プロフィール

紺屋の鼠

Author:紺屋の鼠
近代史・政治・社会情勢
読んだ本あれこれ
古いものが主の映画・音楽

(記事への拍手をありがとうございます。
共感していただいて嬉しく励みになります)

フリーエリア

にほんブログ村ランキングに参加してみました。 プチッとよろしくお願いします。

最新記事

最新コメント

月別アーカイブ

カテゴリ

FC2カウンター

リンク

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

「反日の元凶はアメリカ」説やユダヤ(国際金融)陰謀論を信じたら危険な理由

この記事はブロとも、もしくはパスワードを知っている方のみ閲覧できます
パスワード入力
ブロとも申請

国立国会図書館に売国奴を入れてはならない

この記事はブロとも、もしくはパスワードを知っている方のみ閲覧できます
パスワード入力
ブロとも申請

突然ですが、ダムです

この記事はブロとも、もしくはパスワードを知っている方のみ閲覧できます
パスワード入力
ブロとも申請

併合時代の朝鮮人による朝鮮論みつけた

国会図書館ライブラリーより、併合時代の朝鮮人による朝鮮論を見つけました。

著者の金振九という人は金玉均の信奉者であり近代化推進派だったようです。
まださらっとしか読んでないけれど、「日本に拠る統治は生温い! 朝鮮人の風習を尊重し過ぎて近代化できない」という感じで書いている。
「国の癌を切開」とは過激ですが、癌とは一体何を意味するんだろうか・・・

あとこの時代に既に「韓国の歴史は4300年」と書いてある
アイデンティティとしての神話で持ってるならまだしも、どうも現実の歴史として捉えている節がある。
この頃から歴史=ファンタジーだったのか・・。
あと事大主義と強烈な儒教思想のことも否定的に詳しく書かれています。
日本人の欠点として潔癖すぎて朝鮮人と交わろうとしない、欧米人宣教師に負けてるぞ、と書いています。
潔癖なためにシナや朝鮮と融和出来ていないとも。


全部読んでないので今日は簡単な紹介のみで内容についてはまた次回に。


デジタルライブラリーへのリンク


「国癌切開」
金振九 著
名古屋出版社
昭和11年 (1936年)



   国癌切開 ライブラリー




保守 ブログランキングへ



都議会ヤジ事件=「言葉狩り吊し上げ」を生んでしまったデモクラシーや平等思想のおぞましさ

この記事はブロとも、もしくはパスワードを知っている方のみ閲覧できます
パスワード入力
ブロとも申請

テキサス親父が訴えている本質ーーリベラルが言う「人間の権利」という狂信・狂気について

この記事はブロとも、もしくはパスワードを知っている方のみ閲覧できます
パスワード入力
ブロとも申請

テキサス親父が闘うリベラリズムとはーービョウキでしかない!

この記事はブロとも、もしくはパスワードを知っている方のみ閲覧できます
パスワード入力
ブロとも申請

中国は英国にも歴史カードを向け始めたか

この記事はブロとも、もしくはパスワードを知っている方のみ閲覧できます
パスワード入力
ブロとも申請

通州事件・日本人虐殺の現地視察記録ーー残された犬の話

国立国会図書館デジタルライブラリーより見つけた文書。

「戦線を訪ねて国民に愬ふ(訴える)」
昭和12年 (1937年)
陸軍省政務次官 加藤久米四郎・著 
東京朝野新聞出版


ライブラリー 政務次官


通州事件直後シナに入り現場を視察した陸軍省政務次官・加藤久米四郎の記録文。

通州事件 wiki

通州事件(つうしゅうじけん)とは、1937年(昭和12年)7月29日に中国(中華民国)の通州において、中国人部隊(冀東防共自治政府保安隊)による日本人への襲撃が行われ、日本人居留民および日本軍部隊・特務機関が襲われて、日本人らが大量虐殺された事件。日本軍は壊滅し、日本人居留民の385名のうち223名が虐殺され、女性はほとんど強姦されて殺害された。殺害方法も猟奇的なものが多かったとされる[1]。また朝鮮人慰安婦も殺害されている。



1937年前後の勢力図
通州事件 地図



「国民に訴ふ」とあるくらいなので日本国民に向けての報告だが、事件があまりに凄惨で、その様子の描写については僅かしか書かれていない。
けれどその周辺や生き残った人達の様子が生々しく書かれていて興味深い。
事件後に残された犬の話が興味深く、この事件を象徴しているような気がするので引用してみます。
( )内は私がつけた注釈。

近代デジタルライブラリーへのリンク

ーーーーーーーーーーーーー
(通州事件の後の様子)
通州の城内には、支那人らしい支那人はいなかったのであります。平素は約3万5千人内外人口のあります通州で、冀東政権(冀東防共自治政府・きとうぼうきょうじちせいふ・1935年から1938年まで中国河北省に存在した政権。地方自治を求める民衆を背景に殷汝耕の指導により成立した)の所在地で相当な都であったのでありますが、あの事変以来、支那人は約千五百、二千足らずの者しかいないと言っておりました。どっかへ逃げて行ったと見る。

まず第一に特務機関の建物の方に進みました。特務機関と申しますれば、御承知の通り、細木大佐があそこに居り、相当の人が居ったのであります。この人々が全部戦死を致しまして一人も居りませぬ。
行ったら案内する人もないはずであります。皆戦死したのでありますからーーー
それで左右の建物を見まするというと、砲弾の跡と迫撃砲の跡で、そういして焼かれた後で、行っている者は日本人も支那人も居りませぬ。
で我々は、細木大佐がどの辺に居たのだろうかと言うことで、ずっと探したが分からぬ。仕方がないから部隊長の所へ行って色々聞こうじゃないかと言うので、廻り廻って特務機関を出て来たのであります。

ところが我々の話を聞いたせいでありましょうか、奥の方から一匹犬が飛び出して来たのであります。
ラジオでも私は天津から放送を致しました。(あとでこの犬の件をラジオで話したということか)セパードと秋田犬の混ぜたような犬でありました。
あまり良い犬ではありませんでした。左の股に貫通銃創を負うていたのであります。
我々の所へ、耳を垂れ、尾を振り、そうして頬を付けて寄って来たのであります。
私は別に何も気が付かなかったのでありますから何だろうと思っていました処が、ほかの事を聞きたい調べたいと思っていたので、犬のことが余り気が付かなかったのであります。支那人が一人いまして、我々を案内しようという同情の押し売りでしょう。どいつもこいつも悪魔のように見えましたのでありますが、犬に向かってあちらへ行けと言ったら、その犬がうおーと言って支那人に喰らい付こうとした。で、支那人には喰らい付くし、我々には寄り付くしと思いながらも、我々が大きなバスに乗りました。

ところがそのバスが横に揺れて転びそうな乗合自動車のバスでありましたけれども、それに犬も乗ってきて私の側を離れないのであります。どんなに追っても降りないのであります。
私は妙なことだと思いながらも、そこの部隊の本部へ帰りまして、所要の挨拶を済ませて部隊長と別れようと門まで部隊長と来た時に、犬が待っている。
でありますから、恐らくこれは特務機関長が飼っておった犬じゃないだろうかと言って、頭をちょっと撫でましたところが、喜んで尾を振っている。
お手を出せと言うと手を出す。これは日本人が飼っておったのだと私が気が付いたのであります。

細木大佐が飼っておったのだろう。日本人の飼っていた犬だから、支那人の言葉は分からない。
それではと言うので、可哀想になって何とか日本へ連れて行けまいかと相談したが、それはどうも無理でしょう。こんな犬を連れて行っても仕方が無いでしょうと言うのでしたが、それでも可哀想だと言うので、兵隊さんに頼んで残飯を食わしておき給えと言って私は置いて来たのであります。

私は直ぐに生存者の居る所に参ったのであります。そこには親のない子供、あるいはお婆さんだけ残っているの、あるいは娘さんだけと言うような風に気の毒な者であります。私はそこで話をしたのであります。慰めあるいは激励をし、慰問品をあげ、そうして挨拶をしたのであります。
その最後に犬の話をいたしまして、犬のような動物、畜生でも一飯の恩と言うことを知っている。我々日本人の話を聞いて近寄って来、日本人の身体の匂いを聞き分けている。しかるに、この鬼畜に等しい通州の支那人は、犬以下だ、畜生以下だと私は申したのであります。それを思えばあの犬が不憫でならない、そういうことを申しましたら、公会堂に居った罹災民達は皆その犬の話で貰い泣きしたのであります。
余程残虐なことが身に沁みておったせいでありましょうが、感傷的になっておったのでありましょうか、貰い泣きしておりました。




(通州事件の様子)(3千人以上の支那兵に対して僅か32,3人の者を以って防御していた)
(日本軍)守備隊の庭の前に広場がありますが、そこに寄って来る者を、守備隊の屋根の上から狙い撃ちをして殺したのが約70人いるという事を申しておりましたが、こちらにも相当の負傷者があり戦死者もあり殆ど守備隊というものが無くなってしまったのだ。
その守備隊の者が、本当の戦争をしている間に今度は女、子供、武装をしておらぬ日本人、朝鮮人をピストルで殺したのが真相であります。

なぜそんな事をするかと言うと、この間原因があるのであります。
支那は日本に対して、どうしても共産党を植え付けて、そうして日本を倒さなければならぬというので、フイフイ教(=イスラム教)、その教師を使嗾(しそう・悪事をそそのかすこと)し、及びユダヤ人を使嗾して、共産党を植え付けてやろうと言うところから、それらが先頭となり、北京大学や南海大学あたりの学生が先達となって、日本人を殺せとやっておったのであります。

