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「巣鴨の生と死」 花山信勝

巣鴨の生と死―ある教誨師の記録 (中公文庫)巣鴨の生と死―ある教誨師の記録 (中公文庫)
(1995/07)
花山 信勝

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前書きからこの教誨師がどんな傾向の人か見えてくる。
自ら否定しようとはしているが、本書全体に「自分が自分が」と自画自賛で一貫している。

A級戦犯となった7人の処刑までを3年に渡って「教誨」する訳だが、花山師はどう見ても布教の権化としか見えない。
受刑者の信仰を尊重し、キリスト教信者や神道であればその宗旨に則って協力もする。
が、それでも何か違うと感じさせるものがある。

花山師にとっての戦犯の「罪」とは信仰心の無さであるらしい。
アメリカの方が前線兵士にまで聖書を持たせていたからマシで、その違いが勝敗の一因でもあると。
信仰熱心なのはいいが、一般人としてそう考えるのも勝手だが、この特殊で理不尽な裁判による受刑者に対してはどんなものか。

著者自身のあとがきのこの部分
=====
事実この人達は(軍国主義・七生報国の)肯定者ではなく、そのもっとも痛烈な否定者としてこの世を去っていったのである。
それは単に懺悔といった境地ではなく、これをなおも数百歩も越えて、勝敗も無く支配も被支配もない、個性もない、平等の平和を発見してきわめて心豊かに安らかに生涯を終えたのである。
しかも、こうした受刑者の到達した高い境地は、無言の光となってその家族達を打ち、処刑されていった人の家族にも却って以前には見られなかった、感謝と平和の生活が営まれていることは驚くべきことではないだろうか。
=====

とても美しい言葉の羅列です。とても感動的・・でしょうか。
私はこの表面美しい言葉の裏にもの凄くおぞましい物が見えるのだが・・。

それでも本書は処刑されたA級戦犯の遺書や発言が多く含まれており、花山師の存在を超えて貴重なものに触れることが出来る。
これらの生の言葉からは上記「あとがき」に書かれた師の思いとは全く違う地平が見えてくる。

処刑された7人の多くが「今後の国家の礎(あるいは捨て石)となる」「鬼(神というにはおこがましいからだそうだ)となって国を守る」
「人柱になると思えば喜ばしい」「世界平和のために生贄」など似たことを発言している。

巣鴨プリズン内で発行されていたという「スガモ新聞」の「社説」がいくつか紹介されているがとても興味深い。

『愛国心』と付けられた社説にはこうある(一部のみ抜粋)
=====
「敗戦後日本からは、愛国心という言葉は全く払拭されたような感がある。
国家主義や全体主義にだけ愛国心があると誤解している証左である。
愛国心は、国家の苦難、窮乏にさいしてこそ叫ばるるべきなのだ。今の日本こそ最も愛国心を必要とするときである。
敗戦によって国家主義を追放した日本は、さらに愛国心をも放逐しようとしている。これは祖国の死活にかかる重大問題である。
真の再建は、民主主義に立脚した強固なる愛国の精神に基盤を置かねばならない。
武器を持たなければ愛国心を発揮できないという観念は、もはや揚棄せらるべきである。」

=====
朝日新聞はじめ、特に新聞各社やマスコミのことだろう、戦中とは打って変わった手のひら返しを批判もしている。


ところがだ、花山師はこう解釈を加える。
=====
「武器を持たなければ愛国心を発揮できないという観念は破棄せらるべきである」という、戦犯者としての体験による平和主義の注目すべき宣言がある。戦犯者にしてすでに、こうした自覚に立っていることがーー
=====

先に挙げた「社説」の意図するところはこれか?
私が捉えた意図は「どんな境遇にあっても、敗戦で武装解除させられた今であっても、占領軍駐留の状況にあっても愛国心を捨てるなかれ」だが、違うだろうか。
師は「武器を持たないようにして、平和主義で」愛国心を持つようにしましょう、と捉えている。
まるで福島瑞穂じゃないか。

こんな感じで師は、戦犯者の遺書、言動、を全て自分の勝手解釈にしてしまう。
この鈍感さには恐れ入る。

巣鴨プリズン―教誨師花山信勝と死刑戦犯の記録 (中公新書)巣鴨プリズン―教誨師花山信勝と死刑戦犯の記録 (中公新書)
(1999/01)
小林 弘忠

商品詳細を見る

↑によると花山師への評価は受刑者の中で賛否分かれていたようだ。
「冷たい人」「死の法悦ばかりを言う」などなど。
A級戦犯(死刑確定者)には受け入れられていたと言うが、実はそうでも無かったんじゃないか。
聡明な人らばかりだったので、受け入れているフリというかそれこそ「慈悲」の心でスルーしてあげていたのでは。
それから師はどうも処刑と言う事象にちょっと一種独特な興味を持っていたようにも感じられる。
学究心なのか教義上なのか個人的好奇心かは分からないが。
生涯終える時の最後にこういう人に見送られた殉難者がお気の毒だ・・。

戦後日本には師のようなタイプが「エリート」として新聞、テレビ、あらゆる方面で大きな顔をし始めた。
ここ2、30年は特に酷くなった。
悪意というのでもない、偽善欺瞞にまみれて奇麗事を言う、それが欺瞞である事にさえ気づかない鈍感な人達のことだ。






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