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巣鴨プリズンの教誨師について

巣鴨プリズン13号鉄扉 裁かれた戦争犯罪巣鴨プリズン13号鉄扉 裁かれた戦争犯罪
(2004/07/01)
上坂 冬子

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巣鴨プリズン関係を読んでいて、特に上記の本を読んでずっと引っかかっている事がある。
以前の記事 ここ にも色々書いたが今日は「戦犯」扱いとなった人達とは違う所へ視点を移してみる。

引っかかっている事とはプリズン専任だった教誨師お2人の事だ。

花山信勝師(はなやま しんしょう)ー浄土真宗本願寺派、仏教学者明治30年(1898年)12月3日 - 平成7年(1995年)3月20日)
昭和21年(1946年)2月から志願により巣鴨拘置所の教誨師となり、東條英機ら七人のA級戦犯の処刑に立ち会う。

田嶋隆純師(たじま りゅうじゅん)-真言宗
1892-1957 大正-昭和時代の僧,仏教学者。花山師の後任としてプリズン専属教誨師。
明治25年1月9日生まれ。真言宗。豊山大(現大正大)で河口慧海(えかい)にチベット語をまなぶ。昭和3年大正大教授となり,6年ソルボンヌ大に留学。24年巣鴨拘置所の教誨師(きょうかいし)となり,戦犯の助命運動につくした。昭和32年7月24日死去。65歳。栃木県出身。号は雪渓。著作に「蔵漢対訳大日経住心品」など。

花山師はwikipediaに項目が作られているし、プリズン関係の著書も広く知られているが
田嶋師はwikiには出ておらず、著書「わがいのち果てる日に」は1953年発行された後再版も無く絶版のまま。

平和の発見―巣鴨の生と死の記録平和の発見―巣鴨の生と死の記録
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平和の発見―巣鴨の生と死の記録 (1949年)平和の発見―巣鴨の生と死の記録 (1949年)
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わがいのち果てる日に (1953年)わがいのち果てる日に (1953年)
(1953)
田嶋 隆純

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↑この田嶋師の著書は今は古書でしか手に入らない。古書店でも殆ど見つけられない。
(処刑された人達の遺書を収録したものらしく、「わがいのち」とは田嶋師自身ではなく「処刑」殉難者の人達の事だと思われる。)
一言で言うと花山師はその活動が華やかであり、田嶋師はひっそりとしている

しかしプリズンで収容者たちに「巣鴨の父」として慕われていたのは田嶋師の方なのだ。

上坂氏著書「13号鉄扉ーー」の中に出てくるお二人の動向を要約して書き出してみる。

花山師
・処刑一号となった由利敬中尉のご遺体を見て「こんなにたくさんの木綿の布をよくもまあ惜しげもなく、と私は眺めたのを覚えとります」
(著者の上坂は、不遜に聞こえるが物資不足=持たざる国を髣髴とさせる、と無理やり擁護している感あり)
・福原勲大尉が自殺未遂を起こした後、監視が厳しくなるが「この事件を機に彼は仏道に精進し、絞首台に上がるときには完全に悟りの境地にあった」
(自分が仏道を説いてやったからその境地を得られた、とでも言いたいのか。あるいは本願こそが悟りへ導くとしたいのか。「悟り」が本当にあったのか、どうも短絡的に思えてならない。
そして何より無実の罪を押し付けられた人間が、なぜ処刑に対する悟りを得なければならないと言うのか疑問)
・A級戦犯7人の処刑を見取った後、退職しハワイへ。
(布教活動のためとは言え、オキラク感が否めない。宗教者とは言え人間の極限状況に付き合う日々はストレスだろうが志願して教誨師になったのではないのか)

田嶋師
・師の発願により昭和28年池袋・護国寺境内に「身代わり地蔵尊」が建てられた。
宗教講和よりも一人でも多くの減刑をとの点に終始し、そのために献身した
実際にGHQ側裁判官さえ動かし減刑嘆願書に多くが署名した。
・禁じられていた戦犯の遺書を外に持ち出した。「真の正直とは人間の情を何よりも優先すること(と思い至って盗み出した)」「(盗んだ)罪を負うまいという自分を捨てて無になろうと自分に言い聞かせたりもしました」

総じて見ると
花山師は上から目線、田嶋師は共に苦しみ寄り添う
この違いは個人的な資質に拠るものか、あるいは宗教教義的な違いなのか、判断は出来ない。
が、花山師の属する本願寺の戦後の動きを考えると宗派団体そのものの体質が現れている気がしないでもない。

親鸞の「善人なほもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」。
「悪人」は衆生みなというのでなかったのか。
理不尽な裁判に拠って「罪人」とされた人達を、元から悪人の上に悪行を犯した人と見做した面は無かったと言えるのか、そして自らも悪人と見なした人達を救済へ導いてやるという(上から目線の)意図があったとしたら、いったい教誨師とは何なんだ。