それに(シナ側の)保安隊の一部分が内輪もめをいたしまして、そうしてそれらも煽(おだ)てて、その煽て方も徹底いたしております。デマの飛ばし方も極端であります。
どういうことかと言うと、今日本は負けているのだ。第一天津も、もう日本租界には支那の中央軍が居るのだ。北平にも日本軍はおりやしない。
通州なぞも今やっつけてしまわなければいかぬと言うので宣伝を致しまして、デマと飛ばして、流言飛語をやったのがその原因であります。
支那はそのようにして天津と北平と通州の三か所に於いて、そういう不良学生や藍衣社(らんいしゃ・蒋介石直属の国民政府の情報・工作機関、ヤクザ者が多かった)や便衣隊の者共が来てピストルでやったのであります。

戦をしている兵隊や保安隊の者共ばかりやったのではありませぬ。女子供の殺し方は、これは私は実に申し上げられませぬー
子供をさかさまにして、頭を叩きつけて殺したのが多いのであります。そうして女に対しては、鼻に針を入れて、牛を引っ張るようにして引っ張って歩いたのであります。
そうして女は凌辱を受け、辱しめを受けております。(略)(虐殺についてはこれのみしか書かれていない。この文章は政務官として国民に伝えるものなので残虐な描写は控えたものと思われる。)

そういう事ばかりやっているかの支那の連中は、なんと我々が正義人道を唱えてもこれはさっぱり分からぬ。だから今度の戦でも余程しっかり褌をしめてかからぬと言うと支那にやられる。
支那は外交にかけては世界一であります。個人としても商取引に於いても、あるいは車に乗る駆け引きでも世界一であります。(略)
駆け引き、口先で嘘八百を並べるということは支那の国民性だ。これは直らないのも道理だと思った。


ーーーーーーーーーーー
引用ここまで

反日を吹き込んでイスラム教徒やユダヤ教徒まで巻き込む、デマ宣伝に対外プロパガンダ、内輪もめ・・・今と何も変わっていない。

どうぞ引用、コピペなどして広めて下さい。





「クマ大量出没予測」--犬の利用を

この記事はブロとも、もしくはパスワードを知っている方のみ閲覧できます
パスワード入力
ブロとも申請

関東大震災での朝鮮人による暴虐の詳細資料

まずこの報道から。

(朝鮮日報日本語版) 「今の日本の嫌韓は91年前と似ている」  ←朝鮮日報日本語版

韓国や韓国人をばかにして侮辱する「嫌韓本」が幅を利かせる日本で、関東大震災時の朝鮮人虐殺の実態を記録した『九月、東京の路上で 1923年関東大震災ジェノサイドの残響』が異例のベストセラーとなっている。

著者・加藤直樹氏(47)は15日、本紙インタビューで「嫌韓デモや出版物によって助長される差別と偏見の危険性を知らせるため、関東大震災の朝鮮人虐殺を伝える本を書いた」と語った。フリーランスの編集者をしている加藤氏はほぼ毎週、嫌韓デモの現場を訪れて反対運動を繰り広げている。



先に書いておきますが、「ジェノサイド」などという言葉は的外れもいいところ。
それでも日本人による朝鮮人殺害が多数起こったのは事実と思われます。
しかし! これは完全に防御防衛のためであり、一番の元は朝鮮人による各所多数の暴虐が始まりです。

朝鮮人と共産主義者による暴動はテロであり、その後の日本人自警のための犯罪を含めると一種の戦闘状態にあったのではないかと思える。

朝鮮人によって多数の略奪殺害が起こり、警察や軍は取り締まろうとしたが拘置所も燃え崩壊、被害甚大な中で取締ることも出来なかった。
それに加えて当局は「併合したのだから朝鮮人差別があってはならない」と検挙を控えたり一旦捕えた者を解放したりもした。
朝鮮人は単に掠奪が目的も多数だったが、武器を持っていたのには(当時でいう)社会主義者共産主義革命を狙う勢力からの煽りがあり、朝鮮人も掠奪暴行の先に大災害に乗じて首都占領、国家転覆までがあったと言われている。

その中で日本人は自ら守らねばと自警団を結成し、そこから民間人による朝鮮人取締りが始まる。
先に朝鮮人によって暴虐があったため、悪辣朝鮮人と無辜の朝鮮人の区別も付けず暴行に及んだ例があったのも事実のようだ。中には日本人でありながら勘違いされ被害にあった例もある。

自警団が警戒を強める中で、ヤクザ者が流言飛語を発信し始め、「不遜朝鮮人がやってくる」と恐れた住民の多数が町から逃げ出した所を掠奪していたというのまである。

まとめると

朝鮮人多数の個別犯罪、共産主義革命狙い、両者による暴虐

警察機能の停滞

日本人自警団結成
朝鮮人を警戒、過ぎたものは朝鮮人への暴行殺害

当局が朝鮮人を保護


こんな所ではないかと思われます。

以下、デジタルライブラリーより新字体に変えて引用します。
出版元の「霊肉統一団」とは何者なのかググっても出てこず不明で、何かの宗教団体と思われますが、内容については嘘があるとは考えられず、朝鮮人についても「日本人と朝鮮人、互いに心入れ替えて仲良くならねば」的な結論になっています。
今回引用するのは朝鮮人による暴虐の詳細ですが、この後に「日本人による朝鮮人への暴虐」も書かれています。
(それについてはまた次回)
1924年発行ということは関東大震災が1923年9月1日だからその翌年。
リアルタイムでの生々しい記録と言える。

 
デジタルライブラリー内 元資料

( )内注釈は私が付けました。
(本書に書かれた以下の事件は新聞報道されたのを纏めたものであり、「逃走」とあるものの氏名が判明しているのは後に検挙されたと思われる)
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
ああ人間 表紙

「吁(ああ)人間」
桑原真瑞 著
大正13年(1924年)
霊肉統一団 出版

(不逞団の暴行顛末報道が解禁になったのは10月20日)
10月1日午後6時頃、本書中之郷付近で、鮮人・鄭きえい(テイキエイ・さんずいに熙+瑩)なるもの罹災者から衣類道具を掠奪し、それを運搬中取り押さえられ。

同日午後8時過ぎ、氏名不詳の鮮人1名、日本橋北鞘町一石橋際(ぎわ)大谷倉庫へ放火して逃走。

同日午後11時過ぎ、本所柳島電車終点で、鮮人・金孫順(キンソンジュン)なるもの、通行の婦人に暴行を加えんとして果たさず、バスケットを強奪し、一時亀戸署に監禁されたが、同署類焼のため解放され行方不明。

同日同刻2回に渡り、鮮人・姜金山(キョウキンサン)ほか30名の一団、本書柳島元町呉服商、中里奥三方(なかさとおくさんかた)に押し入り、店員に暴行を加え呉服類を強奪、姜は亀戸署に拘禁されたが類焼のため解放。

同日午後6時から11時にわたり、氏名不詳の鮮人15,6名、本所押上町新町裏を、同所、榎木豊吉が夜警中怪しい鮮人団を認めるや鮮人は棍棒で豊吉の額を殴り逃走した、それを群衆が捕え、亀戸小学校で手当中、更に逃走。(「手当て」とは取り押さえている状態のことと思われる)

2日午後9時、府下吾嬬(あづま)町京成電車踏切で、崔先卜(サイセンボク)、金実経(キンジッケイ)の両鮮人が付近警戒中の在郷軍人にピストルを発射して逃走。

同日午後11時、吾嬬町にて鮮人・林松致(リンショウチ)なるもの、伊藤染工場屋根に上り、六連発のピストルで群衆に連射して逃走。

同日同刻、鮮人30名ばかりの一団、府下小松川橋と小橋の堤上に縄を張り、通行中の重砲兵7連隊第一中隊長代理、高橋克己中尉の自働自転車を阻止して危害を加えんとした。

同日同夜、吾嬬町にて、1名の鮮人が銘酒屋の仲居に暴行を加える。

同夜8時頃、荒川放水路木田町修理中のトロ内(深い溝のこと)で、呉海模(ゴカイボ)なるもの、ダイナマイト11個その他を所持しいるを逮捕。

同日、卞奉道(ベンホウドウ)、卞之泳(ベンシエイ)からダイナマイト2個を貰い、南千住字(あざ)千住南の鉄道線路に持ち出したる者あるを捕える。

同夜12時、1名の鮮人が府下瑞江村江戸川橋、橋脚を鉄棒で破壊中、騎兵第15連隊の阪本軍曹らが射殺した。

3日早朝、内地人が1鮮人を誰何(すいか)したところ、ピストルで射殺した上、更に通行中の職人の後頭部を傷つけて逃走。

同日朝6時、警官2名に追われ両国橋西袂に来た1鮮人を、近衛歩兵1連隊、浦谷二等卒が捕えんとしたところ、抵抗した上、爆弾を取り出したので射殺。

同日朝9時、日本服を着た自称・李王源(リオウゲン)なるもの、毒薬亜砒酸を携え、本所菊川町付近の唯一の飲料水である消火栓付近を彷徨中、群衆に捕えられ食塩だと強弁し、そんなら自分で試してみよと、それを飲まされてたちまち悶死。

同日午後1時頃、爆弾入りのバスケットを持った鮮人4名、南葛飾郡水元村内を通行中、青年団に取り押さえられたが逃走。

1日夜から3日にわたり、自称、金(キン)某ほか4名は月島に入込み、警戒中の民衆にピストルを放ちあるいは刀棍棒などで襲撃し、うち4名は取り押さえられたが、そのうち1名は1日夜、深川東森下町の汁粉屋に放火した悪漢、また金(キン)某は2日午後9時、月島2号地渡邊倉庫に放火し2棟を焼いた悪漢である。

