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左派にあらざればインテリにあらずーー「革新幻想の戦後史」

革新幻想の戦後史革新幻想の戦後史
(2011/10/22)
竹内 洋

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内容紹介:
左翼的でなければ相手にしてもらえない雰囲気は、戦後、どのように形成され変質したのか。渦中を見てきた社会学者が自分史として綴る
戦後社会では、さまざまな空間を革新勢力が席捲していった。しかしそうした雰囲気は、多分に焚きつけられ、煽られたものであった。誰が、どのように時代の気分を誘導したのだろうか。また、それはどのように、その後のねじれた結果をもたらしたのか。膨大な文献資料から聴き取り調査までを駆使し、今につながるその全貌に迫る。


帯に書かれてある言葉
左派にあらざればインテリにあらず、という空気はどのように醸されたのか

左派にあらざれば「インテリ」にあらず。インテリ部分を「ジャーナリスト」「法曹界」「芸能人・映画人」に入れ替えても何でもいけそうです。

著者竹内洋が1960年代に京都大学教育学部から大学院教育研究科にあって、大学紛争など自分の体験に絡めて上の「空気」がどう生まれていったかを詳細に解いていく。
500頁強あって、戦前~戦後の学者やジャーナリストの名が大量に出てくる!
読むのがちょっと大変!ではあるが、飛ばし読みしても内容を捉えることが出来る。

目次だけ抜き出してみます。

怨恨共同体と無念共同体
 1、三島由紀夫が描いた都知事選
 2、北一輝の弟
 3、有田八郎と北昤吉

『世界』の時代
 1、民主社会党と雑誌『自由』の不運
 2、どれだけ読まれていたか
 3、『世界』のアップアンドダウン
 4、小春日和

進歩的教育学者たち
 1、牙城・東大教育学部
 2、教育社会学者との確執
 3、どこかおかしい教育学
 4、知識人の野望と教育学支配

旭丘中学校事件
 1、北小路敏
 2、「おい!おっさん、早く書かんか」
 3、皇国少年と平和・民主少年
 
福田恆存の論文と戯曲の波紋
 1、福田恆存と清水幾太郎
 2、「解ってたまるか!」
 3、進歩的文化人をめぐる攻防

小田実・べ平連・全共闘
 1、颯爽たるデビュー
 2、小田実とべ平連
 3、歴史の中で見る全共闘

知識人界の変容
 1、大学解体論と大学教授叩き
 2、知識人概念の拡散
 3、保守系オピニオン誌の台頭

革新幻想の帰趨
 1、石坂洋次郎の時代
 2、草の根革新幻想
 3、大衆モダニズムの帰結


終章から少し抜粋してみます。

こうして自分の道徳的・知的資産は十分と思う「慢心しきったおぼっちゃま」というオルテガの言う大衆人そのものが前景化した。大衆人は、自分が凡俗であるのを知りつつ「敢然と凡俗であることの権利を主張し、それをあらゆる所で押し通そうとする」(「大衆の反逆」)
オルテガはこうも言う。大衆は「喫茶店の会話から得られた結論を実社会に強制する」。ワイドショーのコメンテイターの紋切型発言をなぞって社会問題や政治問題に一家言をもち、しゃしゃり出る大衆人を予期していたかのように。大衆人は、ニーチェの言う「畜群」(衆愚)へあと一歩の距離にある。「畜群」は、隣人と同じ振る舞いを目指し、すべて高貴なものを引きずりおろそうとする。



日本社会においても大衆の誕生以来こうした大衆人性は伏在してきたが、これまで大きく露出することは少なかった。伏在していたものが露出するにいたったのである。
このような大衆人は、革新知識人が自らの覇権の援軍として、啓蒙し創出しようとした大衆の鬼子(大衆エゴイズム)でもあった。
大衆の対概念であるエリートも知識人も溶解し、大衆は実定性を喪失してはいる。大衆は実定性を喪失することにより、これまで以上に猛威をふるっている。



かくて人々は街中でテレビカメラを向けられると、期待された答え、適切な答えを返すテレビのコメンテイターの発言が陳腐なのは、幻想としての大衆を想定した無難コードの無形圧力に依っているからである。
テレビカメラこそが「想像された」大衆なのである。
いまの日本は幻像としての大衆からの監視による「大衆幻想国家」である




上手く言ってくれるもんですね~。
(100%まんま受け取るという訳ではないですが)
先日書いた芸能人の山崎まさよしや「反体制」やっているつもりの芸能人の顔が浮かんできます。

カメラを向けられ「期待された答えを出す」のは、そういう人しか番組で流さず都合の悪いのはカットするからでしょうねえ。
コメンテイターが陳腐なのは陳腐な人しか出さない局側の都合でしょう。

残念なのは「衆愚」と断罪するように書いているだけでなく、そこをもうちょっと突っ込んで欲しかった。
本物の大衆はまだどこかに居るんじゃないですかと言いたくなる。
まあだからこそ幻像=幻の大衆像、と言ってるわけか。
実際色んな方面でクレイマーやモンスターが出てきてるのは現実なので、著者がここまで言うのも無理ないかとも思う。
個人的には(良い意味での)「諦観」や「分相応」の言葉と理念がどこかへ消えて(隠されて?)しまっているように感じている。





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