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「海のサムライたち」 白石一郎

海のサムライたち (文春文庫)海のサムライたち (文春文庫)
(2004/10)
白石 一郎

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内容(「BOOK」データベースより)
海に薄情な日本人たちよ。かつてこの島国には、海のサムライたちがいたではないか…。古代の海賊王・藤原純友、村上海賊衆と松浦党、九鬼嘉隆や小西行長などの戦国武将、さらには三浦按針、山田長政、鄭成功などの国境を越えて戦い抜いた英雄たちの生涯を、海洋小説の第一人者が愛惜をこめて描く歴史読物。

目次:
・藤原純友~古代の海賊王
・村上武吉~海上王国を築いた男
・松浦党と蒙古襲来
・松浦党と倭寇
・九鬼嘉隆~織田水軍の総大将
・小西行長~海の司令官
・三浦按針~旗本になったイギリス人
・山田長政~タイ日本人街の風雲児
・荒木宗太郎~王女を嫁にした朱印船主
・鄭成功~日中混血の海上王
・徳川水軍と鎖国制度



本書だけを読んで信じるのもどうかと思うが、
著者は徳川幕府に拠って航海術や造船技術が衰退した、海というものを軽視し、その無関心と冷淡さは現代に至っても払拭されていないと説く。

徳川時代の一本帆柱の「和船」は沿岸航海には利点があったが、遠洋航海には全く役に立たない代物だった。
進歩が無かったのではなく、徳川時代の鎖国に拠って後退してしまったのだと。
「朱印船時代と呼ばれた17世紀初頭の約40年間、日本で造られた船はミスツィス造りと呼ばれ、あるいは日本前と呼ばれて、中国のジャンクとヨーロッパ帆船の長所を取り入れ、和船の長所も生かした折衷型の航海船で、帆柱は2本、船首と船尾に補助帆を設け、遠洋航海に十分耐えられる構造を持っていた。」
中世の松浦党(まつらとう)は玄界灘~東シナ海~朝鮮半島に中国沿岸、南海諸島にまで自由に航海していたと言うから、衰退していたというのは確かなのだろう。

松浦党=いわゆる倭寇が勢力大きくしたのは元寇によって一致団結した事が大きい。
対馬、壱岐、そして松浦党本拠地である肥前を蹂躙し荒らされた事への抵抗、防衛意識の高まりがあったようだ。
蒙古軍による蹂躙は村一面焼け野原、多数の亡骸で埋め尽くされ・・
そりゃあ防衛意識も高まるだろうと言うもの。

これが今時の学校の教科書になると「倭寇=悪いことする海賊」とでも書いているんだろう。
海賊と言っても海を渡る商人であって、いかにもな傍若無人なパイレーツな訳でもない。

蒙古軍高麗船の説明も興味深く、フビライ・ハンの命令で高くつく中国様式でなく安上がりの高麗船で襲来し、高麗船というのが乾燥した木材を使わず木釘を使われていて脆弱であり、カミカゼでなくても持ち堪えられなかった。
それでも4千4百曹が襲来したというから、防衛も強固にならざるを得なかっただろう。

ほか、村上水軍の海賊(海族)の一般的イメージとは違う意外な面も書かれてある。
村上海賊は教養集団でもあり、本拠地の大三島・三島大明神(大山祇神おおやまずみのかみ)を祭神とし、連歌興行を奉納していた。
異国の書物まで読んでいた。

本書ではないが、何かの民俗学の本で昭和初期に瀬戸内海の島々の意識調査を行なったら、田舎であるのに意外な事に新進の気概や他国への関心・情報を持っており開放的である、と読んだ事がある。
かつての海賊精神だったのか、近現代でもこの地域は船乗りや船主が多いらしいので、さもありなんとは思う。
村上水軍の本拠地であった芸予諸島辺りへは行った事が無いけれど、何か興味深い地方ではあります。

他にもキリシタン大名小西行長やタイ国王親衛隊長にまでなった山田長政の話、どれもこの時代によくここまでの広い視野と行動力があったものだと驚く。
いつ誰が言い出したのか「島国根性」(大辞泉によると・視野が狭く閉鎖的でこせこせした性質や考え方)、あるいは最近の「日本辺境論」、こういうのをネタとしての自虐でなく本気で言い募る人は、海に纏わる歴史を知らないのか、あるいは意図的に無視しているとしか思えない。
(島国はイギリス、フィリピン、スリランカ、ニュージーランドほかあるのに、日本のみに適用している不思議ーー自虐ネタだからか?)