この他特に残酷を極めたのは、2日夜10時、南葛飾郡木田町四ツ木荒川放水路提上で、鮮人4名が、避難中の16,7才の娘に暴行を加えた上、殺害して荒川に放棄したということ。なお程ヶ谷山中へ逃げ込んだ鮮人10余名は、5日午後3時頃、40歳前後の『吉田』と刻印ある金指輪をはめた商人風の男を殺害した上、6日夕、帷子川で洗濯している程ヶ谷町、田中まさ(37)に暴行を加えた上、長女ますら(7)と共に帷子川へ突き落したことである。


さすがは不逞鮮人、その残忍ぶりはちょうど露国(ロシア)のパルチザンに似て、より以上酷いやり方、支那の馬賊などの遠く及ばざる悪逆ぶりと言わねばならぬ。
安政以来の大地震で、更に大火災の最中で、幾十万の人間が逃げ惑っておるその最中の出来事であるだけ、群衆の激昂は頂上に達し、不逞鮮人、いな鮮人さえ見れば悪魔のよう、鬼畜のよう、また猛獣のよう見なされたは、実に是非もない次第であった。


ーーーーーーーーーーーーーーーーー
引用ここまで

この具体的地名と姓名入りの情報は信じていいと思う。
しかもここに書かれてあるのは東京、横浜など広大な被災地全体のほんの一部。
韓国政府も日本国内の反日勢力もジェノサイドなどと騒いでいるが、上記朝鮮人の暴虐を完全にスルーしている。

どうぞこの内容を拡散して下さい。








公明党が守りたいのは朝鮮半島だけ

この記事はブロとも、もしくはパスワードを知っている方のみ閲覧できます
パスワード入力
ブロとも申請

80年前の朝鮮人の様子がひどい!ー大阪市の公的文書

国立国会図書館デジタルライブラリーからまた凄いものを見つけました。
約80年前の内地(日本国内)と朝鮮半島の朝鮮人を分析したもの。
フィクションが入る可能性がある民間人著者でなく、大阪市の職員が報告として纏めたものなので丸ごと信用できる。

書かれている内容の説明はそのまま現在に当てはめても何の違和感も無い。
彼らは全く変わっていない。
特に大阪市内がどうやって今に至っているかが察せられて恐ろしい・・・

私が新字体に直したものでよければ引用や拡散など、コピペして自由にご利用下さい。
(著作権切れの公開資料なので何の心配も無いです)

デジタルライブラリーへのリンク

ライブラリー 表紙

[大阪市]社会部報告. 第123号 なぜ朝鮮人は渡來するか
大阪市社会部労働課
編出版者 大阪市社会部労働課
出版年月日 昭和2至10請求記号


昭和2~10年 ライブラリーインデックスでは1935年となっている。
大阪市役所の公的文書、職員による調査報告資料のようです。

↓役所の資料らしく調査結果を数値報告するページもある。
それだけ正確を期していると考えていいと思う。
ライブラリー 資料1 クリックで拡大


以下重要と思われる部分を書き出してみました。
旧字体は新字体に直して、直せない表現はそのまま記載して注釈付けました。
(ここの読者さんには全く不要ですが、難読漢字に注釈を入れたのはもし中高生などお若い方の目に触れた時に分かりやすくと考えて書いてみました。)

一体朝鮮というところは妙な風習を持つ国柄で、昔より他人の所有地殊に市街地近郊に於ける空き地に、所有者に無断で住宅を建てても一般に黙認する習慣があったようだ。
いな、ある時代には官有地公有地にして不毛の土地には寧ろ住宅を建てることを奨励したこともあったとさえ言われている位であるから、この長年の習慣が朝鮮人の頭から土地自他有の区別を奪い去ったこと勿論で、彼らは今日においてもなお空き地さえあれば所有者には一切お構い無しにドシドシ家を建てていく。
しかもその家たるや言うところの土幕であるから、建造費も安く誰にでも容易に建てられるし、その上彼らの生活にはぴったりと当てはまっているから高速度に増加する。
これを内地特に本市(大阪市)の実情について見るに、朝鮮人来住者が市有地あるいは民有地を無断無料で使用し、しかも平然としてそこに居住する訳がうなづかれる。 



これらの例が示す如く、彼ら朝鮮人借家人は朝鮮にあっても内地にあっても殆ど例外なく家賃については無頓着である。
単に無頓着なばかりでなく、借家に入ったが最後大勢の仲間を呼び入れて酒は飲む喧嘩口論はやる、南京虫はわかす、畳はやぶる、戸障子は持ち出す、油断をすれば床板を外して薪代わりにするといった風な全く手のつけられない不心得者が少なくない。
そこで朝鮮人の借家申込みといえば、どの家主もおぞけを振るって警戒するというのが本市の現状で、朝鮮人の借家受難の真原因もまたそこにあるが次に揚げる大阪毎日の記事を一読することによって更にそのことが確信づけられるであろう。

(大阪毎日の記事)
「青木幸一こと金学奉(25)、杉本松太郎こと林基成(35)の両名は失業で困っている内地人〇と〇を手先に使いーー略」
「家主が行ってみると内地人に貸したはずの家に(注・失業者の日本人を使っている)朝鮮人が27,8人もゴロゴロしているという始末に驚いて「出てくれ」というと「立退料を出せ」と頑張り結局家主は早く出て貰いたいから泣き寝入りとなって立退料を出す、それをいいことにして本年2月頃から住吉区東天下茶屋岩橋、北区東野田町2丁目竹村、同中野町3丁目中島、同与力町田節、同小橋町大鋸などの家主から立退料をせしめたのであるが、〇、〇の両名(利用された日本人)は3円ないし10円の手数料を貰っていたもので同署ではまだ他にも被害がある見込みで取り調べ中である。」



内地ことに本市(大阪市)付近に於ける朝鮮人労働者の殆ど総ては感情に激しやすく、少しの言葉の行き違いや感情のもつれに対してもすぐさま竹槍隊や棍棒隊を組織する、賭博や酒や女を原因として物凄い血の雨を降らすことは新聞紙が毎日報道しているというわけで、とにかく朝鮮人労働者は物騒がられている。
従って在阪朝鮮人労働者の失業もだいぶこの物騒さに祟られいると見ることが出来るが、それにしても朝鮮ではあんなに従順な労働者が内地に来るとまるで別人のように粗暴な振る舞いをするのは全く不思議である。

土幕所在の土地所有者について見ると、次表に示すごとく全戸数の約6割強は国有地または公共団体の所有地、約4割弱は民有地に打ち建てられているという風で、これによるも土幕民がことごとく他人の所有地を無断無料で使っていることが分かる。
そして朝鮮人来阪者の多くが本市における空き地のここかしこに無断でバラックや掘立小屋を建てて何日も多くの地主をやきもきさせながら、しかも平然としているのもこうした習慣によるのであるが(略)



「朝鮮人の群集性」
内地の文化生活を夢見つつはるばる海峡を渡って本市へ流れ来る朝鮮人は、年々決河の勢をもって増加しつつある。しかし釜山埠頭で結んだ彼らの甘夢はその内地移住と共に見事に裏切られて、貧困と争闘のうちに喘ぎつつあるのが殆ど例外なき彼らの哀れむべき現状である。
何が彼らをそうさせたか、我々はその原因の一つとして朝鮮人の群集性を見逃すことは出来ない。
即ち彼らはその群集性にわざわいされて内地人と融和し或は内地の文化生活に均霑(きんてん・等しく潤うこと)を得ないのである。

言う所の群衆心の特徴は衝動性の激しいこと、妄信的かつ被暗示的であること、誇張性の強きこと、残忍性の強気ことである。
いま朝鮮人の性情を見るに、彼らは天性付和雷同性を有し、闘争を好み、議論を喜び、よくこれら群衆心の諸特徴を具えている。
(略)不平不満を解決せんとするいわゆる新人主義者あり、常に巧みに群衆を扇動利用して自己の名と勢力を扶植(ふしょく・植え付ける事)するに汲々たるものが少なくない。



(朝鮮半島の様子)
何かの事故で誰かが交番に連行された場合には、直ちに黒山のような群衆が現れる。そして警官との小競り合いが始まったような時に、もし誰かが警官の横暴または暴行を加えたなどの言句ことに「内地人巡査が我が親愛なる同胞を殴打してまさに死に致さんとしている」というような事を揚言すると群衆はたちまちこれを妄信し遂に一個の集団を作って交番所を包囲しあるいは投石、破壊、闖入(ちんにゅう・無断で入ること)、犯行などの暴挙に出て制止すべからざる危険団と化するのが常である。

彼らは殆ど衝動的に付和雷同性を有し、事ごとに群衆を構成して粗暴なる行動に出づるを常とし、労働争議に、借家争議に、あるいは学童が殴られたとか、、老婆が轢殺(れきさつ・車にひかれること)されたかといえば、直ちに仲間を糾合し団結の威力を示して不当なる要求をなす風がある。
僅かな言葉の行き違いや感情のもつれのために互いに徒党を組んで相争い、女や酒を原因として血の雨を降らすというような粗暴残忍なことも敢えてする。
かかる事実は日々新聞紙の報道するところであって、実例を摘記する。(この後、住所など明記して報道内容記載あり)

日韓併合後既に20年の星霜を経たるも彼我の融和は容易に成らない。
朝鮮併合の主旨より推せば彼らを保護指導するは我々の義務であるが、我々が理解と同情をもって彼らに教えんとするも、彼らはいつまでも古い民族的偏見を捨てず我々の親切なる忠告をも入れようとしないで、もっぱら小天地に跼蹐(きょくせき・びくびくすること)して他を排斥しがちである。
その結果は貧困と争闘を繰り返すに過ぎないのであるが、かくの如きは決して彼らの真の幸福を得る道ではあるまい。



内地人警官に難癖つけて小競り合いになったら「警官に殺されるー!」と大騒ぎして集団で交番を襲撃する、ということですね。
今も変わらず小さなものから国家間問題に至るまでこれをやってるわけだ。

何が強制連行だ、併合時に奴隷扱いしたの、内地でも半島でも、どちらか言うと日本人が差別され遠慮して暮らしてたんじゃないか。

実態はこんなことだった。
戦後の自虐史観というか捏造歴史はもう掃いて捨てよう!!!

