の間際に至るまで慙愧の念を抱かせ、中国人に懺悔させ続けた・・
これ程残酷な仕打ちがあるだろうか。
本来ならば日本のために命を懸けて厳しい状況に身を置いたご苦労を労い、敬意を抱くべきところなのに。

日本のためどころか上記「ゆがめられた歴史を見直す」検証によると、洪水被害を防ぐために中国民を守るため身を挺して働いた兵士も少なくなかったそうではないか。

そして、日本人の殆どがこんな非人道的な事象が進行中であることを知らない。
中には中帰連会員の元軍人の人の「懺悔」と反戦思想と「日中友好」を訴える講演を学校などで聞き、そのままを受け入れてしまった人もいるだろう。
何度も取り上げて同じことを書くがーーーー本当にむごい話だ。


このブックレットを出した岩波書店も大きな影響力でこれに加担している。
社主は熊谷とも交流があるらしい。
現在の社主と同じ人物か不明だが、岩波のチベット関連本のあとがきでも「中国のチベット解放は喜ばしい」と書くような出版社だ。
今も出版社の雄と見られているのか知らないが、朝日新聞と同レベルの欺瞞にまみれた侮日企業と思う。
これらは餓鬼道に堕ちるに相応しい、
とまで私は言いたい。



内容について続きは後日。



タイ映画「メナムの残照」 (日本兵とタイ女性の恋物語)

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胡散臭い「相続差別」違憲判決

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「サハリンの灯は消えず」ザ・ジェノバ の裏にあった厳しい現実

深く考える事もなく何気なく見聞きしたり、あるいは勝手な解釈したままでいたり、そういう事が割りとあるものだ。
特に思い込みというのは怖い物で、ちょっと立ち止まって考えたら矛盾があったりするのに調べもせずスルーしてしまったり。
そしてある時何かの切欠があって調べると驚く物が出てきたりする・・

と、大げさに書いてみたが自分の思い込みの馬鹿さに呆れた事があったので以下その話を。


1960年代、子供の頃「グループサウンズ」が流行り、少しマイナーなバンドの物まで好きになっていた。
その中で少し奇妙な歌詞ばかりのバンドがあった。
「サハリン」を題材にサハリン三部作とまで銘打って出していたザ・ジェノバ。




これが流行っていた子供の頃にサハリン=樺太であるとは分からず、何となく異国情緒を歌ったものなんだろうくらいに思っていた。後でサハリン=樺太であり南樺太がかつて日本だったことは知ったが。
そして歌のことも忘れ・・・

youtubeで昔の歌を彷徨っていてたまたま行き当たった歌が「サハリンの灯は消えず」。
あらためて歌詞を聴いてみると、これは故郷であった南樺太を捨てざるを得なかった歌じゃないか・・・

サハリンの灯は消えず 歌詞

作詞の北原じゅんを調べてみると
1929年(昭和4年)、当時日本領であった樺太(現在のロシア共和国サハリン)に生まれる。弟の正規はのちの歌手・城卓矢(菊地正夫)、作詞家・川内康範は叔父(叔母の元夫)にあたる。第二次世界大戦中に父が死去、引き揚げて室蘭市で育つ。

城卓矢「骨まで愛して」も作り、アニメ「まんが日本昔ばなし」の音楽担当もしている。「昔ばなし」は川内康範・監修でもある。
川内康範がまた凄い人物で
川内康範 wiki

こうして数珠繋ぎに色んな物が繋がってくるから面白い。

さてザ・ジェノバのサハリン三部作「サハリンの灯は消えず」「いとしいドーチカ」「さよならサハリン」
どれも樺太在住時のロシア女性との恋を描いているようだが、日本領であった南樺太でロシア女性?とここでまた疑問が。
そして調べてみるとこれまた凄い話が出てくる。

残留ロシア人(南樺太) wiki

あの横綱・大鵬の父親もその一人残留ロシア人だったとは知らなかった。
ロシア革命の赤化を嫌い日本本土へ亡命してきたロシア人(正確にはウクライナ人など)が菓子会社を作ったのは有名な話ではある。

歴史、事情を知らなければサハリンでのロシア女性との恋など荒唐無稽な異国・異国女性への単なる憧れだと思ってしまう。
知ってみればそこには厳しい世界情勢の激変が隠されていたりするから、何であれ勝手な想像での思い込みは避けねばならないと自分を戒める次第です。


追記:
南樺太の帰属については難しいものがある。
「日本政府は南樺太について「国際法上は所属未定地」としながらも領有権を放棄しており、積極的な領土的主張を行っていない」とあるが、日本が放棄したとしてもイコール、ロシア領土というわけではない

