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「アンブロークン」原作・日本側協力者 (2)

「Unbroken」原作には主人公ルイス・ザンペリーニの動向とは全く別に大戦時の日本軍についての解説が随所に挿入されている。 
日本軍=残虐説の中でも最悪なくらいに残忍非道であったと説明されている。
問題になった「カニバリズム 食人」はその一部で、他にも様々な残忍伝説が。

以下にその類の部分を抜粋しておりますが、抜粋部分の下の囲みは原作が参考資料として巻末に出しているもの。
Yuki Tanaka の名が頻出しています。
「アンブロークン」に書かれている日本軍残忍説の殆どがYuki Tanaka = 田中利幸 の論文・著書からの引用と考えていいと思います。
何度も取り上げているこれもその一つ。

知られざる戦争犯罪―日本軍はオーストラリア人に何をしたか知られざる戦争犯罪―日本軍はオーストラリア人に何をしたか
(1993/12)
田中 利幸

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以下原作から抜粋して見ていきます。
(他にもあり。太字の日本語訳は私自身で)



32章
Thousands of other POWs were beaten, burned, stabbed, or clubbed to death, shot, beheaded, killed during medical experiments, or eaten alive in ritual acts of cannibalism. And as a result of being fed grossly inadequate and befouled food and water, thousands more died of starvation and easily preventable diseases. Of the 2,500 POWs at Borneo’s Sandakan camp, only 6, all escapees, made it to September 1945 alive. Left out of the numbing statistics are untold numbers of men who were captured and killed on the spot or dragged to places like Kwajalein, to be murdered without the world ever learning their fate.

それ以外にも何千という戦争捕虜が、殴打され、焼殺、刺殺、撲殺、銃殺され、首を切り落とされ、医学生体実験で殺され、食人儀式として生きたまま食われた。
与えられる食糧は著しく不足し、水と食べ物は汚染されており、その結果数千人が飢餓や、容易に避けられるはずの病気で死んでいった。
ボルネオ島・サンダカン収容所では2500人居た捕虜のうち1945年9月まで生き延びたのはたった6人だった。その6人は皆脱走した者達だ。
捕えられて直ぐに、あるいはクェゼリンのような場所に連行されて殺された人の数は、膨大な統計上の戦没者数の中にさえ入っていない。
その場所で捕虜達がどんな運命を辿るか世界に全く知られる事もなく殺されていた。




32章 
15
Some 132,000 Allied POWs: Tanaka, p. 70; Brian MacArthur,
Surviving the Sword: Prisoners of the Japanese in the Far East, 1942–45
(New York: Random House, 2005), p. xxvi.
16
Nearly 36,000 Allied POWs die: Tanaka, p. 70.
18
More than 215,000 other POWs: Tanaka, p. 2.
21
Medical experiments: Tanaka, pp. 135–65; Gary K. Reynolds,
23
Sandakan: Tanaka, pp. 11–43.


↓これが「カニバリズム」の引用元

22
Cannibalism: James, p. 259; Tanaka, pp. 111–34;
“Claim Japs Practiced Cannibalism,”
Hammond Times, September 16, 1945;
“Jap Soldiers Eat Flesh of U.S. Prisoners, Australia Discloses,”Abilene Reporter-News September 10, 1945.



上記『日本兵が米兵を喰ったとオーストラリアが暴露した』 1945年9月10日付け記事
オーストラリア軍 カニバリズム - コピー  クリックで拡大







8章

Of all of the horrors facing downed men, the one outcome that they feared most was capture by the Japanese. The roots of the men’s fear lay in an event that occurred in 1937, in the early months of Japan’s invasion of China. The Japanese military surrounded the city of Nanking, stranding more than half a million civilians and 90,000 Chinese soldiers. The soldiers surrendered and, assured of their safety, submitted to being bound. Japanese officers then issued a written order: ALL PRISONERS OF WAR ARE TO BE EXECUTED.

日本軍は南京市を包囲し、50万人以上の市民と9万人の中国兵が動けない状態になった。中国兵らは降伏し、命の保障はするというので捕縛を承諾した。だが日本軍将官が出した命令書は『捕虜は全員処刑すること』であった。



What followed was a six-week frenzy of killing that defies articulation. Masses of POWs were beheaded, machine-gunned, bayoneted, and burned alive. The Japanese turned on civilians, engaging in killing contests, raping tens of thousands of people, mutilating and crucifying them, and provoking dogs to maul them. Japanese soldiers took pictures of themselves posing alongside hacked-up bodies, severed heads, and women strapped down for rape. The Japanese press ran tallies of the killing contests as if they were baseball scores, praising the heroism of the contestants. Historians estimate that the Japanese military murdered between 200,000 and 430,000 Chinese, including the 90,000 POWs, in what became known as the Rape of Nanking.

その後は6週間に渡って殺戮の狂乱であった。膨大な数の捕虜が斬首され、銃殺され、銃剣で刺され、生きたまま火を付けられた。
日本人の刃は民間人にも向かい、殺戮競争、何万人もを強姦、手足を切断したり磔に打ち付けもし、犬をけしかけ襲わせたりした。
切り刻まれた死体や頭部、強姦のために吊り下げられた女性達、、、日本兵はそれらの横に並んで写真を撮った。
日本の報道陣は野球得点のように殺戮コンテストの集計を取り、競争する兵士らの英雄ぶりを称賛した。
日本軍部隊が虐殺した中国人は20万人から43万人であろうと歴史家は見積もっているが、そこには9万人の捕虜兵士も含んでおり、後に「レイプオブ南京」として知られるようになった。




Every American airman knew about Nanking, and since then, Japan had only reinforced the precedent. Among the men of Louie’s squadron, there was a rumor circulating about the atoll of Kwajalein, in the Marshall Islands, a Japanese territory. On Kwajalein, the rumor said, POWs were murdered. The men called it “Execution Island.” It is testament to the reputation of the Japanese that of all the men in one fatally damaged B-24 falling over Japanese forces, only one chose to bail out. The rest were so afraid of capture that they chose to die in the crash.

(ここで南京「虐殺」の話から南方でのザンペリーニの話題に繋げている)

アメリカ軍航空兵はみな南京の事を知っており、日本はその先例を強化していくばかりだった。ルイ・ザンペリーニの部隊の間では、日本が占領しているマーシャル諸島クェゼリン環礁について、ある噂が広まっていた。
クェゼリンで捕虜が虐殺されているという噂だ。ルイらはそこを「処刑島」と呼んだ。
損傷を受け日本軍側に墜落したあるB24の場合、搭乗員のうち脱出を選んだのは一人だけだった。そうしたのは日本人の悪評のためである。他の者達は捕らえられるのを非常に恐れ、墜落死となる方を選んでしまった。


(南京関係もYuki Tanakaと「レイプオブ南京」からとなっている
「Hidden Horrors」とは上記、田中利幸著「知られざる戦争犯罪」の英語版)

28
Rape of Nanking: Chang, pp. 4–104; Yuki Tanaka,
Hidden Horrors: Japanese War Crimes in World War II
(Boulder: Westview, 1996), p. 80.





(Yuki Tanakaについて続きがありますが一旦切ります)








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