追記
私が想像するのに、もし朝鮮の保護国化や併合が無かったとしても、ほぼ同じ状況になっていたと思う。
日清戦争前後には半島で激しい農民一揆(勢力争いや内ゲバも)が頻発しており混乱状況、その上ソ連赤軍がなだれ込んだり、どちらにしろ朝鮮人は難民ヅラして多数渡って来ただろう。
そして人のイイ日本人は追い返す事も出来なかっただろう。













S&G 「American Tune アメリカの歌」1973年

セントラルパーク・コンサート [DVD]セントラルパーク・コンサート [DVD]
(2009/02/04)
サイモン&ガーファンクル

商品詳細を見る


Simon & Garfunkel - American Tune




1981年NYCセントラルパークでのライブ。
もう33年も前になるのか・・(ついこの間と感じるところがトシのせい)

「アメリカの歌 American Tune」1973年発表の曲で正に時代を表しているというのか、ベトナム戦争終結直後の「疲れたアメリカ」を歌っている。
(’73年1月にニクソン大統領が終結宣言)
曲調自体がけだるいような、暗いような・・死んだ夢見るとかの歌詞が少し悲壮な感じもする。

これをオバマ大統領が気にいってたらしいが何で時代を経て21世紀になってこれを使ったのか、多分ブッシュ政権への批判のつもりだったのでしょう。
そういうオバマもちょうど今イラクへ介入せざるを得なくなってきています。
オバマはリベラルな夢見るオッチャンでリーダーシップ大丈夫なのか。

本題のAmerican Tune 稚拙ながら訳してみました。

American Tune

Many's the time I'v been mistaken
And many times confused
Yes, and often felt forsaken
And certainly misused

これまで何度も間違ったり
どうしていいのか分からなくなったことがあった
見放されたと思ったり
いいように使われただけと感じたのも1度や2度じゃない

But I'm all right, I'm all right
I'm just weary to my bones
Still, you don't expect to be
Bright and bon vivant
So far away from home, so far away from home

でも僕は大丈夫
ただ心底疲れ切ってしまったんだ
陽気でお気楽な生活にはもう戻れそうにない
元いた場所からすごく遠い所まで来てしまったから
とても遠いところへ

And I don't know a soul who's not been battered
I don't have a friend who feels at ease
I don't know a dream that's not been shattered
or driven to its knees

誰だってぼろぼろになることもあるのは分かってるけれど
僕には心安らげる友達もいない
夢を持ったところで壊されるか諦めるしかなくなるんだ

But it's all right, it's all right
For we lived so well so long
Still, when I think of the road
we're traveling on (home?)
I wonder what's gone wrong
I can't help it, I wonder what's gone wrong

だけど大丈夫 いいんだ
僕らは長い間上手く暮らしてきたじゃないか
ただ 僕らが今辿りつつある道の前で
どうしても考えてしまう
これまでの何がダメだったのかと

And I dreamed I was dying
And I dreamed that my soul rose unexpectedly
And looking back down at me
Smiled reassuringly

自分が死んでいく夢を見た
気が付いたら魂が浮き上がり
見下ろしている
安らかな微笑みを浮かべる自分を

And I dreamed I was flying
And high up above my eyes could clearly see
The Statue of Liberty
Sailing away to sea
And I dreamed I was flying

それから夢の中で 空を飛んでいた
高いところから 間違いなく見えた
あの自由の女神が沖へと出ていってしまうところが
それを見ながら僕は飛んでいた

We come on the ship they call the Mayflower
We come on the ship that sailed the moon
We come in the age's most uncertain hours
and sing an American tune

僕らはメイフラワー号という名の船でやってきた
月へ行く宇宙船まで作ったけれど
もう確実なことは何もない時代になってしまった
そんな時代にアメリカの歌を歌っている

But it's all right, it's all right
You can't be forever blessed
Still, tomorrow's going to be another working day
And I'm trying to get some rest
That's all I'm trying to get some rest

でも大丈夫 いいんだ
永遠に恵まれ続けるなんてあり得ない
ただ 明日も生きていかなきゃならないから
少しだけ休憩してみるよ
僕がやろうとしているのは 
少し足を止めてみる ただそれだけ




中国は80年前と何も変わっていない

先日取り上げた戦前(1930年代)出版された中国関連の本について詳しく見ていきます。

中国が日本人にやった暴虐  ←先日のエントリー記事

近代デジタルライブラリーへのリンク


支那怖るべし : 急迫化する日支関係!成都・北海事件の真相』
斎藤二郎・著 今日の問題社 1936年発行
シナ恐るべし

少し書き出してみます。( )内は私が付けた注釈。

「排日テロに緊張せる日支関係」より
南京政府(蒋介石政権)は年増芸者の如き心にくき手くだを弄する。その手管に、これまで日本はのせられて、支那の親日的部面を見ようとして来た。だまされ通して来た。もう怒ってよいのだ、怒らなければならぬのだ。長続きする怒りかたをせねばならんのである。
簡単に『断乎膺懲』(だんこようちょう・懲らしめること)というが、常に長続きせず支那人の涙や、後ろへ向いて舌を出す支那の笑顔に、寛大な日本は支那を見直そうとする悪癖がある。こんな事をしている間に支那は統一し強力となり、その力が懸命に排日に磨かれて来たのである。

かかる日支関係の切迫感の直接原因は成都、北海の両事件である。両事件は排日支那の正体を裁断して示したようなものである。



言葉遣いは違っていても、日中国交正常化から現在の日中関係を書いているのかと錯覚するくらいだ。
暴支膺懲(ぼうしようちょう)と言われ始めたのは本書が書かれた直後からだが、それだけの言葉が出るには理由があった。
1930年代、国交ある国として設置が当然の大使館や領事館、相手国の許可を得て滞在している駐在邦人とその家族、これらの日本人や施設住居がある日突然シナ人に狙われ掠奪殺傷される事件が多数起こった。
今と制度的にも社会的にも殆ど変わらない中で、そんな事が起こったら「暴支」と言わずにはおれないだろう。
一昨年の反日暴動は日本人の人的被害は無かったが、紙一重であって今後人に対しての暴虐が絶対起こらないとは言えない。



ここから成都に於ける対日テロ、暴虐の経緯部分
渡邊大毎特派員、深川上海毎日編集長、田中満鉄職員、漢口の商人・瀬戸
多数の邦人が襲われる中、特にこの4人が受けた襲撃事件は凄惨で、遺骸を受取に成都に入った大毎上海支店長・田知花氏が様子を詳しく書いている。
うち瀬戸・田中、両氏は命からがら逃げだすことが出来たので経緯を伝えている。

(逃れた日本旅館にて)
「自分らの存在が不満ならば、明日成都を去ってもいい」と釈明これつとめ漸くその中学生が納得したと見えて、室外で大群衆の暴徒を阻止せんとした気配が感じられた。だが既に悪鬼の如く狂って旅館を破壊した群衆は勢いに乗じて、血を見なければやまぬ情勢であり、午後6時40分ころ、終に歓声を上げながら一行の部屋に飛び込んだのである。
そして一行を部屋の片隅に押しつめ、全く袋の鼠のようにしてしまって、先ず先頭の瀬戸君に向かって顔面をなぐり、足で下腹部を蹴り、髪を引っ掴み、棍棒で頭部を強打せんとするなど、あらゆる暴行をやり、他の一団は渡辺君を取り巻き、あるいは深川、田中両君に迫ってありとあらゆる暴行を加え始めたのである。

この物凄い群衆の勢いに瀬戸君は血路を適宜に求めんとして、群衆に引きづられながら室外に飛び出した。
瀬戸君の話しによれば、その時渡邊君は机の脚をもぎ取って血みどろになって民衆と戦い、深川君は実に何とも言えない死の悲鳴を上げて、ソファの間にぶっ倒れたということである。



瀬戸君は室外に飛び出したが、もうその時は陽がとっぷり暮れて真っ暗闇、群衆の一人が真正面から照らす懐中電灯で、目がくらくらとする所を更に群衆に殴打される。
その中に洋服は取られ時計は引きちぎられ、万年筆、靴、ズボン、シャツ、猿股まで、奪い取られて殆ど裸体にされて3階から下へ下へともみくちゃにされながら引きづり出されたのである。
この時旅館の一帯の群集は1万人に達していたが、瀬戸君は旅館の前に飛び出して左にかすかに見える灯りを頼りに駈け出したのである。
(その後、道々に殴られ足を掬われながらも公安局に辿り着く)
(同じく公安局に逃げようとした田中氏は)幾度か群衆の棍棒の的となって昏倒し、小学生のため電気のコードでうしろ手に縛られて、旅館の左に方に引きづり出され、終に5回目の昏倒で立ち上がれなくなったのである。
(これを死んだと思い込んだ群衆は打つ手を止め命は助かった)



渡邊、深川の両君のその後であるが、渡辺君は群衆を相手に死を決意しての最後の活動を繰り返している間に、全身に打撲傷を受け、顔面を殴打されて血みどろになり、瀬戸君と同様身につけたものを尽く掠奪されて、棍棒を振り死の叫びをあげながら、旅館の前に現れ出たのである。

そのとき外は既に真っ暗闇、折から降り出した雨の中に怒涛の如き群衆を相手に最後の死闘をなさんとあたりを睥睨しているさまは凄惨そのものであったということである。
両君はそこで又々群衆のために殴られて半死半生の状態で旅館前を右側に折れて、旅館とほど遠からぬ正府街の一隅でついに立たず、悪鬼の如き群衆の打ち下ろした棍棒の一撃で怨みをのんでこの世を去ったのである。