加えて北方四島返還を、と言われるが本来なら千島列島全土返還と言うべきだ
「領土不拡大」原則を真っ当に主張したのがかつての日本共産党のみだったという不可思議。
しかし四島以外は無理でしょうねえ。日本政府が諦めてしまっているから・・・。




「中学の歴史」 自虐史の酷さ (2)

(1)続き

いわゆる自虐教科書の古代史から。

まず「新しい歴史教科書」自由社のほう

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↑地図には任那(加羅)とあり右には広開土王碑の写真。
「大和朝廷は半島南部の任那という地に拠点を置いた」「大和朝廷の軍勢は百済を助けて高句麗とはげしく戦った。高句麗の公開土王(好太王)の碑文にはそのことが記されている」との説明。
私が昔習ったのと殆ど違いはなく、比較的真っ当。
それでも「戦った」止まり。
自虐史観では大和朝廷が半島を属国化した時期があったことを許せないのだろう、碑の存在さえ消してしまった。


80.jpg

↑白鳳・天平文化のページ。正倉院の外観と紺瑠璃杯の画像は定番中の定番。
「校倉造り」はいここ絶対試験に出ますーーーではなく、(下にも書くが)何と帝国書院教科書には一切記述が無い。





次に自虐版である帝国書院教科書。

    81.jpg

↑何ですかこの「五色塚古墳」とは。「富と権力を見せるため」と説明にある。
五色塚古墳 WIKI
国の史跡指定となっているが、この古墳は上に登れるらしい。古墳=お墓なんだから古代とはいえ乗っちゃあいかんでしょ。
仁徳天皇稜は右側の地図の中に小さく「大山古墳」と書かれてあるのみ。威容を誇る仁徳天皇稜ほとんど無視とは。意地でも宮内庁管轄の古墳を無き物としたいのか
そしてこのページでも他にも古代史のところは中国、朝鮮半島の記述だらけ。
任那の文字もどこにも無く、加羅(伽耶)とあるのみ。朝鮮語読みでゴクリョ、シルラなどルビが振られている。
「ヤマト王権」「倭」が鉄を得るために朝鮮半島様に必死で喰らい付いたという構図となっております。


    

    82.jpg

↑「東アジアの中のヤマト王権」
東アジアの視点でしか語れない日本ですか、そうですか。
左端に人物埴輪像が載っているが「朝鮮古来の衣装とも似ているので渡来人との関係も考えられる」
右端の弥勒菩薩像「この仏像の形式は朝鮮半島から倭国へ伝えられました」
何でも朝鮮朝鮮・・
自民政権はよくこれを検定で通してきたなあ。
かろうじて世界最古の木造建築としての法隆寺全景が載ってはいるが、「新しい~」にあるような接近写真や詳しい説明は無い。

    

    
    83_201309021532009e5.jpg

「正倉院」記述はあるが写真は無い。
上述の通り「校倉造」の用語もどこにも無い。この教科書で勉強した子は満点を取ったとしても「校倉造」の言葉を知らないまま優等生と見做される訳だ。何と恐ろしい。
「古事記や日本書紀の中には、東アジアや太平洋地域の物語と似ている神話があります」
いったいどこの国にあるんだ?
この点を検証したものを読んだ事があるが、近代になって作られたものであったり明文化されていなかったり不明なものばかり。
朝鮮国数万年の歴史から日本がパクったとでも言いたいんだろうか


とにかく朝鮮朝鮮、中国中国・・・そればっかりだ。
間のページに見開き全部使って「7~8世紀の想像図」の絵があるが、細かく見ると上流階級らしき服装の人物が荷を担ぐみすぼらしい格好の人達に鞭を向けている。
「調」として荷を運搬する人は重い荷に耐え切れず倒れこんでいる。
まるで奴隷の如くの描き方。
他の時代の想像図も総てこの類で、子供に階級闘争史を植えつけるには最適な教科書となっております。



自虐史観といえば近現代史のみが取り沙汰されるが、こうして古代史から全編に渡って酷い事になっているのが実情だ。
安倍政権が教科書改革すると言うなら、古代から隅々に至るまで検証してもらいたい。
何の根拠も無く古事記、日本書紀までヨソからぱくったかのように書かれてあるのを放置していて良い訳はない。

近代史で「侵攻」か「侵略」かで中韓から言い掛り付けられたり伊藤博文の扱いなど、そこだけが注目されてしまうが、他にも問題点が多過ぎる。

どう見ても起こったとは考えられない事件や一切の証拠も無い事象をさも確定史実のように扱ったり、遺物が現存していてさえ、まるで無いかのように無視したり、
内容は忘れてしまっても重要な史実常識として用語くらいは知っておくべき事柄まで削除してしまう、
それを国内の学者らが堂々とやってのけている現実に愕然としてしまう。