ここ最近「ヘイトスピーチ」のデモをやっているとマスコミに否定的に書かれ、先日メンバーが逮捕までされてしまったという在特会、彼らは本願寺関係にまで抗議活動をしている。(東・西、両方?)
(小心者の私はここに貼る勇気が無いので「在特 本願寺」でyoutube内を検索して下さい)
在特会は言葉が荒くその点では共感できないが、ここまで突っ込んで偽善欺瞞を糾弾する勇気にだけは敬服する。




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コメント

私も・・・・

私も勇気がありませんの。

最も短い言葉で言おうとするならば、あの人たちも中国や韓国だったら「愛国無罪」だったのにね。ほんじゃ。

おはようございます

彼らがあのような行動に走った背景が、なんにも取り上げられてない。
批判するだけのマスコミは、報道の本質を放棄している。

>うさぎ屋さん

ザイトクカイの人達の激しさには驚きますが、記事に載せた本願寺や企業への訴えは糾弾ではあっても、汚い言葉はそんなに使ってませんね。(それとも私が慣れちゃったのかな??)
最初何らか裏の企みでもあるのか疑ってたんですが、本願寺へ押しかけてる動画見てなぜか、ああこれは本物かなと感じた次第です。
でもまあ日本は「愛国無罪」でない所がいいんだとは思いますi-179



>イーグルスさん

全く同感です。
差別差別とさえ言ってりゃいいと思ってる。
ジャーナリストと呼ばれる人達の(表に出てくる)大半は、取材も検証もしてそうには到底見えません。
もう最近はテレビの報道番組見てたら、なーに言ってやがる!とボヤキおばさんに成り果てていますi-229

鋭い!

おじゃまします。
鋭いところを書いていますね。この視点はとても興味深い、イチロー並みのクリーンヒット。なのに、コメント二つが、付け足しの在特会の話に集中、かなり残念。
花山師と田嶋師との分析対比解釈は鋭く新鮮。有名な花山氏のほうに注目しました。結局かれはGHQ側、何故なら日本がそちらの側だから。東京裁判もGHQに押し切られたというより、日米合作。日本国憲法も押し付けられてばかりではなく、価値を認め積極的に受け入れようとする意思があったのは、見え見え。手遅れとは言え、日本国憲法はやり直しが利くけれど、東京裁判はやり直しの可能性はない、あの裁判を否定させまいとしているのは、日本の保守だと思います。軍閥などという実体のない造語で、帝国軍人を死に追いやって「あたらしい日本だ」「新しい憲法だ」「平和の国だ」と、嘘と欺瞞で戦後が始まっている。でなければ、自虐史観なんて、とっくに吹き飛んでいる筈。一言で言うと、花山氏のようなお人柄が当時の日本の姿そのもの、象徴、だと思います。
ちょっとわかりにくい文章になってしまいましたが、わかりにくいように書いています。すぐに理解されるのが目的で書いているわけでもないので。ごめんなさい。

>ブリュッセルさん

こんばんは。
宗教団体の名を出してしまったので、まあ宗教絡みの話題は微妙でもありますし・・。

吉田茂は戦中は米側スパイ容疑で監視対象だったらしいですね。
日本全体としては戦争(敗戦)後遺症と言うのでしょうか、1億総虐殺されないだけマシくらいに受け入れてしまった面はあるように思います。あるいは共産化しないだけマシと。
花山師は布教の権化みたいなものだったのかと感じます。後遺症の波に乗っかった上にそれを利用して布教=戦中の蒼々たる重鎮らを救済してやったぞ、みたいな。一般庶民は食糧獲得だけで手一杯で裁判どころじゃなかったでしょうし。

せめて佐藤→角栄に代わる前に欺瞞打破をやるべきでした。ちょうど三島由紀夫が自決した前後です。
角栄は列島大改造で評価されてるようですが、私は角栄からが悪夢だったと思います。
「憲法改正の歌」で
この憲法のある限り 無条件降伏つづくなり
マック憲法守れるは マ元帥の下僕なり
祖国の運命拓く者 興国の意気挙げなばや
と書いた中曽根でさえ、中国に嵌められてしまいました。

>あの裁判を否定させまいとしているのは、日本の保守だと思います。

安倍さんでさえ無理でしょうかねえ。
とにかく憲法改正を実現して僅かづつでも進めてくれたらいいんですが。


追記です

「重鎮を救済」というのはもちろん裁判から救済の意味でなく、処刑され行く魂の救済を(自称)してやったぞ、っていうのですね。

理解しています

あなたの文章で、一番共感したのは
ーそして何より無実の罪を押し付けられた人間が、なぜ処刑に対する悟りを得なければならないと言うのか疑問)ー
この部分でしたから。

>ブリュッセルさん

ありがとうございます。

花山師の著書も同時に読みましたが、やはり宗教というか自説主張の権化ですね。
A級戦犯の罪は「宗教心を蔑ろにし武力に頼りすぎた」ことだそうです。GHQ側の言う罪というより、信心の無さをGHQが代わりに罰してくれた、とでも言いたげな所が見えてきます。
バリバリの東京裁判史観の人ともちょっと違う、世間的に「立派なエリート宗教者」と看做されているのとは全く逆に、単なる「鈍感な人」と私は感じました。


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