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「熊から王へ」


「熊から王へ」 中沢新一

熊から王へ カイエ・ソバージュ(2) (講談社選書メチエ)熊から王へ カイエ・ソバージュ(2) (講談社選書メチエ)
(2002/06/10)
中沢 新一

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実は私は
中沢新一、藤原新也、島田祐巳 の3人がごっちゃになる。
「西蔵放浪」はさて誰だった?とか。
島田だけはちょこっと顔思い出せる。

共通点が宗教、神秘思想系、チベットとあるからなのと
この3人はオウム真理教絡みで取り沙汰される事が多い。
擁護してみたり叩かれたら批判してみたり。
中沢の著書を読んで入信した人が少なからず居たというのはあったから一番強烈な人か。

下は解説文
=====
米同時多発テロと神話学――。この2つが根本のところでかかわっていると聞けば、異様な感じを受ける向きも多いだろう。だが、テロであれその報復であれ、すべての「野蛮」は神話的価値観の終焉がもたらしたといえるのだ。
本書は「超越的なもの」について、太古から人類が巡らせてきた思索を追うシリーズの第2巻。原初の共同体が崩壊し、王と国が生まれるまでを考察する。

無差別に動物を殺戮することなどありえず、生きるために殺しはしても、骨や毛皮は敬意をもって扱われた。人と自然が相互に往き来できる世界、いわば「対称性の社会」なのだ。こうした世界では、「権力」は本来、自然が持つものであり、社会の外にあった。人間のリーダーである「首長」は、交渉や調停といった「文化」の原理で集団を導く者だったのだ。だが、この「権力」が共同体内部に持ち込まれたとき、人間と自然は隔絶し、首長は王となって、国が生まれた。「権力」を取り込むことで成立した「国」は、人や自然を一方的に支配しようとする宿命を持つ。ゆえに国家というものは本質的に野蛮をはらんでいるのだ、と著者は言う。
=====

原始共産主義というかアナーキズムというのか。
結局ヒッピーやカルトのコミューンを一定の価値あるものとする方向へ向いている。
文明と「対称性ある社会」との妥協点・解決策としての仏教の解説はちょっと納得してしまうが。
(本来の教義から逸れて利権化することがあっても)仏教主体の国を思い起こすと、チベット、ミャンマー、タイ、スリランカ、まあ日本も入るか、強烈なイデオロギーに偏った「野蛮」が薄い気もする。
ミャンマー軍事政権を野蛮だと言う人はアウンサン・スー・チーの側の野蛮性を知らない。
スリランカも内紛様々あるし、タイも中国勢力が入って面倒な事になっているが、根本的な所で「対称性」というものが担保されてるような気がしないでもない。

ただ勝手解釈によっては危険極まりない方向へ向かう。
チベット仏教やダライ・ラマは色んな勢力に付け込まれて利用されがちだし。

人が集団で事を起こす時にどこか良心に引っかかって疚しい気持ちになる時、イデオロギーや教義や大義あるいは神話化・物語化したりするのが常だ。
原始社会やコミューンは神話化しているだけ、文明社会はイデオロギー化しているだけ、で根本はそんなに違いは無い。
どっちが善だ悪だというより人間そこから離れらないものだ、くらいでいいんじゃないのか。
「国家」を否定して原始コミューンだけを必死で擁護されても何かしっくり来ない。
南米へ行ってヤノマミに入れてもらうか自らヤ○○○へでも入るしかないな。




28.jpg
 にゃんこ社会もいろいろ大変やで~



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