プロフィール

紺屋の鼠

Author:紺屋の鼠
近代史・政治・社会情勢
読んだ本あれこれ
古いものが主の映画・音楽

(記事への拍手をありがとうございます。
共感していただいて嬉しく励みになります)

フリーエリア

にほんブログ村ランキングに参加してみました。 プチッとよろしくお願いします。

最新記事

最新コメント

月別アーカイブ

カテゴリ

FC2カウンター

リンク

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

「憂悶の祖国防衛賦」--これもまた予言書のよう

先日「まるで予言書」として↓この本を挙げました。
敗戦後遺症シンドローム

これが1983年発行で、そして今日挙げる本もまるで予言書と思わずにおれない本。
1980年発行。

三島由紀夫・憂悶の祖国防衛賦―市ケ谷決起への道程と真相 (1980年)三島由紀夫・憂悶の祖国防衛賦―市ケ谷決起への道程と真相 (1980年)
(1980/06)
山本 舜勝

商品詳細を見る


著者の山本はこんな人。(ここを読んで下さっている方々には言わずとしれた、ですが)
山本舜勝 wiki

「著者のことば」としてカバーに書かれてある文。

本書を書き進めている間中、私は何度も筆をおかねばならなかった。それは決起の挫折の悲しみ、などでは勿論なかった。
三島氏ほどの人物が、間接侵略の脅威をしっかりと見据え、日本人として持つべき祖国防衛の責務を基本的権利として受け止め、堂々と民間防衛構想を創り上げ、それをひっさげて檜舞台に登場しようとして果たさず、雄図空しく潰えたこと、それが悲しいのである。
民間防衛問題は、日本の防衛を考える場合、避けては通れぬ問題であるが、同時に日本の近代史をもう一度乗り越えたところで、防衛世論上の決定的対立を克服しなければならないという、二重三重の難事なのであり、これに挑戦した三島氏の自刃は、まさに悲壮というほかない。

だが情勢はこの三島氏の心を知る事さえも拒否し、氏の自刃を狂気と呼ぶほどに氏から遠ざかってしまっていた。
だがしかし、この距離に挑むことの出来る者は、やはり三島氏をおいて他にはなく、であるとすれば三島氏の生まれ変わりを望むしか(そんな不可能事に期待するしか)道はないのか。
私にはそれが悲しいのだ。
私に残された責務は、だから氏の心を日本人に訴えることなのだ。  



34年前書かれたものなのにまるでここ数年、民主党政権時代に書かれていてもおかしくない文章です。
山本氏の先見の明よりさらに先を見通していたのが三島ということでしょうか。

さてここで書かれている「三島由紀夫の『民間防衛構想』」とは何だったのか。

始まりは1960年第一次安保闘争の翌年出された『憂国』であり、ここから三島の言論活動による国の尊厳回復が始まった。
それが具体化してきたのが1970年第二次安保改定を前にした頃のようだ。
(本書から引用)

当時の世界情勢は、次第に米中戦争の危険性を高めており、中国の動きいかんによっては、第二次安保改定へ向けての闘争が、中国の戦略の中に組み込まれ、日本国内に重大な事態を引き起こす恐れすら大きくなっていた。(中略)
自衛隊の治安出動を必要とする時期は(略)国家権力と反権力集団の力の対決という様相を呈する時であろう。
そのような対決の中へ出動すれば、必ず共産勢力の心理戦略にひっかかり、政治的致命傷を受けることを覚悟しなければならない。(略)
重要なことは、日米安保条約に反対する広汎な民衆が、自衛隊を敵とするような宣伝に引きずり込まれないようにすることであり、支持する民衆に対して、武装集団である自衛隊がその信頼を裏切らないようにしなければならない。



以下は本書に書かれた三島自身に拠る「祖国防衛隊はなぜ必要か」計画書からの引用

共産勢力の自由諸国に対する思想戦、宣伝戦の働きかけは千変万化であり、(略)言論活動からデモンストレーション、経済的ストライキから政治的ストライキ、さらには密輸あるいは横流しの武器による武装蜂起への転化と(略)

これに応戦する立場としても、単に自衛隊の武力ばかりでなく、共産勢力の戦術に対し、あるいは言論戦であるいは行動により、その相手の変化に応じた戦術を準備するのが賢明である。
最後の拠り所は、外敵の思想的影響、侵略を受け入れぬ強固な国民精神である。さらには民族主義の仮面で巧妙に偽装したインターナショナリズムに騙されない知的見識と、有事即応の不退転の決意を持つことでなければならない。
不退転の決意とは何か?
即ち国民自らが、一朝時あれば剣を執って国の歴史と伝統を守らんとする決意であり気魄である。

そのための一定の訓練体験なしにはーー



三島が自決数年前にこれを書いた1960年代、そこから10年も経たないうちに田中角栄らによる日中国交正常化でパンダパンダと浮かれる事になった日本・・・
日本人全員という訳ではないだろうが、マスコミがパンダだの4000年の歴史中国だので煽ったのは確かだ。

私個人の記憶で言うと、教師や家族らは一様に「角栄がマズイことをやりおって」という空気がありました。
保守的な田舎の中では進歩的サヨク思想が蔓延することが無かったからでしょうか。
国交回復成っても中国は相変わらず「中共」と呼ぶ人が多く、台湾を捨てた浅はかさを言う教師もいた。
自称進歩エリートや日教組の居ない田舎というのは面白いもので、私などは知らない間に以下のものがカルト(という言葉は無かったけれど)のように自然思っていたーーー日教組、「中共」、文化大革命、北朝鮮・・・
あまり保守的なので私などアマノジャクは高校時代それに反する方向へ行きそうになりましたわ中国を好きになるなどは一回も無かったけれど。

自分のことはこれくらいにして。
本書から垣間見える三島の憂悶と山本の悲嘆・・70年代80年代以降益々、日本・日本人は腑抜けの如くになっていったのではないでしょうか。(人の事は言えません、自分もその一部)
三島は中国の膨張主義をこの頃から見抜いていた。
宣伝戦にいたるまで、まるで今現在を予見していたとしか思えない。

(当時の情勢で防共は安保の基本ではあったが、もっと広い視野からの危機意識の意味で予見的だなと)

とは言え自分みたいな凡人から一言言わせていただくとーー
三島の憂国は正にその通りだけれど、やはり凡人に取って三島は「超絶頭のいい人、自分らとはちょっと次元が違う人」と見えて縁の無い世界と思えてしまったんじゃないかと。当時特に、思想書や政治本を読むこともない田舎の素朴庶民に取っては全く違う世界の人に見えたかも知れない。
「民間防衛」を共感してもらうにはもっとソフト路線が良かったのかもと思わなくもないです。

さて山本氏が書くように「三島の生まれ変わり」が出て来るのかどうか。
一個人として出て来るのか、あるいは不特定多数が寄って遺志を受け継ぐ形になるのか・・





関連記事

<< 三島由紀夫とその対極にいるNYT邦人記者 | ホーム | 動かずにいた事がどうしても解せないー韓国客船事故 >>


コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

 ホーム 


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。