深川君は旅館内において、暴徒の一撃に死の叫びを上げて、その場に昏倒したところ、群衆に後ろ手にしばりあげられて引きづり出され、あらゆる所持品を掠奪されて、半裸体のまま渡邊君の後に続いて(略)途中殴打されながら正府街の渡邊君の遺骸が放棄されてあった地点と程遠からぬところで惨殺されたのである。



私(大毎新聞社・田知花氏)は一刻も早く両君の遺骸に会見せんものと支那側に交渉して、ようやく午後6時ごろ正府街の火神廟というお寺にかけつけ、その一室に安置してある両君の遺骸に会見したのであるが、その死骸の惨忍な様相は、実に言語に絶することで、顔面は殆ど殴打されてそのあとかたを残さず、僅かに両君の身体の形によって両君の死体であることを確認せざるを得なかったほどである。

殊に渡邊君の死体は、最も凄惨を極め、その両眼は血にまみれて、天の一角を睥睨していたところを見ても、異郷万里の地に孤立奮闘のすえ、いかに同君が怨を飲んで死んだかが想像され、思わず悲憤の涙にくれざるを得なかったのである。



私をして言わしめるならば、惨殺犯人は両君の無数の打撲傷から言っても民衆1万がことごとく真犯人であり、もっとつきこんで言えば、この背後で糸を操る国民党部、ひいては国民政府が真犯人であるといわざるを得ない。



この後、蒋介石軍を始め各軍閥の内紛の中で「抗日・排日」競争が激化し、抗日の声さえ上げれば自らの軍閥が強化できるとばかりに対日本人テロも激しくなっていく。
つまり「抗日」は軍閥闘争の目晦ましや一時の共闘に利用されていた訳だ。

(最近の韓国にそっくり!パクは中国のやり方パクったな)

南京政権(蒋介石政権)は満洲、上海両事変をもって、この政策を具体化のチャンスとした。(略)
南京政権の支那統一に(抗日は)利用価値は充分である。
蒋介石はこの情勢によって排日政策の強化に自信を得たのである。

満州事変が起こるや彼は『日本の暴虐、日本の恐るべきこと』を宣伝した。
「日本と一戦をせねばならぬ」という空気が支那全土に起こって来た。
(蒋の言として)『日本とは無論一戦せねばならぬ。だが支那の現状では決して日本に勝てない。支那は一致団結して日本との戦いの準備をせねばならぬ、この準備のたえに先ず軍備の拡充を計らねばならぬ。真の愛国運動はまず軍備拡張から始むべきである』



蒋介石は「日本軍の悪行」プロパガンダを満洲事変後すぐにやっていた訳だ。
この本が書かれたのは中国が言う「南京虐殺」=日本の南京攻略より1年前で、南京虐殺がどうのと言う前からプロパガンダ始まっていた事になる。


日本がやったと主張する「暴虐」の詳細は正にこの本にあるようなシナ人が日本人に対してやったそのものであり、通州事件や大山大尉事件などは文字にするも恐ろしい程の凄惨さで、当時からシナは自らやった事、やっている事を「日本がやった」としてすり替えていたのが分かる。


さすがの中国も国際社会の目がある今ではこんな残忍な事はやらないだろうと思ってはいけない。
現時点でもウィグル、チベットの人達にやっている。
先人が記録に残してくれたものをしっかり受け止める必要がある。

繰り返し書きますが、朝鮮人でもないから1000年怨みだの復讐だの日本人はそんな事は考えません。
抑止力を高め、油断せず、こんな奴らとは極力接触を断つ、これに尽きると思います。



集団的自衛権を急ぐ理由

この記事はブロとも、もしくはパスワードを知っている方のみ閲覧できます
パスワード入力
ブロとも申請

「南京・慰安婦」を記憶遺産だって?ー中国が日本にやった非道事件の数々

南京・慰安婦 記憶遺産申請 ←MSNニュース

(定まらない評価に際立つ異質さ 既存遺産と一線)
ユネスコでは、文書や書籍などの文化的価値の評価に絶対的な基準はないとして、真正性や唯一性などの基準を設け、「世界的重要性」を評価するとしている。ただ、記憶遺産は、ユネスコ事務局が作成した「一般指針」によって審査され、申請内容や審査過程の公開義務はなく、透明性を欠くとの指摘もある。


審査は非公開ということか。
今日のテレビ報道では菅官房長官が中国に抗議すると言っていたが、抗議したところで厚顔無恥な中国が動じる訳もない。

中国は「南京虐殺事件」と言うが、私が昔聞いていたイメージでの「南京事件」とは日本人居留民と領事館が襲撃されたものだった。
南京事件 1927年 wiki

シナ大陸での日本人への襲撃略奪事件として

 
  南京事件 1927年
  上海日本人僧侶襲撃事件 1932年
  成都事件 1936年
  通州事件 1937年
  大山大尉虐殺事件 1937年
  ーーーーー
  (終戦直後の)
  通化事件 1946年


(他にも上海で日本人居留民への襲撃があった)

これは1927年「南京・漢口事件」の日本人避難民や掠奪された様子
南京・漢口事件2 クリックで拡大

南京漢口事件真相 : 揚子江流域邦人遭難実記 ←国会図書館デジタルライブラリーへのリンク


成都事件 wiki

支那怖るべし : 急迫化する日支関係!成都・北海事件の真相  ←デジタルライブラリー
以下は成都事件で毎日新聞記者や満鉄職員ら4人が惨殺された様子を書いているページ。
(クリックで拡大します)
成都事件

成都事件2

成都事件3

成都事件4

(通州事件や戦後すぐ満洲に足止めされた邦人への襲撃=通化事件は被害者数も殺害法もこれどころじゃない!
猟奇的な惨殺も少なくなかった。)


当時領事館員はもちろんのこと、日本人居留民や記者は中華民国政府の許可を得てシナに入り駐在していた。
今の海外駐在邦人と同じことだ。
それをヤクザ者を使ったり一般民衆が襲撃したり、中華民国政府も事を治めるどころか排日のバックには明らかに政府があった。
過去これだけの事をやっていながら、確証もない「南京虐殺」だのと言いつのり何と世界記憶遺産にまでしようという、あり得ない程の図々しさ!
日本が独自の美学と矜持から絶対同様の事をやらないと分かっていて中国はこんな卑怯千万な事をやってるんだ。



『支那怖るべし : 急迫化する日支関係!成都・北海事件の真相』  より

シナは且つて日本が小国であり、同じ有色人種で、世界争覇の舞台に遅れて登場したが故に、いつまでも日本人を無力、小国として軽蔑した。
欧米諸国を恐れ、白人を優等視し、その比較の感情は日本軽蔑熱として現れた。
そこへもってきて列国のシナ侵略の野心も手伝いシナ人の排外感情を日本に向けた。
侮日はシナの心奥に住んでいた。

シナの欧米に依存する政策はこの時をもって遥かに強くなった。
つまり欧米に頼っていれば日本だけはやっつけられる。
シナ人の性格は弱いもの、大人しいものには強く、強いものには弱いのである。



先人が詳細に分析し、これだけの事を書いてくれているのに戦後日中国交正常化から40年余り、日本は警戒心の欠片も無く日中友好だのと平和ボケの極みだった。
国民党政府の中華民国時代でさえ上記の通りだったのだから、共産党一党独裁の今がそれ以下に緩いことはあり得ない。
政府の体制がどうなろうとシナ人はシナ人で変わりはない。
上記、邦人が受けた暴虐の数々は日本人がしっかり知っておくべきと思う。
チョウセンジンではないから恨みだの復讐だののためではなく。
今後中国の体制が代わるとしても絶対警戒を緩めてはならない。





南京・慰安婦の史料、記憶遺産申請ーーあんな資料を?!

吉林省
吉林省の地図・戦前の満洲内

南京・慰安婦の史料、記憶遺産申請=「対日共闘」で韓国支援―中国

中国外務省の華春瑩・副報道局長は10日の記者会見で、旧日本軍による南京事件と従軍慰安婦に関する史料について、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界記憶遺産への登録を申請したと明らかにした。

申請したのは中国国内の歴史資料館などに保存されていた史料だが、詳細は不明。吉林省の資料館は今年に入り、南京事件や慰安婦などに関する史料の公開を進めており、中国側がこうした史料を登録申請した可能性もある。



吉林省資料館の史料と言えば、以前エントリーした記事の変更・偏向しまくりのあれでしょうか・・
前に書いたものと重複しますが、まとめながら抜き出してみます。




(文書を分析してみたもの)
中国が出した「証拠文書」

「証拠文書」

文書書き起こし

「ーーられたる慰安所あるのみ。慰安所と申せば一寸劇場か見世物小屋のように想像せられますがさにあらず此兵舎に起居する兵どもの貴重なる精力の排出ケ所なのです。慰安所の兵力は僅かに20名そこそこの鮮人にて然も国家総動員法に縛られ芳子や花子なる桃色配給券が分けられ(不明)
軍隊でなければ見られぬ光景です
(不明)という解にて安サラリーには向きません。
(不明)専ら将校連中専(以下不明・専用?」



慰安所は「安サラリーには向きません」とあります。
民間人がこう書いてあるということは、民間人が利用できる場所だが、安易に利用できない程高く付くということ。
つまりは慰安所は民間の施設だということになるし、慰安婦もタダで働いていた訳ではないと分かる。


そして「慰安所の兵力は僅かに20名そこそこの鮮人にて然も国家総動員法に縛られ芳子や花子なる桃色配給券が分けられ(不明)」
この部分、「国会総動員法に縛られ」ているのは鮮人娼婦ではない。