現在を考えると瀬戸内海の三大大橋が出来て以降は廃止された航路多数、高速道路休日1000円で更に追い討ち、何か寂しいものがあります。
それでも尖閣諸島で高い波を物ともせず監視活動してくれる海保の船を見ると、言うほど「海の民」としての日本人は廃れてはいないのではないかと思ったりもする。




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コメント

こんばんは。

アタシは村上水軍の本拠地の大三島・三島大明神には2~3度ほど行きました。
一度目は船であとは橋が出来てからです。
なかなか趣がありました。
業務と観光を兼ねたような旅でしたが、同行したのは村上水軍の末裔「村上氏」です(笑)
同じ会社にいても普段は彼のご先祖の話はしない。
しかし旅のお供だといろいろ話を聞くことが出来ました。
あと瀬戸内海には来島水軍もいましたね。

>徳川幕府に拠って航海術や造船技術が衰退した、海というものを軽視し、その無関心と冷淡さは現代に至っても払拭されていないと説く。

そんな事はないと思いますよ。
まあ確かに江戸期はそう言う傾向にあったでしょうが。
しかし明治以降日本海軍は米英に次ぎ、世界第三位の威容を誇っていましたからね。
軍事だけではありません。
郵船など民間も明治の後期には外国航路を開きましたからね。
日本人と海と船は切っても切れない間柄ですから。
造船だって世界一の時期があった・・・技術も優れている。
著者は何が不満なんでしょうね?

hachimanさん

こんばんは。
凄いですね、本物の「村上氏」とは!
私は知り合いに来島村上氏ゆかりの「くるしまさん」が居ます(笑)

この著者は鎖国さえ無ければ日本独自の造船技術を発展させられた、とでも言いたいのかも知れません。
けれど鎖国が無ければそもそも日本国であり続けられたか・・
って歴史にifは禁物ですよね。

検索してみるとこんなのがありました。
http://fune.potax.net/4.html
江戸時代を見ると『1635年には「大船建造禁止令」が施行され』『ペリー来航から3ヶ月後の1853年9月に大船建造禁止令が大名に対して解除された』だそうです。
それでも解除して後の発達のスピードがとてつもなく凄いですね。
禁止令が出ても技術がこっそり伝えられていたとか。
著者は220年間の空白が悔しくて堪らないのかも?

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おはようございます

私も読みました。
ちょっと前ですけど・・・。

呼んだあと、“海の男にならなければ・・・”と思いました。
四日間ぐらいですけど。
『菜の花の沖』を呼んだ時もそう思った。

非公開コメントの方へ

個人情報に気遣っていただいてのコメント&船に関する情報をありがとうございます。

技術の素地、確かにそうですね。
造船技術の進歩があまりに早いですから。
沿海とは言え潮の厳しい北前船なんか技術が無いと無理ですしね。
やっぱり著者は何か徳川家に恨みでもあるのかも知れません(笑)

>イーグルスさん

返信が遅くなってすみません。
レイトショーで「終戦のエンペラー」見に行ってました。

海の男、いいですね~。
私は船に関する事に興味はあるんですが、僅かな波でも酔うヘタレですi-229
高田屋嘉兵衛も壮大ですね。
こういう人達が少なからず存在したのに「島国根性」とかよく言えたものです。
それを言うなら戦後自由を奪われた状況を言うのではないかと思えます。
「海賊と呼ばれた男」はそれに抵抗したのでしょう、まだ読んでないですがi-227

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