プロフィール

紺屋の鼠

Author:紺屋の鼠
近代史・政治・社会情勢
読んだ本あれこれ
古いものが主の映画・音楽

(記事への拍手をありがとうございます。
共感していただいて嬉しく励みになります)

フリーエリア

にほんブログ村ランキングに参加してみました。 プチッとよろしくお願いします。

最新記事

最新コメント

月別アーカイブ

カテゴリ

FC2カウンター

リンク

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

外患誘致しそうな工作・諜報員が国会議員の中にいるとしたら・・

この記事はブロとも、もしくはパスワードを知っている方のみ閲覧できます
パスワード入力
ブロとも申請

先祖が『田中河内之介』と関わりがあるようで無かったり(あるとは言えない・笑)

この記事はブロとも、もしくはパスワードを知っている方のみ閲覧できます
パスワード入力
ブロとも申請

あまりにもおぞましい終戦直後、韓国での事件(そして日本へ密航・・)

(前半、戦後の朝鮮人同士の虐殺事件についてですが、後半は日本に大いにかかわって来るので、長文面倒な方はどうぞ読み飛ばしながら後半を見て下さい)

追記で:  「はなみずきさん」がコメント欄で重要情報を提供して下さっています、是非読んで下さい!   



   小鹿島

画像の神社、何か様子が変だと思いませんか。
真新しい感じはするけれど一種異様な雰囲気・・

韓国に現存する唯一の日本式神社、小鹿島更生園神社(全羅南道)です。

カイカイ反応通信 へのリンク

最近、日本の政治家らによる過去の歴史や慰安婦関連の妄言が相次いでいるが、全羅南道の小鹿島に国内で唯一の原型を維持した日本の神社(下写真)が登録文化財に指定され残っているという事実が発覚し、存続させるべきかどうかをめぐる議論が起きている。

神社は礼拝に使用される拜殿と身体が安置された本殿の2棟で構成されている。当時、朝鮮総督府によって全国各地から強制的に連行されたハンセン病患者への参拝を強要していた。文化財庁は「日帝の蛮行を記憶するためのもの」と言って社殿に加え、ハンセン病患者を監禁して管理した旧小鹿島更生園事務本館、講堂などを登録文化財に指定した。

しかし、最近になって日本の政治家の妄言が続き、神社の保存について否定的な気運が高まってきている。特に、2008年に5000万ウォンの予算をかけて神社の建物の改装工事が行われた事実が知られ、11日には某ポータルサイトにて、神社の撤去のための署名運動が起き、22日現在で約700人が参加している。ネット上では、悲劇の歴史も後世に教訓として残さなければならず保存しなければならないという主張や、神社は単純な施設ではなく、日本の精神的な意味が込められており、歴史の清算と一緒に撤去しなければならないという主張が対立している。



言うまでも無く「日帝の蛮行」が起こった事実などは一切ありません。

けれどここは聞くもおぞましい蛮行の数々が起こった場所には違いないのです。
朝鮮人同士の数々の惨殺事件・・


まずこれ
小鹿島更生園園長刺殺事件
日本人園長が犠牲になった併合時代1942年の事件ですが、これはまだ序の口と言っていいくらい。

問題はこちら。
終戦直後の1945年8月15日以降に起こったおぞまし過ぎる事件の数々・・
小鹿島虐殺事件

その詳細はこちら
小鹿島の半世紀 (韓国人視点からのレポートです、反日視点でさえこの状況)

一部抜粋しますが長いので面倒な方は読み飛ばして下さい。

おかしく感じて席を立たず座っていた患者たちに韓国人職員がぶつぶつ言いながら話し始めた。「お前たちに園長があわてて言っていたのは、静かにしていろということだ。お前たちはまだ知らないと思うが、韓国は解放されたというニュースがラジオで放送された。今、外の社会では人々は街頭に出てマンセー(万歳)と叫んで喜んでいるのに皆さんたちだけが何も知らずに夢の中にいるのだ。」