国民徴用令=国家総動員法のこと
国民徴用令 wiki

日本本土における施行ー1939年7月より日本内地で
朝鮮における施行ー1944年9月より

上の朝鮮日報の記事の中に
「1941年に中国・黒竜江省黒河に住む日本人が、新潟県の知人に送った手紙には」とある。

国家総動員法=国民徴用、とばかり考えていたが、この法律は統制経済・配給制も含む。
ということは「総動員法」から掛かる言葉は「配給制」ということになる。
総動員法=配給制に縛られているから配給券が配られており、それが無い者が利用するのは難しい・高額かかる
との意味にも取れる。
どちらにしても「総動員法」は朝鮮人慰安婦に掛かる言葉でないのは明らか。

以下は私個人の単なる想像の域を出ないので参考程度にどうぞ。

最初の画像の文書は数か月前にも中国が出してきていました。
その時に、この文面は民間人男性が知人の女性(婚約者?)に出そうとして検閲に掛かったものだとの説明。
女性に対して慰安所がどうとか長文で書くかなあと思っていたけれど、私が想像を逞しくするのに、これは女性側から何らかの危惧・疑いを持った手紙への返事ではないかと。




旧満洲に残っている文書が何万何十万あるのか知らないが、そんなに数多くあるのに中国が「証拠」として出してくるものはこんな物ばかりです。
証拠にもならない文書をユネスコ記憶遺産だって?
てことは文書の内容を理解していて誤魔化しているのでなく、本当に解析できていない?
それともやはり他国人には読めないだろうと高を括って図々しくも出すつもりか。

ユネスコ記憶遺産ー選定基準は世界歴史に重大な影響をもつ事件・時代・場所・人物・主題・形態・社会的価値を持った記録遺産を対象とする
とあるが、上記の文書なんか「高給取でもないから娼婦宿には行けませ~ん」との男性のイイワケ手紙がこれに当たるとして世界遺産になんかなったら、人類の文明文化も地に堕ちてお笑いレベルになります。

















アンジェリーナ・ジョリー反日映画ーー背後に見え隠れする闇(SWセンターなど)

アンジェリーナ・ジョリー監督の反日映画「Unbroken」についてしつこく取り上げます。
原作も含めて調べていくと、とんでもないものに行き当たりました。

原作者のローラ・ヒレンブランド(Laura Hillenbrandー女性)自体が怪しいことこの上ない。
アメリカ原書はランダムハウスRandom House社から出版されており、この出版社は巨大過ぎて今更だがユダヤ系。

Unbroken.png


それは別として「Unbroken」主人公であるルイス・ザンペリーニ氏に直接インタビューした日本人がいる。

こちら クリックどうぞ
これは雑誌「潮」に掲載されたもの。
「潮」は言わずと知れたとある宗教団体が出している雑誌です。

インタビュアの徳留絹枝という女性は↓こちらの組織に関わる人↓
「捕虜 日米の対話」 

この団体のページの中でUnbroken関係は
こちら ←クリックどうぞ

ここで原作者ヒレンブランドが元捕虜のザンペリーニについて語る内容からまず怪しいものが読み取れる。

時として、非行まがいの行動にも走らせたという。
「彼は、故郷の町では小さい頃から(オリバー・ツィストに出てくる)アートフル・ドジャーのような存在だったんです。」とヒレンブランドは言う。「本気で家出する少年で、けんかっ早いいたずら者でした。」
ザンペリーニの非行行為は、往々にして盗みだった。「この子は、食べられそうなものなら何でも盗んだんです。よその家の台所に押し入って、出される寸前の家族の夕食を失敬したりしました。」


小さい頃からこういう性質で非行行為を続けていたような人間の、しかも90才にもなって記憶が確かかも分からない人の証言によって、「アンブロークン」は書かれた訳だ。

けれどそれも個人的な事であり、ザンペリーニ自身については特に責めるべき相手でもない。
(持ち上げて利用するには最適の人物ではある)
彼を利用する人間・組織が問題だ。

上にリンク張った「捕虜 日米の対話」HPの中には団体のアドバイザーとしてこんな人が並んでいる。
こちら
(「自己紹介」から入り、下の「アドバイザー・支援者」をクリック)

エブラハム・クーパー師
サイモン・ウィーゼンタール・センター副所長


出たー! 捏造慰安婦ほかアメリカにおける反日というと必ずと言っていいほど絡んでいるあの
サイモン・ウィーゼンタール・センター(Simon Wiesenthal Center 略称SWC)が!

他にもアドバイザーとして名を連ねる民主党議員・藤田幸久は外国人参政権付与を推進する「在日韓国人をはじめとする永住外国人住民の法的地位向上を推進する議員連盟」のメンバー。

こんな奴らの名が並ぶ「捕虜 日米の対話」という団体は、「日米」と銘打っていながら連合軍側の捕虜になったり虐殺に遭った日本兵については扱っていない。

この団体と雑誌「潮」の宗教組織、徳留絹枝、SWC,アンジェリーナ・ジョリー、原作者ヒレンブランドーーー
これらがどう繋がっているのか、英語圏で検索をすると多数並んで出てくるが決定的な物が掴めない。
けれど上記互いの取り上げ方を見るだけでも全部とある特定の方向を向いている人物・団体だと考えていいのではないかと思う。

SWセンターというユダヤ組織は基本ナチス追及だが、対日本に於いてもアンチであるようだ。
そこに日本の(日本人とは限らない)反日団体が絡んでエゲツナイことになっている。



アンジェリーナ・ジョリー反日映画ーー元捕虜との友好関係まで無にするつもりか

昨日に続いてアンジェリーナ・ジョリーが監督した反日映画「アンブロークン」に関連して。

この件を詳しく知ったのはこちらのブロガーさん記事からです。
(拡散希望とのとです)
「BBの覚醒記録」さんへのリンク


映画トレイラー
Unbroken Official Olympics Preview Trailer (2014)


これを見た限りでは監視の日本兵は残忍そうな顔つきで、日本兵=悪魔のイメージ通り過ぎて、いかにも頭が悪そうな人間が作ったんだな~と分かりますねえ。

昨日も取り上げた大森捕虜収容所にいた元捕虜ルイス・ブッシュの記録「おかわいそうに」より。

日本の監視兵・職員を評価つける場面。

「時々人間離れしたギャーギャー声が聞えたからって、余り気にせん方がいいぜ。ケダモノ氏が発作を起しただけだからな」
「根本大尉? あいつは悪くない」
「藤井? あいつも良い男さ」
「”芸者”って渾名の中尉がいるがね、こいつは実に良い男だ。そいつだよ。サントリーを振舞ってくれたのは」
「医務室の主任をしている医者は、頭のおかしい残忍な奴だ。品川にいた頃、われわれの飼っていた子犬を解剖してしまったんだ。腹の中に何が入っているか見るって言うんだ。可哀想だから、死んだ犬をわれわれが紐でぬい合わせてやったよ」
「村岸大尉-これは紳士だ。実に立派な人物だよ。”ジェントルマン・ジム”っていうのが彼の渾名になっているんだ」
「しかし”ハイデルベルグ・ヘンリー”はピカ一だろうな。林という大尉でね、仏教の坊さんだそうだ
「一番最初に林大尉に会った時の事を思い出すよ。横浜でね。ヒットラーばりのチョビひげを生やして、ドイツ式の山高帽子をかぶってるんだ。畜生! と思ったね。このドイツ野郎がっ! てんで”ハイデルベルグのヘンリー”と渾名をつけたわけさ」
「ところが、これがとんだ認識不足でね、トラックへのせられて暫く行くと雨が降って来たんだ。すると、どうだい、ヘンリー先生、車を止めさせてね、病人の捕虜を運転手の席にのせて、自分はわれわれと一緒に濡れて行ったんだ。アレッと思ったよ。それからすっかり好きになったんだが、良い人だよ、彼は」 「ヘンリーのいる横浜の煉瓦工場か搾油工場で働きたいな」



ここに書かれてある「ハイデルベルク・ヘンリー」と渾名付けられた人は林純勝大尉であり、善光寺の僧侶だった方だ。

諏訪収容所(東京第6分所)メモ ←収容所資料のページへのリンク

初代所長の林中尉は長野善光寺の僧侶だったが、大森収容所勤務や横浜収容所所長などを歴任。温厚な人柄で捕虜たちに慕われ、米軍捕虜から贈られたペナントが善光寺裏山の万国慰霊堂に祀られている。


ついでだが、上記ページには(終戦直後の)捕虜と日本人との驚くべき交流事案が書かれてある。

1945年9月6日の午後3時過ぎ、中央線笹子駅で列車が転覆し、死傷者130名を出す大惨事となった。その直後、収容所を引き揚げ、茅野駅から東京に向かう米軍捕虜80名を乗せた列車が笹子駅に到着した。捕虜たちはすぐに列車を降りて、持ち合わせた医薬品で負傷者の手当をしたり、食料や衣類、毛布などを与えたりした。このエピソードが翌日の朝日新聞に載り、横浜にいる捕虜たちに小日山運輸相からお礼の印として甲州名物の葡萄が贈られたという。


こうやって監視兵・職員と捕虜との間に友好な関係も確かに存在し、戦後も交流し、長年の日米友好関係・個人的交流まで、長く大切に育てて来たものをこの反日捏造映画は台無しにするつもりなのでしょうか。
アンジェリーナは頭悪そうだから、そんな事には到底想像が及ばないだろうが。
自分が「正義の側」に立った善人であると示したいが為に他の何かを「悪」として捏造し吊し上げる、これがどれほど当事者、周囲で努力してきた人達、友好関係までを深く傷つける事になるか頭に浮かぶこともないのだろう。




さてそのお坊さんであって温厚な収容所長、林純勝氏がおられた善光寺と言えば思い出すのはチベットとの関係。
2008年北京オリンピックのための聖火リレーの出発地点となっていた善光寺は、チベット人弾圧に抗議する意味から寺の使用を辞退しました。
その後、ダライ・ラマ猊下やチベット亡命政府との交流が続いているようです。
善光寺にダライラマから仏像送られる ←youtube


