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「韃靼」とは何なのか

最近「韃靼」(だったん)に嵌っている。
まず韃靼という字面の魅力、それから歴史地政学的に掴みどころの無さにそこはかとないロマンを感じるのであります。

知識も理屈も抜きにロマンに浸ってみるなら、やはり『韃靼人の踊り』です。
ロシアの作曲家アレクサンドル・ボロディンが作曲したオペラ『イーゴリ公』の第2幕の曲。

原題はPolovtsian Dances、「ポロヴェツ人の踊り」、ポロヴェツ人がなぜタタール人(韃靼人)なのかは
キプチャク をクリックどうぞ。(このページにある地図を見ると分かりやすいです、現在のウクライナ~○○スタンと名の付く国々の辺りと分かる)

このオペラ曲を現代音楽風に綺麗に歌っている動画があるのでご紹介を。
ナターシャ・モロゾヴァという日本では殆ど知られていない女性歌手。
↓幻想的で美しいです。ライブ動画を見てもナターシャさんはエキゾチックで美しい人です。

Prince Igor - Natasha Morozova





さて、その韃靼(=タタール人)とは一体何なのか。

コトバンクに拠ると
本来はモンゴリア東部に居住したモンゴル系の遊牧部族タタールを指した中国側の呼称。タタール部は11~12世紀においてモンゴリアでは最も有力な集団の一つであり,またモンゴル族の中でも多数を占めていたという。このため宋人はタタール部を韃靼と呼んだが,それは拡大してモンゴリア全体を指す呼称としても用いられた。12世紀末~13世紀初め,モンゴル部にチンギス・ハーンが出現し,モンゴル帝国が出現するに及んでタタール部の力は衰えた。

とあって単純に書かれてあるので分かりやすいがwikiによると上記の説明は正確ではない。

中華思想を持ついわゆる大陸の中原を支配した民族、特に漢族は周辺諸国民族を蛮族と決めつけ蔑称で呼び、歴史上その名称しか残っていない場合も多いが、韃靼に関してはそれには該当しないようだ。
テュルク系突厥が周辺諸部族を呼んだ呼称を中国がそのまま取り入れ歴史書に記したとある。

タタール wikiクリックどうぞ

タタール(タタール語: Татарлар, Tatarlar、タタルとも)は、北アジアのモンゴル高原から東ヨーロッパのリトアニアにかけての幅広い地域にかけて活動したモンゴル系、テュルク系、ツングース系の様々な民族を指す語として様々な人々によって用いられてきた民族名称である。
タタールと呼ばれる人々の実態は多様であり、その名が用いられる時代と場所によって指し示す民族は異なる。
現在では、ロシア連邦内のヴォルガ川中流にあるタタールスタン共和国に住むヴォルガ・タタール人(カザン・タタール人)、ウクライナ領のクリミア自治共和国に住むクリミア・タタール人、ベラルーシ、リトアニアおよびポーランドに住むリプカ・タタール人などが自称の民族名としてタタールを称する。中国の少数民族のひとつタタール族(塔塔尔族 拼音: tătăĕrzú )は、中国領に住むヴォルガ・タタール人のことである。

タタル(Tatar)という語は、テュルク系遊牧国家である突厥(とっけつ)がモンゴル高原の東北で遊牧していた諸部族を総称して呼んだ他称であり、テュルク語で「他の人々」を意味する[1]。その最古の使用例は突厥文字で記した碑文(突厥碑文)においてであり、「三十姓タタル(オトゥズ・タタル、Otuz Tatar)」や、「九姓タタル(トクズ・タタル、Toquz Tatar)」という集団が登場する。このうちの三十姓タタルは中国史書に記されている室韋(しつい)に比定されている。まもなく中国側もテュルク語のタタルを取り入れ、『新五代史』や『遼史』において「達靼」,「達旦」などと表記したが、これは他称ではなく、彼らの自称であるという。



複雑です、地図を見ながらでも分かり難い・・
モンゴルは分かるとして、ウクライナ~ポーランドも、タタール系であると言えるのか。

以前記事に挙げたこともある↓この本で扱われている地域と通じるものが感じられる。

帝国陸軍 見果てぬ「防共回廊」帝国陸軍 見果てぬ「防共回廊」
(2010/03/16)
関岡英之

商品詳細を見る


内容紹介
「防共回廊」とは、旧帝国陸軍が極秘で推進していた世界戦略。満州、モンゴル、ウィグルの独立運動を支援することで「反共・親日国家群」をユーラシア大陸に林立させ、ソ連共産主義勢力の南下を遮断、東アジアの赤化を阻止して日本の國體の安寧を図るという壮大な計画だった。
日本の敗戦により頓挫するが、本書はこの構想に関わった林銑十郎大将(元首相)、板垣征四郎大将らの軍人や、歴史に埋もれた外交官、諜報員、現地関係者などの事跡を発掘し、戦前日本の世界戦略を再現する。



この本に出てくる地域をさらに西に延ばせば前述の「韃靼人の踊り」=キプチャクへ行き当たる。
ウィグルの更に西へ西へと伸ばせばハンガリー、トルコなど「ツラン同盟」と言われた地域とも関連してくる。
かつての欧米列強、ソ連、中国とも違う大陸広大な地域に伸びる「忘れられた民族同盟」と言えるだろうか。
現在でも非キリスト教圏であるとして西欧から蔑視されがちな地域だ。
戦前の日本はこれら諸国とも繋がろうとしていた節もある。


とにかくこの地域の歴史、全体像を掴むのは難しい。
現実はロマンではないし、現在ウィグルを初め情勢が複雑な地域でもある。
(チベット、ウィグル=東トルキスタンに独立を!)


追記:
中央アジアを中心に東欧~アジアに広がっていた韃靼人は現在では日本には縁が無いような印象もあると思うが、実は戦前はロシア・ソ連施政下にあった一部韃靼人=タタール民族の存亡に関わる程の関係を日本は持っていた
特に満州国において日本の要人と深く関わっていた。
↓詳しくはこれを。

戦前の東アジアにおけるテュルク・タタール (pdf資料)

日本とテュルク系(テュルク=トルコ、トルキスタン)やタタール系との繋がりは、まるで無かったかのように戦後忘れ去られたものの一つだろう。



そしてまた追加。
多様な民族を指す韃靼人=タタール人とは↓こんな人達。
モンゴロイド、コーカソイド、ありとあらゆる民族が混ざっているのがよく分かる動画です。






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