この話を聞いた患者たちはワアーと喚声をあげ、走り出て行った。またたく間に全病舎に知れ渡り、両親兄弟に会いに行かねばと荷物をまとめる者がいるやら、奴らの神詞堂を打ち壊し手に手に斧やハンマー、つるはし等を持って押しかける群集もあった。一方、歓喜に歌い踊るものもいた。また、部落の掲示板にはどこから知り得たのか、だれが書いたのか分からないが民族独立家の金九や李承晩など名前などが貼り出され黒山の人だかりになっていた。
 いつの間にか,荷物をまとめて出てくる患者は各部落ごとに漁船を取り出して群がり脱出をして行った
 刑務所ではすでに乱闘状態で罪囚者が看守の着物を剥ぎ取り殴打して、日本人所長はぶるぶる震え、どうすることもできずにいた。金と朴は所長を捕まえ責めたてていた。「このやろうお前も服を脱げ」日本人は頭をうなだれ,しきりに助けてくれと哀願した。懐からお金を出し差し出していた。助けてくれる事に感謝した様子で、着物を脱ぎパンツ一つで山道を職員地帯へ消えていった。その他の看守たちも必死の思いで生命だけは永らえて逃げ出した。
  興奮状態の金と朴は刑務所から着物と靴を持ち出して着用するや,日本刀まで振り回し凱旋将軍のごとく病舎地帯をねり歩いた。

このように何日かの間、理性を忘れた群衆で騒然として混乱した。このような渦中についに殺傷事件がおきてしまった。
 8月20日、その日も病舎地帯は殺伐とした空気が流れていた。東生里担当の看護手朴珍格が患者一人と口喧嘩になってしまった。険悪な状況のなかであったが職員地帯に知らせず、朴珍格はそのまま職務をとっていた。彼は前から患者たちに不遜な態度で接していた。「今はどんな時だ!日本時代と違うぞ!」不遜な態度に激怒した患者たちが朴を袋だたきにしてしまい、彼はそのまま命をなくしてしまったのである。
病舎地帯と同様に職員地帯も騒乱のるつぼと化していた。西亀園長をはじめ日本人幹部たちはいち早く職務を撤収するや、残された韓国人職員間に壮烈な指導権争いが起きていた。

雰囲気は無条件に我々によい形成であるとの李宗揆の連絡を受けた六部落の患者たちは手にこん棒やくわを持って治療本館に集まってきた。歩ける者すべてが出て来て大示威行動となって職員地帯へ押しかけて行った。巡視本部(現指導所本部)では患者の動態をうかがっていた。過日の虐待にたいする患者の復暴動が起きるのではないかと警戒していた矢先、殺気だった大衆の怒号が押し寄せ迫ってきたのである。緊急に職員本部に連絡が入り,鎮圧のための空砲が撃ち放たれた。
こんな最中、治療本館の二階では石四鶴が声を張り上げ煽動に余念がなかった。「玉のない空砲だから心配せず、前へ推し進め」この激励に力を得た示威群集は一層気勢を上げて銃の音を気にせず突進して行った。
 実弾はついに発射され、いちばん前にいた三人が血をあびて倒れた。「実弾だ、弾があたり死んだ」前から誰からともなく声があがり、驚いた群集はちりじりに逃げ出した。8月20日の事であった。

出て行くや、待機していた武装職員と鹿洞から応援にきた武装治安隊によっていきなり縛られ、その場で銃殺されてしまった。前もって用意されていた海辺の窪みに処理されてしまった。
 事前に作成された名簿により、職員たちにより患者指導級の人が各部落から引き出されては銃殺された。最後は窪みに薪を積み火をつけ、その上に生きた人を放り込んだ、まことに阿鼻叫喚の生き地獄であった。死ねず苦痛を訴える悲鳴、生火葬を受けながらも泰然と座り自己の霊魂を神に祈る患者幹部の姿もあった。周辺では同患が仏となり、死にいくのを見て精神異常になる者もでた。生きても悲惨の極みであった。動乱を鎮圧するとの口実のもと、事実は反対分子の粛清の手段として無慈悲な虐殺を敢行した呉順在などの行為は天人共怒する過ちである。武器の前に無力な患者に対してもう少し寛容でなければなかったし、銃殺しなければならない事情があったとしても最小限にかぎらなければならないことであった。