仏教で言う慈悲でしょうか、正にそれを実践してくれるお寺さんなんですね。
林純勝大尉の捕虜への慈悲、後の友好関係を「無かったこと」にさせてはなりません。



アンジェリーナ・ジョリー監督・反日映画への反論資料として

今あちこちで拡散されているようなので、急ぎ書きます。

アンジェリーナ・ジョリーが明らかな反日(捏造)映画を監督したという話題。

 「アンブロークン Unbroken」
監督:アンジェリーナ・ジョリー
あらすじ
オリンピックに陸上選手として出場したルイスザンペリーニの生涯を描く同名小説の映画化
ルイスは第2次世界対戦にも参加、海を漂浪していたところを日本軍に捕まり捕虜となる。



ルイス・ザンペリーニは大船、大森、直江津と各地の捕虜収容所を転々として1945年8月の終戦を迎え母国アメリカへと生還する。
彼は日本による捕虜の扱いが、ナチス・ドイツよりもひどかったと言う。
「何千人もの捕虜たちが、殴られたり焼かれたり、銃剣で刺されたり、こん棒で殴られたりして殺され、銃殺され、人体実験で殺され、人食いの風習で生きたまま食われた。ごくわずかしか食事が与えられず、不潔な食品や水のために、さらに何千人もの捕虜たちが餓死し、容易に予防できるはずの病気のために亡くなった」



捕虜収容所で人体実験?! 人食いの風習で食われた?!

海外での反日運動に抵抗して歌や動画を上げてくれているyokoさんも、この件を取り上げてくれています。

アンジェリーナ・ジョリーが反日映画を監督?


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


以前私は終戦時まで上記映画主人公の元捕虜の人と同じ大森の捕虜収容所に入れられていた英国軍将校であったルイス・ブッシュ(たまたま上記の元米兵と同じ「ルイス」だ)の著書を取り上げました。

おかわいそうに (1)

おかわいそうに (2)

おかわいそうに (3)

おかわいそうに (4)

おかわいそうに (5)

おかわいそうに (6)

拙い紹介文ですが、だいたいの内容は掴んでいただけるでしょうか。
人体実験や、増してや人食いなどトンデモ過ぎる。

捕虜は迷子になるほど自由に歩き、鯨フライの駅弁を食べ、スイカをもらい
収容所では労働に出されるけれどこっそりサボって女としけこんだり、酒をクスネて酔っぱらったりが見逃されたり
酔っ払って監視兵にビンタ喰らいそうになったが当たらず両者で大笑いしたり
捕虜には日本兵と同等の給与が出て売店で買う事も出来、そのカネを貯めた捕虜には日本兵が借金のお願いに来たり、
将校であった著者は監視兵と一緒に初詣にまで行っている!

確かにリンチやるような監視伍長もいたが、殴った後で抱き付いてきて泣いて謝ったり、これは変態に当たってしまった不幸であって日本軍そのものの体質とは程遠い。後に伍長は外されている。


これのどこが人食いなんだ!

大森捕虜収容所の様子を描いた本の紹介、拙いものですが
もし参考資料として使えそうであれば、どうぞこのエントリー記事を拡散して下さいませ。



ーーーーーーーー
追記

「おかわいそうに」の最後、日本敗戦により日本軍武装解除後の大森収容所の様子を書き出してみます。

8月29日、収容所の沖に数隻の軍艦が姿を現した。
人々は狂気して子供のようにはしゃいだ。制止などできるものではなかった。
(略)
上陸用舟艇には武装した水兵と陸戦隊員が一杯乗っていた。米巡洋艦サン・ジュアン号の中佐が軍医を一人引き連れて収容所の敷地内に上陸した。
(略)
自動小銃の引き金に手をかけたアメリカ将校の一人が、険しい顔つきで進み出た。
「君らを虐待した奴はどいつだ。ドシドシ言ってくれ!」
「いや、今キャンプにいる連中はみな親切で良い人ばかりだ」我々は急いで説明した。
「悪い奴と言えば、そこにいる収容所長くらいなものだろう」
(略)
しかしブラウン(というあだ名の監視兵)かケダモノがその場に居合わせたら、とても無事ではすまなかったろう。
(注・既に外されていた)



この「ブラウン」と呼ばれた監視兵は上述の、殴ったあげく泣きながら抱き付いて謝る変態野郎のこと。
その場面。

事務所まで来てくれと言い、私の肩に手をまわして宿舎を出た。
いきなりブラウンは泣き出した。私を抱擁して「自分が悪かった。悪人でも何でもないあんたにあんな事をしてすまない。これからはいじめるような事をしない」となきじゃくりながら謝る。
ビールを一本出してきて飲めと言い、シガレットと菓子の包みを私のポケットに捻じ込んだ。
ビールはうまいよりも喉につかえた。全く狐につままれた思いだった。
しかしその晩ブラウンはまたヒステリーに取りつかれた。
捕虜と見れば片っ端から殴っていった。



このブラウンなる日本兵が日本人なのか朝鮮人なのかは分からないが、変態であり頭おかしい。
確かにこんな異常な人間がいて悪辣な事もやったようだが、「人喰い」とは程遠い。
他の監視兵は慰めたりもしているし、全体としてブラウンのようだった訳ではない。

都合の良いことばかり取り上げているように見えてはいけないので、あえてこれも引用しました。

ーーーーーー

追記で

「おかわいそうに」全文がネット上で読めるようです。
(大人の事情もあるかも知れないので、ひっそりリンク張ります)
まとめのサイト「おかわいそうに」



日本=ジェノサイド国家というプロパガンダの元は蒋介石ーーそれの担い手だった辻政信

蒋介石の密使 辻政信(祥伝社新書) (祥伝社新書 344)蒋介石の密使 辻政信(祥伝社新書) (祥伝社新書 344)
(2013/11/02)
渡辺望

商品詳細を見る


270px-Tuji_Masanobu.jpg


辻政信ほど、常人の理解を超えた人間も珍しい。一介の参謀にすぎない彼が、各所で上司を無視して無謀な作戦を主導し、敗戦に導いたばかりか、陰謀、虐殺、偽命令などの事件を次々と引き起こす。だが、なぜか責任を問われることなく、また次の作戦に姿を現わす。周囲からは蛇蝎のごとく嫌われながら、戦後は大ベストセラーを連発し、圧倒的人気をもとに国会議員にも当選。最期は議員の身分でラオスに潜入し、そのまま消息を絶った。その彼の、さらに知られざる一面が、二〇〇五年のCIA文書の公開で明らかになる。そこに記された蒋介石との関係は、まさに驚愕に値するものだった。



著者、渡辺氏は最近正論などに評論を上げている保守の人です。
これを読んでると辻政信という人の得体の掴めなさ、異様さの毒気に当てられて気分が悪くなってくるくらいだった。

いくつか文章を抜粋してみます。

蒋介石が戦争全体を通じて一番欲していたもの、それは中国の国内戦線各地において、自らが指揮する諜報機関の総力をもって虚構しようとし、「日本=ジェノサイド(大量虐殺)国家」であるという物語を全世界に信じ込ませることに他ならなかった。

今日、中国共産党が展開している日本=ジェノサイド国家という宣伝工作の大半は共産党のオリジナルではなく、国民党がかくて徹底して行った宣伝工作の受け売りに他ならない。



日本軍人にあるまじきジェノサイドの担い手というほかないが、辻のこうした姿は中国の低級なプロパガンダ映画あたりに登場する「虐殺の担い手」としての日本軍人のイメージに、まさにぴったりくる人間であろう。



辻はいわゆる他国軍に対する「悪行」とは別に
・ノモンハン事件においてソ連軍の捕虜になったのち帰還した部下将兵らに自決を要求した。
(この頃「生きて虜囚の辱めを受けず」の戦陣訓は未だ出されていない)
・ノモンハン事件以降の関東軍とソ連軍との和平交渉をロシア人工作員利用により決裂させた
・ポートモレスビー、ガダルカナル島で無謀な作戦を強行し多大な犠牲を出す
盧溝橋事件は1937年7月7日のことだが、7月20日、辻はシナ駐屯軍司令部に現れ盧溝橋付近の中華民国軍を爆撃する、自らも戦闘機に乗ると言い出す。主任参謀の池田中佐らは不拡大方針で決まりかけているので、それはならぬと止めたが辻は中央部が鈍いから独断でやると言う。池田中佐が「どうしてもやるなら我らが友軍相撃ちで撃墜してやるぞ」とまで言ったので辻は断念したという。

これらを指揮した辻のことを著者は「部下へのテロリズム、リンチ」であると書く。

そして辻の独断によって為された「シンガポール華僑虐殺事件」、バターンの米軍投降兵に対するニセの射殺命令(これは幸い未遂に終わった)、そしてビルマにおける「英国軍捕虜人肉試食事件」というものまで、ごく近くに居た人らの証言により否定しようのない「悪行」がある。

ソ連や蒋介石軍との和平工作を決裂させたと思ったら、今度はまた和平工作を上官無視で独断でやろうとする、そして戦後は逃亡して蒋介石軍側に寝返り、後には中国共産党に近づこうとしたりーー
一貫性も見られずハチャメチャ、見ようによってはとにかく混乱状態の中へ中へ、あるいは自ら混乱を造り出す方向へとばかり動かしていたようにも思える。

唯一、一貫共通して見られるのは蒋介石を喜ばせるような事件であったこと。

これらの地での辻の犯した行為は、日本軍がジェノサイド的な軍隊であったというイメージ、すなわち蒋介石・国民党が日本という国にかぶせようとしたイメージにぴったり合致する。魔女(辻)による魔神(蒋介石)への「帰参の手土産」という訳である。