(中世期以降についても 執念深く また取り上げてみようと思っております)




「中学の歴史」自虐史の酷さ (1)

安倍政権ではいわゆる自虐史観の見直しに着手するらしいが、民主政権は論外としても過去の自民政権時によくここまで放置していたものだ。

自民党の政務調査会文部科学部会が出した歴史分野の教科書比較表及び問題点が出ているので
まずは↓こちらを参考に。

歴史的分野 検定合格教科書比較 (←pdfです)

年度が書かれていないが、平成23年度占有率とあるので去年か比較的新しいもの。

この中の 5.歴史上の人物の扱い の表を見て驚かされる。
神武天皇と乃木希典はどの出版社にも記載無し、仁徳天皇や勝海舟も無いところ多数・・ 愕然とさせられる。

私自身の経験談:
我が子が中学生の時、試験勉強で歴史をやっていたのでちょっとテストするつもりで主要項目の用語、例えば仁徳天皇稜や広開土王碑を言ってみたところ子供はそんなのは知らないと言う。
勉強してるんじゃないのか、こんな必須用語も知らないとはこれは困ったことだと思い教科書を見せてもらうとーーー何とそれらの言葉がどこにも無い・・・いやそんなバカな、いくら自虐史になっているとは言え近代史だけだろうと思っていた。
まさかと思い、任那日本府を探したが、これも綺麗さっぱりと無い。
今度は買ってやっていた参考書も見てみると、「歴史上重要人物」の中に徳川家康と同列の扱いで「シャクシャイン」とある。
誰なんだ?今度は私が勉強不足の大バカに思えてきた。

そこから私の「歴史教科書比べ」が始まった。
自虐史問題や「新しい歴史教科書」に纏わる問題を知ってはいたが、ここまで酷いとは知らなかった。

まず買ってみたのは扶桑社の↓これ。

新しい歴史教科書―市販本新しい歴史教科書―市販本
(2005/08)
藤岡 信勝

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そして我が子が使っていた教科書は帝国書院のもの↓

    78.jpg

帝国書院版は東京書籍などに較べて自虐史観がマシと言われているようだが、なんの何の、とんでもない事が書いてある。
パラパラと捲って見ただけでも、異様さが分かる。
写真が少なくアニメや「昔の暮らし」描写の絵ばかりが目立ち、文物の写真が少ない。
国宝となっている建築物や文物はいったいどこへ行ったんだ?なぜ紹介されないんだ。
細かく見ていくと古代史から全編に渡って、この世に存在しないどこのパラレルワールドの日本ですかという位の酷さだ。自虐であるだけでなく、これでもかと言う程の階級闘争史になっている。マルクスが泣いて喜びそうですなあ・・。

扶桑社の方は「新しい歴史教科書をつくる会」の分裂などもあったし、内容もいま一つな感があったので新たに出た自由社版・新編のこちら↓を又買ってみた。

日本人の歴史教科書日本人の歴史教科書
(2009/05)
「日本人の歴史教科書」編集委員会

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この自由社版の内容・構成は私自身が昔習ったものにかなり近いと思われる。
一つだけ例に上げてみると、それぞれ盧溝橋事件あとの紛争の記述は以下のようになっている。
・自由社ーこうして日中戦争が始まった(日本は当時「支那事変」と呼んだ) ←()内が加えられている
・帝国書院ー日中戦争が始まりました
・私が昔習った時の教科書ー日華事変

「日中戦争」と呼ばれるようになり、我が子の教科書でその用語を見た時、これまた自分は知っているつもりで知らない戦争もあったのか自分はどこまで無知なのかと思ったものだ。
何の事は無い、支那事変→日華事変→日中戦争 と呼び名が変わっただけなのだ
戦時中大本営は蒋介石軍の宣戦布告を以って「戦争」とする決定をしたが、盧溝橋事件の時点では「事変」だったのだからいきなり「戦争」と記述するのは、あるいは戦争と称するとしても事の始めから「日中戦争」ではまるで中国国民全員と日本軍が戦争した印象になってしまう。
日本軍は蒋介石軍とは戦争したが、汪兆銘政権を支援しようとしたし八路軍(共産党)は当時テロリストか匪賊扱いの軍閥の一つであり、どちらかが宣戦布告した覚えは無い。
ということで現在の「日中戦争」呼称だけを取っても何らかの意図の下に操作されているとしか考えられない


(2)に続く

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