虐殺がここで終わりを告げたのではない。解放直前に園で購入しておいた大豆を積載しに桟橋方面に行った作業助手たちと人夫たちを海上で出迎え銃殺してしまった。多島海海峡が血で赤く染まり大豆だけが船艙にころがった。
 恐ろしい殺戮旋風が園内を吹きまくった。この海上殺戮で朴順岩、李聖基、趙敏吾、全昌述、除永達等5名は九死に一生を得て生き残り日が暮れるのを利用して海へ飛び込んだ。
 職員患者間の流血衝突の契機を作った張本人の石四鶴と患者の李宗揆はデモが失敗した日、身辺の危険を感じ真っ先に高興方面へ逃げた。一時は殺戮を免れたが結局は所在が明らかになり捕まり石四鶴だけは命は救われ、患者李宗揆は園生の見るなかで火葬されたとのことである。
 虐殺された総数84名。李宗揆の死を最後に職員患者間の敵対行為を中止しようという和解が生じ、二度とあってはならない虐殺の修羅場は幕を下ろした。
 1945年9月21日、アメリカ軍政庁から発令を受けた新しい園長が赴任して来た。



阿鼻叫喚の地獄絵図とは正にこのこと。
込み入って訳が分からなくなりますが、要するに日本人園長や職員が追い出された後、患者らが暴動を起こし死者も出る、同時に多数の患者が園(島)から逃亡→職員同士も内輪もめ→暴動を鎮圧するのに職員が患者を射殺したり生きたまま焼かれるという流れです。

これだけの事があってさすがの韓国人も何かを恐れて画像にある祠をそれなりに大事にしてきたのではないかと想像します。祀りかたが変な感じはありますが、社殿を新しくしたりしてかなり畏れていたのでしょう。





さてここからやっと後半。


小鹿島の事件の事は知っていたのですが、とある方のブログを読ませてもらっていて別の件で「小鹿島更生園」の名が出てきて驚きました。

「こたつと猫とわたしと日本」さんへのリンク

(ブログ主様ご本人の了承いただいたので内容一部転載させていただきます・囲み部分)

一番最初の記事によると、

--------------------------------------------------------------------------------

衆 - 本会議 - 55号  昭和23年06月04日

議長(松岡駒吉君)  救癩施設に関する緊急質問を許可いたします。榊原亨君。
〔榊原亨君登壇〕
榊原亨君  
 さらに問題となりますのは朝鮮人患者のことであります。
現在朝鮮人癩患者は、一療養所に約四、五百名くらい收容せられておるのでございまするが、

戰前朝鮮の小鹿島にありました約六千名の癩病患者は、終戰と同時に日本人職員が引揚げたのを機会に、全部これが脱出をはかりまして、この脱出いたしました六千名の癩患者の大部分は、あらゆる手段を講じて、日本に向け多数密航してきたのであります。 

その一例を申しますると、
兵庫縣の尼崎市におけるがごときものでありまして、これら朝鮮人患者は、日本において一團を組織いたしまして、不良なる日本人または朝鮮人と共謀いたしまして、いろいろ凶惡なる犯罪を犯しつつあるのであります。

そして、彼らの一部が万一警察に捕われましても、前に申し上げた通り、何ら処罰を受けることなく、そのまま癩療養所に再び收容され、 彼らはますます増長いたしまして、療養所内の秩序を乱し、勝手氣ままな生活をした後、折を見て再び三たび脱出するという順序を繰返しておるのでございまして、療養所は、この種犯罪者の安全なる温床となつておるのであります。
これらの点につきましても何らか緊急の処置を講じなければ、單に一般社会への癩病の傳染の危險があるばかりでなしに、社会の安寧秩序の上から申しましても、実に重大なる事態に至ることを憂うるものであります。


--------------------------------------------------------------------------------

戦後このような事があったのですね。
6千人もの癩(らい)病(ハンセン氏病)患者が日本に密入国してきたんですね。
更に一団を組んで日本で凶悪犯罪を犯し、病気を盾に療養所に逃げ込むという卑怯な手口。
当時の日本の管理者は相当に頭を悩ませて苦労されたと思います。
感染病ですから恐ろしい限りです。



前半に書いた「暴動を起こし撲殺まで起こした患者」「島から逃亡した患者」らは日本に密航していたのです・・・
(職員に追い立てられたり殺されそうになったり、一面では被害者でもあるとは思います)

職員による患者殺害のために仕方なく逃げた、密航してきてもその理由を申告し法律通りに療養のための施設に入れてくれ、というならまだしも凶悪犯罪組織となっていた訳です。
元から小鹿島更生園には犯罪を犯した患者用の刑務所が併設されていたようなので、そこから逃亡してきた人もいないとは限らない。