蒋介石はということ、軍の統制など一切取れておらず逃げ回るばかり、自国民の生命を軽視した黄河決壊事件、共産主義者弾圧・虐殺などなど辻にも増してハチャメチャな怪物だ。

二人の共通項は
・依存対象をくるくると変え、その対象を利用しつくして延命を図る
・対立する両側に巧みに依存しながら自分のポジションを強く確保し、生き残りを図る
であり、この似た者同士が日本ポツダム宣言受諾後、辻の逃走から出会うことになる。


この後から辻が行方不明になる直前までの行動はCIA秘密文書によって明らかになっている。
けれどその文書はあくまでも戦後の動向であって、戦時中の辻政信ー蒋介石の繋がりについては確定的な事は書かれていない。
私としてはそこが一番知りたいのに!というところですが、決定的資料が出ない限りは仕方ないか・・

それにしても不思議なのと同時に呆れるのが、ニセ命令出したり、独断謀略やったりで明らかな軍規違反であるのに、こういう人物を誰も止めなかった事だ。
何らかの才能があるとしても、参謀や前線に登用しないようには出来なかったものかと不可思議で仕方ない。
辻には一種独特の魅力があり、これに魅入られてしまう人は少なくなかったようだし、また他人の些細な個人的弱点を見抜いてそこをつついて抑え込み批判の口を閉ざさせる才能、そして弱った者に手を差し伸べ親切の限りを尽くし感動させ「信者」にさせてしまう才能、などもあったのだろう。

尾崎秀実に丸め込まれていた近衛文麿もそうだが、辻の動きを完全に止められなかった東条英機も、両者とも懐が大きいばかりにそれが仇となったように思えてならない。

著者はそういう日本人独特の弱点をこう書いている。

日本人ほど親切がもたらす様々な不幸に鈍感な面々はいない。
日本人は親切好きであるとともに、親切に弱い。親切を受けた瞬間、そのことへの美的感動から、何もかもが分からなくなってしまう。

蒋介石が許しがたいのはこの日本人の弱点を知り尽くしていた上で、「以徳報怨」の謀略を行ったということにある。
日本人は「赦す」という蒋介石の親切行為に感動した瞬間に「悪を犯した」という劣位におかれてしまったのだ。



この点で「親切の悪用」をやらなかった中国共産党は失敗した、と書いている。
が、私が思うにはここ最近まではある程度この作戦で成功していたのでないか。
周恩来も蒋介石と同じタイプで、もっとより長期展望の基に狡猾にやった。(参照・左欄の本『天皇の軍隊を改造せよ』)

「天皇の軍隊」を改造せよ: 毛沢東の隠された息子たち「天皇の軍隊」を改造せよ: 毛沢東の隠された息子たち
(2012/02/08)
高尾 栄司

商品詳細を見る


辻政信、蒋介石、周恩来などこういう「怪物」タイプに対して、混乱しかもたらさない危険な怪物だと認識できず放置するか賞賛までしてしまうケースが過去には少なくなかった。
何でこんな奴らに好きにやられたんだ!
CIA文書が公開されたりもしている今、詳細に検証して大戦を総括(田原総一朗がいつも言う総括みたいだけど)してみる必要があると思う。





上記CIA文書とは↓この本の著者・有馬哲夫氏が2005年に解析したもの。
大本営参謀は戦後何と戦ったのか (新潮新書)大本営参謀は戦後何と戦ったのか (新潮新書)
(2010/12)
有馬 哲夫

商品詳細を見る


これも合わせて読むとより分かりやすくなると思います。




「空想虚言症」にぴったり当てはまる国・民族

この記事はブロとも、もしくはパスワードを知っている方のみ閲覧できます
パスワード入力
ブロとも申請

「大東亜戦争とスターリンの謀略」と「東条英機 歴史の証言」

大東亜戦争とスターリンの謀略―戦争と共産主義 (自由選書)大東亜戦争とスターリンの謀略―戦争と共産主義 (自由選書)
(1987/01)
三田村 武夫

商品詳細を見る


これを読んでいますが、なにせ情報量・資料が膨大、元へ戻って確かめることしばしばでかなり苦労しております。

以前取り上げた記事↓
「大東亜戦争とスターリンの謀略 戦争と共産主義」


資料の中では「尾崎秀実手記抜粋 昭和17年2,3月」が興味深い。
検挙された尾崎の供述書。
コミンテルンの成り立ち、目的、ゾルゲやソ連との関わりなどなど詳細に説明している。

我々のグループの目的任務は私の理解する所では、広義にコミンテルンの目指す世界共産主義革命遂行の為、日本に於ける革命情勢の進展と、之に対する反革命の勢力関係の現実を正確に把握し得る種類の情報、並びに之に関する正確なる意見をモスコーに諜報する事にあり。
狭義には、世界共産主義革命遂行上、最も重要にして其の支柱たるソ連を日本帝国主義より防衛する為、日本の国内情勢殊に政治経済外交軍事等の諸情勢を正確且つ迅速に報道し、且つ意見を申し送って、ソ連防衛の資料たらしめるに在るのであります。



私は第二次世界戦争の過程を通じて世界共産主義革命が完全に成就しないまでも決定的な段階に達する事を確信するものであります。

戦争の結果は両者共倒れになるか、又は一方が他方を制圧するかであり、敗戦国家に於いてはプロレタリア革命に移行する可能性が最も多く、また一方が勝ち残った場合でも戦勝国は内部的な疲弊と敵対国の社会変革の影響とに依って社会革命勃発の可能性無しとしないのであります。



昭和17年(1942年)の時点でこの供述をしている訳だが、ここまで赤裸々に語らせておきながら、その後の情勢がまんま尾崎の予想通り進んでいったのはどういう訳だろう。
しかもソ連の工作まで言っているのに、日ソ中立条約などを宛てにしてソ連に和平斡旋させようとした東郷外相や木戸幸一らはいったいどういう了見だったんだ。

尾崎の供述内容を知らなかったとは思えないから、とんでもないお花畑かあるいはソ連側に丸め込まれたか工作に関わっていたのか・・・

(参考に・wikiより)

1945年5月、陸軍参謀総長の梅津美治郎が、ドイツの敗戦後、日本とは中立状態にあったソ連が極東に大兵力を移動しはじめていることを指摘し、ソ連の参戦を防止するための対ソ交渉の必要性が議題になった。そこで東郷は、ソ連を仲介して和平交渉を探るという方策を提案した。これに対し陸軍大臣の阿南惟幾は、日本は負けたわけではないので和平交渉よりもソ連の参戦防止を主目的とした対ソ交渉とすべきだとして東郷の見解に反対する。結局、米内光政海軍大臣が間に入り、まずソ連の参戦防止と好意的中立の獲得を第一目的とし、和平交渉はソ連の側の様子をみておこなうという方針が決定された。



尾崎秀実のこの発言

私は第二次世界戦争の過程を通じて世界共産主義革命が完全に成就しないまでも決定的な段階に達する事を確信するものであります。



ソ連以外の国々を戦わせ疲弊させ赤化革命へとの謀略ということで、まずは思い当たるのがシナ事変だ。

東條英機歴史の証言—東京裁判宣誓供述書を読みとく東條英機歴史の証言—東京裁判宣誓供述書を読みとく
(2006/07)
渡部 昇一

商品詳細を見る


「事変の早期終結を阻止したのは誰か」の項で近衛文麿側近の左翼人脈、頭脳集団を挙げ

 その頭脳集団の一番の中心が尾崎秀実です。
このような人がシナ事変の継続を求めるコミンテルンの指示によって動いていたことは明らかです。
コミンテルンの狙いは、日本と蒋介石を戦わせて消耗させ、ソ連と中国共産党を拡大化することにありました。 


このことは終戦後早い時点から言われていたと思うが、さすが渡部さん、具体的事例を挙げて解説してくれている。

2005年に出版され世界的な話題を呼んでいるユン・チアンとジョン・ハリディ共著『マオ』によれば、この攻撃(第二次上海事変)を仕掛けたのは、コミンテルンの手先であった張治中という将軍で、彼は蒋介石の許可無しに、かつその命令に反して日本軍を攻撃し始めたとされています。


(第二次上海事変)において、世界中の眼を引きつけるために蒋介石軍は爆撃を始めました。そして百貨店にまで爆弾を落としました。その渦中で、後に駐日アメリカ大使になったライシャワー氏の兄もイギリス系のホテルで爆死しています。
攻撃目標は日本租界でしたが、ホテルや民衆の娯楽施設への爆撃などもありました。



蒋介石軍(上記の通り、蒋介石の許可無しに軍が動いた)が自国民であるシナ人を狙って爆撃していたとの話は別の所で見聞きした事がある。
うちの地元の図書館にある郷土史の中の地元住民による従軍記でも、「こっちを外してわざわざ同胞であるはずのシナ人子供の群れを狙って爆撃していた、何と酷いことか」と書かれていた。

自身の命令でないとしても蒋介石も結果としては日本軍叩きができて納得していたんじゃないかと思う。
欧米にたいして「日本軍は民間人狙う悪魔集団」と情報工作もやっていたようだから、コミンテルン側に嵌められたというより納得づくで乗っかっていたと思える。




今現在、中国は「抗日戦争」だのとまるで「中国」という統一国家があったかのように言っている。
国共合作にしても内実はシナ同士での内ゲバも多数あったし、自国民を狙っての攻撃や虐殺も少なくなかった。
それに対してロクに反論もせず、現在も進行中の情報戦、大丈夫なのか日本は。






「Let It Go」が「JCスーパースター・ゲッセマネの園」に似てる

この記事はブロとも、もしくはパスワードを知っている方のみ閲覧できます
パスワード入力
ブロとも申請

| ホーム |


 ホーム 


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。