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「謎の探検家 菅野力夫」

いきなり凄い写真が出てきます。
骸骨の山でございます・・





謎の探検家菅野力夫謎の探検家菅野力夫
(2010/05)
若林 純

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明治末期から昭和初期まで、世界中を探検してまわった痛快な男がいた。その名は菅野力夫。日本がようやく国際化しつつあった時代に、シベリア、中国、東南アジア、インド、南アフリカ、ハワイ、南米までをも股にかけて歩いた男の謎に満ちた生涯に迫る。

興味深い写真なので大きく貼ってみました。
この写真は何と大正12年(1923年)に撮られたもの。
「インカ帝国ルリン宮殿の廃墟 鬼気人に迫る、数百年前の骸骨、頭髪の残れるは無雨地帯の故なり」
と菅野本人の説明。

本書は260頁を越えており、三分の二くらいが写真で埋められている。
100年昔と考えると壮大過ぎて合成かと思うほど、シベリアから南米ジャングルから日華事変前線まで世界各地の様子を伝える写真の数々。

菅野力夫(すがの りきお) 1887~1963 福島県生まれ
旧制中学を中退し頭山満の書生となる。
玄洋社には属していなかったらしい。
1911年の辛亥革命時、頭山に随伴してシナに渡って以降、世界探検旅行を始める。

菅野は戦後忘れられた存在となっており、本書著者が親族など訪ねて写真ほか資料を発掘したそうだ。
組織に属さなかったためと、探検家としての戦前の華々しさとは逆に戦後はメディアに取り上げられる事もなくなっていたため埋もれてしまっていたらしい。

敗戦を境に忘れ去られたというのか分断されたような感覚傍観者的に見る歴史としてでなく自国自身の活きた体験としての記憶を喪失しているのではないかとこういう本に出会うといつも思う。

戦後昭和25年の菅野の近況を伝える手紙に
「総ての野望を捨てて故郷に隠遁し、敗戦前後の暗澹たる日本の姿を眺めおりしも、腐敗墜落亡国に近き惨憺たる世相に黙止し難く、警鐘を乱打すべく沈黙を破って再び講演を開始・・・」とある。

頭山満を師と崇め玄洋社に関係していた人なら、戦後の落胆ぶりは想像出来る気がする。
それでも高校などでの講演を開始したというから、南米から南アフリカからシベリアまで探検した程の人がじっとしていられるはずも無かったのでしょう。

菅野の探検もさることながら、大正時代初期には既にペルーや東南アジア各地に移民の日本人街が出来ていた事も興味深い。
ペルーのリマにある日本人学校は生徒数100名を超えていたそうだ。
アメリカ統治下にあったフィリピンの日本人学校では日本、アメリカ、フィリピン3国の国旗が揚がっている写真もある。
移民だけでなく大手商社マンも世界各地に動いていたようで、交通手段以外は今と特に変わらなかったのじゃないかと錯覚してしまう。

頭山と一緒に写真に納まる星一(星新一の父)も出ていて、彼が頭山と親しかったとは知らなかった。
星は菅野と同郷だが、頭山とも親しかったと言う事か。

著者が蔵から発掘した写真や書類資料は豊富だが、菅野自身の人生は不明な時期もあるらしい。
それでもこれだけ写真を残せば菅野が後世に伝えたかった事は充分伝わるのではないだろうか。

とにかく、明治期~に興味のある人に取っては、本書は多数の写真を見るだけでも存分に価値あり!です。


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