こんな事があったとは。
最近までハンセン氏病に関わる「人権」が問題視されていましたが、戦後間もない時期にこういう事があったら国民の間で余計な偏見が生まれても仕方ないとも言える。
真っ当な罹患者さんまでが変に思われることもあるだろうし、何よりこんな暴力事件起こした朝鮮人患者と同じ施設にいなければならなかった人達が気の毒だ。
人権人権という団体は、本当に人権を考えるなら真っ当な一般日本人患者さんと前科者ははっきり分けるべきであったし、世間に周知もすべきだった。




何から何までおぞまし過ぎる事件を書いてしまったので、お祓いの意味でいつも行く神社のお札に柏手打っておきましょ・・・







嫌な話題の後にはド派手なバナー(笑) 
よろしくお願いいたします

人気ブログランキングへ

日本がイスラエルを支持すべき理由(中国も絡んでいる)

この記事はブロとも、もしくはパスワードを知っている方のみ閲覧できます
パスワード入力
ブロとも申請

今の中東情勢がかつての支那(中華民国時代)とそっくり

この記事はブロとも、もしくはパスワードを知っている方のみ閲覧できます
パスワード入力
ブロとも申請

世界で起こる悪魔の所業は何から何まで日本兵のせい!?

最近「従軍慰安婦」が捏造であると大バレして形勢が悪いためか、反日勢力は次の手を出してきてるようだ。
次の手とは 日本人は食人鬼! 宣伝のようです。
あちこちにその馬鹿げたプロパガンダ報道が出てきますが目についたのがこれ。

閲覧注意・この類がダメな私でも見られたので凝視さえしなければOKな感じ。モノクロ画像です)
米国人の目の中の日本軍 人肉も食べる (2011・8・8)

その目撃談やら証言やらがどんなものか不明だが↓こちらには詳細が載っている。
日本兵によるとしているカニバリズムの部分を抜粋。

(資料)

××部隊のC・ヒューゴ准尉は、以下の証言に間違いのないことを誓言いたします────

 ×月×日、午前九時、私はJ・グリフィン兵長ならびに故スウェル曹長とともに××における敵軍との交戦によって殺害された○○の身体を回収いたしました。われわれが発見した身体は以下のような状況にありました。───
 (一) 衣類は全部はがされていました。
 (二) 両腕が肩から削ぎ落とされていました。
 (三) 胃が切り取られており、心臓、肝臓、その他の内臓も抜き取られていました。
 (四) 肉の部分がすべて身体から切り落とされており、骨がむき出しになっていました。
 (五) 両腕、心臓、肝臓、その他の内臓を発見することはできませんでした。
 (六) 手が触れられていない身体の部分は頭部と(くるぶしから下の)足だけでした。
  二人の日本兵の死体の中間に横たわっていた○○の身体から四ないし五ヤード離れた場所に人肉と思われるものが入っている日本軍の飯盒が転がっていました。            
                                                C・ヒューゴ准尉署名



ニューギニアで「母はこの飯盒で茹でられて」

バラスさんが証言したのは、東部パプアニューギニアのセピック川流域のマラハオ村での集会だった。パプアの山間部の人たちは、半世紀前までカレンダーを気にしない暮らしをしていたため、正確な日付はわからないが、彼の母親が悲惨な死を遂げたのは、戦況などから1944年から45年にかけてだろう。
「家族が日本兵に切り殺されて飯ごうでゆでられ、あげくに食べられた」という証言は、バラスさんだけではなく複数の人から聞かされた。

戦争中20代後半だったマンピー・ワサさん(男性)は妹とともに、伏し目がちに、こう語った。
「その日の午後、長男は日本兵に命じられてサゴヤシを取りに行きました。翌朝になっても戻らないので、日本兵が兵舎にしていた教会に様子を見に行くと、日本兵はみんな寝ていました。台所ではナベが火に掛けてあったので、フタを開けてみると人肉で、兄が食べられたとすぐにわかりました。肉がこそぎ落とされた兄の骨を集めて持ち帰り、埋葬しました」



つい最近まで、パプアニューギニア人が、日本兵による人肉食の被害について公に語る機会はなかったと言っていい。悲惨な体験が語られるようになったのは、ラク氏らが94年、「日本軍による戦争被害に補償を求める会」を結成してからだ。

すでに被害登録は約6万5000人にのぼるという。ちなみに現在のパプアの人口は390万人。登録者は約60人に1人になる(登録者はニューギニア島東部だけではなくラバウルなど周辺の島々を合わせた数)。
最も多いのは「武器や食料の運搬に駆り出された」約2万6000人だが、人肉食犠牲者1817人、胸を切断され死亡した女性19人、性器を蛮刀でえぐられて殺された女性8人、強姦されて殺害された女性5164人など、とても信じられないような数字が並ぶ。



出鱈目もここまで来たら笑えるくらいだ。
ニューギニア人もいい加減にしろよ、とでも言いたくなる。

日本兵自身の記録として「死の島ニューギニア-極限のなかの人間」尾川正二

「やつら何をしていたんだろう。おかしい。蛇ならばくれるはずがない。良心にとがめるところがあって、おれたちも仲間に引き入れることによって、少しでも呵責からのがれようとしたのではないだろうか」などと憶測した。もちろん、何の根拠もないが、とっさに期せずして符合した感じは、何であったか。腿の肉を切り取られた死体の数は、一つや二つではなかったのだ。ついに全く光は消えた。ただ眩暈のうちに拠点を見失って、地底に転落していった。


蛇の肉だと言って出された物を疑っているだけの場面を食人をやった証言としている。
日本兵の記録はこの類ばかりだ。



さて、
ニューギニア東部には クールー病 というプリオン由来の病気が近年まで多発していました。

クールー病とは

フォア族では、死者が出た場合、葬儀の参列者は死者の魂を慰(なぐさ)めるために死体の肉を切り刻み、それをバナナの葉に包んで焼いて食べるという風習がある。その際、女性と子供は脳と内蔵を食べることになっている。

教授の調査によれば、1957年以降クールー病で死亡した者2500人のうち、その80%は女性だった。そして18%は子供であり、成人男性は2%しかいなかった。

1950年代、この地を統治していたオーストラリアがフォア族に対し、人肉食をやめるように命じ、1960年以降、この人肉食の風習は消滅した。

そしてそれ以降、クールー病による死者はどんどん減っており、「人肉食とクールー病との因果関係は明らかだ。」と教授は語っている。



食人習慣由来のプリオン病(狂牛病)を描いた本の紹介エントリー↓
「食人の痕跡と殺人タンパクの謎」

上記クールー病多発の部族だけが食人習慣があった訳ではなく、東部ニューギニア~南太平洋のあちこちでそれがあったらしい。
つまり「日本兵が食人をやった」とされている地域とほぼ一致するという不思議。


最初に書いた東部パプアニューギニア高地の人達の日本兵がやった、と証言している内容はどう見ても異様だ。
当時でも宣教師らから食人は禁忌であると咎められていたようで、それでも止めなかっただろうことは戦後にも続いていた事実から分かる。
つまり自分らがやったことを日本兵がやったと大嘘を言ってるわけだ。

しかも被害申請が数千~数万単位で増えた。
嘘を言った上に賠償金までもらえるとなると申請しなきゃ損くらいなものだったろう。

終戦後すぐには日本兵は食人鬼だの言いまくって戦犯を増やそうとした報いと言いたいくらいな、こんな事件があった。
食われてしまった御曹司、としてよく知られていると思いますが。

ニューギニアで消息を絶った大富豪の御曹司

マイケルはダニ族ではなく、車輪や鉄器すら知らなかった狩猟採集民、アスマット族の呪具を収集しようとしていた。ただし、アスマット族はかなり好戦的で、当時はまだ食人の風習を保っていたのである。
そして、マイケルが姿を消したのは、そのアスマット族が暮らす地域だった…。




もうほんと、いい加減にしろよ!!

食人ではないが、最近中国でペストが発生したという。
新型インフルやSARS、次々に現代ではあり得ないような感染症が多発する。
そういうシナ大陸で、戦時中に731部隊が細菌をばら撒いた、コレラやペストの菌を撒いただの今でも言っている。

・戦時中日本軍が細菌兵器を撒いたと言われている地域に限って現在も感染症が多発
・戦時中日本軍が「慰安婦」として連行したとか奴隷扱いしたとか言われている国=韓国に限って現在も娼婦の輸出が膨大
・戦時中日本兵が食人をやったと言われている地域に限って近年まで食人習慣があった
・戦時中日本軍がシナ人に拷問や民間人虐殺をやったと言われている地域(中国!)に限って民主化運動家、ウィグル人やチベット人への拷問や殺戮が多発

はいはい、今でも世界中悪辣なことをしているのは日本軍ですよ、今でも日本兵がどこにでも潜んでるのでしょうね

ほんといい加減にしろよ~!!







どうぞよろしく

人気ブログランキングへ



気になる記述ー「陛下が一身を投げ出 す御覚悟でいらせられること」(1945・8・18当時)

69年目の終戦の日を前に、どうしても気になっている事があり再度取り上げます。

以前のエントリー記事。
特殊潜航艇が写っている古い写真 ←クリックどうぞ

五分間の決断 特殊潜航艇「蛟龍612号艇」横井順一の手記五分間の決断 特殊潜航艇「蛟龍612号艇」横井順一の手記
(2011/05/31)
横井 順一

商品詳細を見る



横井寛氏著「五 分間の決断」 より抜粋

8月18日正午頃、水上機が2機、突然内海湾に着水した。

呉鎮守府長官金沢中将は、陛下に拝謁仰せ付けられて、終戦の心意を拝受し部下の将兵に伝えるべく、呉への帰途小豆島上空で、千余名の隊員の心境を鎮めなければと、事態を懇々と説明して出発された。

続いて第十特攻戦隊司令官大和田少将も来島され

「終戦は全く陛下の御意志より出たものであること」
「陛下が一身を投げ出す御覚悟でいらせられること」

などを、涙ながらに諭すところがあったので隊員も次第に落ち着き、嵐部隊は無事に解体の方向にまとまったのである。



あと「蛟竜艇長第十七期会編 特攻艇長たち 次世代への遺言」というこれも自家出版本P93~P94に「佐野大和」氏の言葉として全く同様のことが書かれている。

昭和天皇による終戦の詔書放送から3日目の8月18日の時点で
「陛下が一身を投げ出す御覚悟でいらせられること」 との通達があったという。
隊員の落ち着かない気持ちや決起へ向かう危惧が収まったのは事実なので、結果としてそうなっているという事は何らか大きな通達があった事は間違いが無いと思う。

事実そのままだったとしたらかなり重要な出来事ではないでしょうか。
東条英機が自決の際に未遂となったことの意味、もし上記のような陛下の御心を耳にしたとしたらーー敗戦の責任を取るべき、いや自死すれば陛下に及んでしまう、との葛藤の結果と考えるのは穿ちすぎだろうか。

昭和天皇とマッカーサー元帥との会見で「一人で引き受ける」との発言があった無かったの論争や
木戸幸一日記の8月29日の項に

戦争責任者を連合国に引渡すは真に苦痛にして忍び難きところなるが、自分が一人引き受けて退位でもして納める訳には行かないだろうかとの思し召しあり。聖慮の宏大なる誠に難有極みなるも、……その結果民主的国家組織等の論を呼起すの虞れもあり、是は充分慎重に相手方の出方も見て御考究遊るゝ要あるべしと奉答す。


(「民主的国家組織」とは皇室廃止・共和制のこと)
木戸内大臣には拒否されている訳だが、現場将兵らへの通達でははっきりと「引き受ける」との明言があったのではないだろうか。
大和田少将が涙ながらに知らせたというのだから。

8月15日直後の混乱の只中でこういう出来事があったということを、マスコミは調査したり報道したりしない。
日本人なら誰もが知っておくべき事の1つと思います。

55_20131129212809206.jpg
「蛟竜」を背に特攻艇隊員の方達









ぽちっとよろしくお願いいたします

人気ブログランキングへ

ユダヤ系にもリベラルと保守(反日・親日)が存在するらしい

この記事はブロとも、もしくはパスワードを知っている方のみ閲覧できます
パスワード入力
ブロとも申請

日本の近代史が丸ごと逆さまにひっくり返るファンタジー歴史(戯れに)

この記事はブロとも、もしくはパスワードを知っている方のみ閲覧できます
パスワード入力
ブロとも申請

被爆動員学徒慰霊慈母観音像

この記事はブロとも、もしくはパスワードを知っている方のみ閲覧できます
パスワード入力
ブロとも申請

暑い時には猫は裏返る・伸びる

この記事はブロとも、もしくはパスワードを知っている方のみ閲覧できます
パスワード入力
ブロとも申請

「戦争」にまつわる天才的ペテン記事

この記事はブロとも、もしくはパスワードを知っている方のみ閲覧できます
パスワード入力
ブロとも申請

| ホーム |


 ホーム 


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。